3.目を背けていた現実
シェリーが見せたあの顔は、伯母が来たときの母に似ていた。
二人の容姿は同じだからそう思ったのかもしれない。
だが一瞬で相手を睨み、すぐさま元に戻るそれは、私にはできない真似だと思った。
応接室の窓から外を見れば、嬉しそうなシェリーと戸惑ってはいるがまんざらでもなさそうなローランド様の姿が目に入った。
知らずに顔が歪む。
自分でも制御できないような感情が、胸の内に巣食って破るような痛みを植え付ける。
淑女としてはしたない。常に夫となる人の後ろを背筋を伸ばして静かに歩きなさい。
そう習い、実践してきた私にとって、シェリーの屈託のなさは眩し過ぎる。
「私より、仲がいいのでは……?」
つきん、と痛む胸を押さえ、何事も無かったかの様に表情を作る。
呼吸が浅くなるのを堪え、ゆっくりと息を吐き出した。
「嘘だったのにな……」
本当に体調が悪くなってきたかもしれない。
息が苦しくて上手く吸えない。
誰か助けてほしいと思っても、生憎使用人すらここにはいなかった。
「落ち着きなさい。ゆっくり息を吸って。吐いて。もう一度」
母の声よりもしっとりとした落ち着きのある声に導かれ、言われた通りの事を実行した。
背中を優しくさすられて、不思議と安心感が湧いてくる。
母にもされた事なかったのに、じわりと感じる温もりに縋りたくなった。
「大丈夫?」
「あなたは……」
何故ここにいる?
私をさすってくれていたのは、離れにいるはずの伯母だった。
「離れに何も無いから暇潰しに本でも、と思って勝手に入らせてもらったの。誰も見当たらないから探してたらここが開いてたから」
「勝手に母屋に入って来ないで! 娼婦崩れのくせに……!」
シェリーほどの眼力は無いが、きつく睨んでやった。
だが伯母は素知らぬ顔をして窓の外に目を向けた。
「あの男、あんたの婚約者じゃないの?」
「……」
「なんであんたじゃなくて妹の方と交流してんの?」
「あなたに関係ないわ」
そんな事、私の方が聞きたいわ。
けれど言い返す事もできずに押し黙る。
伯母は無言で私を見ていた。
「そう。……私が奪い返してあげようか?」
「どういう事……?」
伯母は紅い唇を釣り上げ、妖艶に微笑う。
「ホラ、私娼婦だったでしょう? 病気をしたから追い出されたけれど、これでも一、二位を争うくらい人気だったのよ。あれくらいのお子ちゃまを誘惑するなんて、簡単よ?」
カッ、と顔が熱くなった。
バカにされている、二人はそんな仲じゃない、むしろあんたの提案の方がおかしい。
そう言いたいのにただ顔を上げて睨むしかできない。
それが悔しくて、唇を噛む。
「冗談よ。姪の婚約者を寝取るほど落ちぶれてはいないわ。これでも客は選ぶ方なの」
何がおかしいのかコロコロと笑う。
揶揄われたと思ったら悔しくて、頭に血が昇って何も言い返せなくて、ドレスを握り締めながら伯母を睨む。
涼しい顔をして私達の生活を乱す悪女。
だが、伯母は私を睨み返しはしなかった。
「ねえ、あなた、今幸せ?」
「当たり前だわ!」
「あの二人……両親は、あなたの事を見てくれている?」
そんなの愚問だ。
父は私を見つめて優しく微笑んでいるし、そんな父の隣で母は可愛らしく微笑んでいる。
そんな両親の間に生まれて、育てられて幸せじゃないはずがない。
「言い方を変えるわね。妹ばかり贔屓にされていない?」
「なにを……」
「自分によく似た子を贔屓するのはよくある事だわ。あなたは普段からあの二人と会話はできている?」
心臓がバクバクと音を立てる。
会話……会話なんて、いつしたっけ。
朝食……の時はシェリーがずっと母とお喋りをして父に「お行儀よくしなさい」と言われていた。
晩餐の時は、セドリックが父に褒められていた。シェリーは相変わらず母と出掛ける約束をして──
その前は、更にその前、食事中だけでなく、普段の生活の中で会話……
遡って記憶を辿るが、両親と話をした事を思い出せない。
「あ……」
最近話した内容を口にしようとしても、何も出て来ない。
淑女として、話題は豊富に揃えておかなければならないのに、口を開いても言葉にならない。
「……質問を変えるわね。お祖母様とは何を話した?」
「お祖母様……とは、アカデミーであった事を……少し……」
この広い邸内で、家族と呼べる人と話したのは祖母だけだった。
目の前にいるはずなのに、誰も私に話し掛けなかった。
私からも話し掛けていなかった。
両親の幸せそうな姿を見ているだけだった。
シェリーがまたワガママ言ってる、って微笑ましく見ているだけだった。
セドリックはマイペースで、相変わらずだなぁって苦笑していた。
私だけ、ずっと、蚊帳の外だった。
それに気付いた途端、羞恥で顔が熱くなる。
惨めで、情けなくて、恥ずかしくて苦しくて。
「あなた、離れに来る……?」
出会ったばかりの伯母に同情されたのが余計に惨めで差し出された手を振り払った。
「同情なんていらないわ! あんたなんか、大っ嫌い!」
捨て台詞を残して応接室を出ていくしかできない自分が最高に情けない。
気付きたくなかった。
知らないままでいたかったのに。
自室に戻って内から鍵をかけ、掛布に包まると涙が溢れてきた。
優しいお父様──私に興味が無いお父様。
可愛らしいお母様──私を見ようともしないお母様。
コロコロ表情が変わる妹のシェリー──笑顔で私の大切な場所を踏み躙る女。
無関心のセドリック──何を考えているか分からない。
私の家族のはずなのに、私だけ家族じゃないみたい。
私の話を聞いてくれない両親。
その瞳に私はいつから映っていなかったの?
分からない、知らない、知りたくもない。
伯母が来た時もそう。
私だけ置いて行ってしまった。
いつから? いつからそうだった?
「──なんだ、最初からじゃない」
金の髪の母、金の髪の妹。
茶色い髪の父、茶色い髪の弟。
私だけ、真っ暗闇のような真っ黒の髪。
──伯母と同じだわ。
違う。違わない。父は私を見てくれている。
言葉にしなくても、分かってくれている。
大丈夫、母は私の事を考えてくれているわ。
(ほんとうに?)
だって、私は夫婦の愛の結晶でしょう?
愛し合った二人が望んで授かった子でしょう?
(それならばなぜ)
「ああああああああああああああ…………!」
渇望、絶望、失望、願望、欲望、切望、熱望──
あらゆる感情が渦巻いて、ぐちゃぐちゃでバラバラになる。
知らないままで良かった。
私は幸せだ、真実の愛で結ばれた、理想の両親がいるのだから。
『──セリーナは優秀なのね。あなたの伯母様も、とても博識だったわ』
──お祖母様。
唯一、私を見てくれていた人はこの家にいた。それが祖母だった。
厳しくて、けれども穏やかにお茶に誘ってくれる優しい祖母。
私は無意識のうちに部屋を出て、祖母がいるだろう場所へ足を向けた。




