4.伯母という人
祖母は多忙だ。
早くに夫を亡くしたが、公爵夫人として家政を担っているし、父のサポートもしている。
母は時折装飾小物を手配するだけで、基本的に社交を担っているとシェリーを連れてもっぱらお茶会に出向いていた。
父の容姿は祖母譲りだ。
母のようにきらびやかではないし、地味な印象だが落ち着いている。
いつも背筋をぴんと伸ばし、食事の際も喋らない。
私のマナー教育は祖母が手ずから教えてくれた。
厳しくて辛い時もあったが、できた時は褒めてくれていた。
祖母の部屋の扉を叩く。
何度か試してみたが、返事が無い。不在のようだ。
その他祖母がいる場所が思い当たらない。
だが、廊下の窓から下を見れば、目当ての人の後ろ姿が見えた。
向かっている先にあるのは、伯母がいる離れ。
先程の醜態を思い出し、一瞬足が止まったが、すぐに思い直して同じ方向に向かう。
「やぁっだぁ、もう、ローランド様ったら。うふふふふ」
「恥ずかしいから秘密にしてくれ」
「どうしようかしら」
途中、バラ園にある四阿でシェリーとローランド様が談笑しているところに出くわしてしまった。
使用人がいるとはいえ、婚約者ではない女性と長話して、お茶会を仕切り直している。
更にシェリーはローランド様の身体に触れている。
その事に更に苦しみが増し眉を顰めたが、今は二人に構っている余裕はなかった。
気付かれないよう遠回りをして祖母が向かった離れへ向かう。
そこは本邸とは違って小ぢんまりとしていて、食堂よりも狭いのではないかしら?
祖母は扉を叩き、そのまま邸内に入って行く。
それを追い掛けて、扉を叩こうとしたが少し隙間の空いていたためそのまま扉を開き、中に入った。
「お加減はいかがかしら?」
「お気遣いどうも。今日は調子がいいようですわ」
「それならば良かった。退屈ではないかしら?」
「ここには何もありませんからね。それはもう」
「病がなければ自由に出歩いていいのだけれど……」
「構いませんわ。会いたい人もいませんし、……ああ、旧知の友人にはちょっと会いたいかも……」
祖母と話しているのは勿論伯母だ。
伯母は先程までの元気と打って変わってベッドに横になっていたようだ。
祖母は私といる時は厳しい表情が殆どなのに、伯母の前ではこんなに穏やかに、それでいて砕けた話し方をするのか。
「医師の判断と先方の許可を貰えたら構わないわ。誰に会うの?」
「私の唯一の友人だった、ラモーナに。……今は侯爵夫人かしら。……まあ、いくら旧知の仲だからって、こんな娼婦風情に貴族夫人が会いたいとは思わないだろうから構わないわ」
その時の伯母の表情は、全てを諦めてきたような顔をしていた。
結婚式当日に駆け落ちしたが、娼婦になったという事はその男に捨てられたという事だろう。
最悪、売られた可能性もある。
自業自得だ、ザマァ見ろ、と思ったが、自分が信じた相手に裏切られるのはとても辛い事だ。
祖母はそんな伯母に、真剣な表情を見せた。
「ラモーナ……ハイランド侯爵夫人ね。結婚式の日、とても怒っていたわ。ハイランド侯爵令息が宥めて引きずるようにして連れて帰った」
ハイランド侯爵夫人も、友人と思っていた人がそんな不義理を働いたら文句も言いたくなるだろう。
普段堂々としていた伯母は、掛布を握り締めて傷付いたような表情を見せる。
「ずっと、あなたを信じていたわ。『セシリアがそんな不義理をするはずが無い。さらわれたかもしれないから探せ』と。花嫁が変わった時は『最初から仕組んでいたのだろう』とも」
──え?
私と伯母、同時に顔を上げた。
結婚式当日に駆け落ちした事に対する怒りではないの……?
「セシリア、あの日、何があったの? 少なくとも、あなたは結婚式当日に駆け落ちするような人ではないと、私も思っているわ」
祖母の縋るような目線。それを受けた伯母の表情は強張った。
「それは……」
伯母が口を開いた瞬間、もっと声が大きく聞こえるようにと一歩踏み出す。するとガタッと音がして二人が一斉こちらを向いた。
「誰っ!」
「セリーナ……」
「あ……」
祖母が近づいて来る。
聞いてはいけない内容だった?
「どうしてここに……」
「あ……ご、ごめんなさい、その。私、お祖母様を探していて……それで……」
心臓が早鐘を打つ。見つかった時の言い訳なんて準備していなかった。
厳しい表情の祖母を見て、生唾を飲み込んだ。
「あら、いらっしゃい。私に会いに来てくれたのね」
「セシリア」
「いいじゃない、公爵夫人。先程本邸に本を借りに行った時に偶然会って、よかったら来ない? って離れに招待したのよ」
伯母は怯える私ににこやかに手招きをしてくれる。
私と同じ容姿のせいか何故か安心して、吸い寄せられるように近づいた。
「あら、涙の跡があるわ。ごめんなさい、泣かせるつもりはなかったの」
「……いえ」
「あなたが幸せならば、それでいいのよ。姪っ子が元気ないように見えたから気になったの」
伯母の細い指が私の頬を拭う。
母にもされたこと無い仕草に、先程とは違う様子で心臓が高鳴った。
「セリーナ、こちらに来なさい」
「いいじゃない。私が感染対策をすれば」
「けれど」
伯母は祖母の言葉を無視して口元を覆うカバーを着けた。
「ごめんなさいね。私の病気って未成年には感染るかもしれなくて。部屋の中は空気を綺麗にする魔道具を置いてもらってるんだけど、本当は万が一を考えたら近寄らない方がいいのよ」
そうだったのか。
だから祖母は近づくな、と言っていたのか……、と腑に落ちた。
「セリーナというのね、あなた」
「……はい。紹介が遅れまして申し訳ございません。セリーナ・アークライトと申します」
立ち上がって祖母直伝のカーテシーをする。
顔を上げると、伯母は柔らかな笑みを浮かべた。
「公爵夫人から習ったの?」
「はい」
「そう。……厳しかったでしょう?」
「それは……」
「私も婚約者としてお作法を学んでいたとき、厳しくご指導いただいたの」
伯母はふふ、と穏やかな笑みを浮かべた。
いつもの挑発するような蠱惑的な笑みではなく、当時を懐かしむような、思わず溢れてしまったような貴族婦人としての笑み。
もしも娼婦にならなければ、優しくて頼りになる人になったのだろうか?
「あの頃は……まあ、嫌な気持ちにもなったけれど、その後の嫌な体験からすれば、可愛いものだったわ」
先程までの穏やかな笑みから一転して、仄暗い表情になる。
碧い瞳が濃い色になって、まるで吸い込まれそうな錯覚を起こした。
「……ごめんなさいね。ちょっと体調が優れないみたい」
伯母は横になると、掛布を被って壁を向く。
「また来るわ、セシリア」
祖母の声掛けに、伯母は反応しなかった。




