2.両親の馴れ初め
私──セリーナ・アークライトの両親は、社交界で有名な夫婦である。
元々父ウィリアムは、伯母であるセシリアと婚約を結んでおり、彼女がアカデミーを卒業するのを待って結婚するはずだったが、結婚式当日、伯母は父も知らない男と駆け落ちをしたらしい。
それを告げたのが母だったそうだ。
『ウィリアム様……、申し訳ございません。姉が……姉が、行方不明になりました』
いつまで待っても結婚式を挙げる教会に現れなかった伯母の無礼を、ウィンストン侯爵家は全員で土下座をして謝罪した。
『お姉様は……好きな人がいると言っていました。だから、駆け落ちしたのかも……』
母がポツリと漏らし、うっかり口を滑らせてしまったと慌てて手で覆う。
伯母は父に、結婚式当日に花嫁に駆け落ちされる新郎の汚名を着せたのだ。
格上の公爵家に対してして良い所業ではない。
この婚約に不満があるなら話し合うべきだし、穏便に解消する方法だってあったはずだ。
父は優しく私は怒られた事も無い。きっと誠実に対応しただろうし、親身になって考えたはずだ。
それなのに伯母は身勝手に逃げ、公爵家に、母方の家族に醜聞を残した。母方の親族──特に後継者だったクリフォード伯父様の怒りは凄まじかったという。
だが、そこで母がある提案をした。
『よろしければ、私が……ウィリアム様の花嫁になります。姉の代わりで申し訳ございません。お気に召さなければウィリアム様が望めば、いつでも離縁いたします』
そうして悲壮な決意を胸に、母は伯母の代わりに父と結婚した。父は一族を思い覚悟を決めた母ならば、と承諾。
招待客を待たせていたし、皆に花嫁が変わった旨を説明し、その中で伯母と仲が良かった数名は帰宅したが結婚式はそのまま続行された。
急拵えのウェディングドレスは母の体型にピッタリで、まるで母のために誂えたようだったと当時を振り返る時は必ず出てくる話題だ。
偶然にも母好みで仕立てられていて、それだけが救いだったと母も回想する。
父は元々母を好意的に見ていたらしい。父がアカデミーを卒業する間際に祖父が他界したが、憔悴していた父を明るく励ましたのが母だったそうだ。
婚約者である伯母は労いの言葉も掛けず、当時の父は義妹になる女性はこんなにも優しいのに、と憤ったそうだ。
だから、始まりは身代わりの花嫁として嫁いだが、父は母を溺愛している。
使用人の話を総合すれば、花嫁が変わってよかったね、と言われるくらいに二人は熱烈に愛し合っている。私も性悪な伯母と結婚しなくてよかったね、と話を聞くたび思っている。
そんな二人は人目も憚らずイチャイチャするし、社交界でも熱烈夫婦として噂の的だ。
三十を超えても少女のように愛らしい母。
ふわふわの金の髪を靡かせ、宝石のような紫の瞳で夫を見つめる。
対する父は、茶色い髪に翠の瞳と地味な容姿だが、母は父を愛しているのだ。
二人の娘として生まれた私は、とても幸運だ。
私にもローランド様という婚約者がいるが、彼といつかそんな夫婦になれたら、と思っている。
確かに二人が最初から仲が良かったため、嫌になった伯母がわざと出奔したのでは、という噂が無かったわけではない。
だが、父は目を伏せながらこう言った。
『セシリアに愛する男がいたのであれば、言ってくれたら婚約を解消する事はできたはずだ。
幼い頃から婚約をしていて、そういった相談すらしてくれなかった存在というのは堪えたな』
愛する事はできなくても、信頼はあったのではないか。
それならば醜聞になる前に相談してほしかった。
少なくとも父は信頼関係を築いていたつもりだったし、結婚してからも上手くやれると思っていたから、駆け落ちしたと聞いて少なからずショックを受けたようだ。
私から見ても、父は穏やかで優しい。
母やシェリーの要求には応えるし、私の事も気に掛けてくれている。
理想の父、理想の夫婦。
そんな二人を平気で裏切った伯母は、どんな顔をしてここに来たのだろう。
そもそも裏切られたはずなのに、祖母が引き取る事自体おかしな話だ。
当時の社交界で醜聞になり、父に寝取られた男のレッテルを貼り付けた女なのに。
少なくとも、アークライト公爵家やウィンストン侯爵家は嘲笑の的になった。
それをクリフォード伯父様や両親二人が努力して払拭してきたのに、醜聞の元になった人を招き入れるなんて。
シェリーが文句を言っていたが、私も同じ意見だ。
シェリーが言わなければ私が言っていたかもしれない。実のところ未だに納得はしていない。
祖母は時折離れへ行っているようだ。
離れの使用人はこちらへ来ないし、完全に隔絶された世界がそこにある。
「セシリアは病気だから、あなた達は来ちゃだめよ」
初日にそう釘を刺されたが、行くわけがない。そこに裏切り者がいるというだけで落ち着かない。
クリフォード伯父様がそうしたように、祖母も見捨てればいいのに、と何回も思っていた。
「それは災難だったね」
「そうでしょう? もうお祖母様ったら、本当に信じられないわ!」
今日は、私と婚約者であるローランド・ウッドウィル公爵令息様との交流のお茶会だ。
私は静かにお茶を飲んでいるが、ローランド様と話をしているのはシェリー。
彼女はローランド様がいらっしゃった途端、「ローランド様聞いてくださいー」と腕に絡み付き、交流するために準備していた応接室に入って行った。
仕方なく二人を追い掛け、室内に入る。
戸惑いながらもシェリーの話を聞いているローランド様を見ていると、その容姿も相まって両親を見ているようだ。
つきん、と痛む胸に手を当て、私も席に着いた。
「あ、お姉様、ごめんなさい。私がローランド様を引っ張ってきちゃった」
「いいのよ。案内ありがとう」
お母様譲りの金の髪に紫の瞳。くるくると変わる表情。
その場で思った事をハッキリ言い、喜怒哀楽を表現するシェリーに、ローランド様も戸惑いながらも楽しそうにしている。
矢継ぎ早にシェリーが話し掛けるから、私とローランド様が会話をする隙も無い。
「そうだわ。お庭のバラがとてもキレイなの。一緒に見に行きません?」
「え、ええ? でも……」
チラリと私を伺う姿に気づかないフリをする。
そんな目線を目敏く察したのか、シェリーは私を一瞬睨み、目を潤ませた。
「ねぇ、お姉様、いいでしょう? レディにはエスコートしてくれる紳士がついてなきゃ。うっかりバラの棘で怪我をしてしまうかもしれないわ」
「バラの棘は……」
触らなければいいじゃない、と言おうとしたが、また目線鋭く睨まれた。
「いいでしょう? お姉様」
ローランド様の腕に胸を押し当て、シェリーはクスリと朗らかに笑う。
ズキン、と胸の痛みが増した気がした。
「……分かったわ。ローランド様、妹をよろしくお願いいたします。私は気分が優れないので失礼いたします」
「あ、ああ。……大事にしてくれ」
「お気遣い、ありがとうございます」
二人は立ち上がり、ローランド様のエスコートで応接室を後にする。
いつの間にか冷めた紅茶は、少しだけ渋かった。




