1.伯母の帰還
娼婦だった伯母が病気を患ったために娼館を追われ、妹が嫁いだ我が公爵家へやって来た。
どうやら実家の兄に見捨てられ行き先がなかったため、哀れに思った祖母が公爵家に招いたらしい。
「お祖母様、どうして公爵家の醜聞の元になった方を住まわせるの? 伯父さまのように見捨てればいいじゃない」
「口を慎みなさい、シェリー。あの子はあなたの伯母に当たる方ですよ」
「シェリー、お祖母様が引き取ると仰っているのよ。私たちは反対できないわ。お父様とお母様もお祖母様に賛成しているのですよね?」
「あ、ああ……」
「ええ……」
戸惑いながら父も母も不貞腐れたままのシェリーを宥めている。
私だって娼婦だった人が身内だなんて思いたくないが、それを表には出しては淑女としてはしたないと我慢した。
「これは決定事項です。……セシリアは離れに住まわせます。いいわね」
両親は複雑な表情をして頷く。
シェリーは不服そうな顔を崩さない。
私はドレスを握り締め、深呼吸して憤りを吐き出した。
引き取られた伯母は、名をセシリア・オルコットと説明された。
母の兄であるクリフォード伯父様の名字はウィンストンだから、実家から絶縁されたのだろう。今は別の姓を名乗っているらしい。
伯母は祖母が迎えに寄越した馬車に乗り、公爵家へやって来た。
降りてきたのは真っ黒な髪を緩やかになびかせた女性だった。
真っ白な肌は透き通るように滑らかで、真っ赤なドレスに真っ赤な口紅、黒いまつ毛に縁取られた碧い瞳は宝石のように煌めいている。
けれどやはり病人なせいか痩せ細り、娼婦であるはずなのにどこか儚い印象を与えた。
隣に立っていた父が息を呑む。
母もその姿を見て顔色を悪くし、俯いた。
おそらく優しい母の事だ。病を患い追い出された事を哀れに思っているのだろう。
「いらっしゃい、セシリア。あなたが来るのを待っていたわ。道中身体は辛くなかった?」
「……いえ」
祖母の言葉にそっけなく答える伯母は、眉間にシワを寄せる。
せっかく労りの言葉をかけたのに、なんて愛想の無い方かしら。
この年になってまで水揚げもされなかったのは、余程の事だわ。
「離れに案内させるわ。医師の手配も済んでいるの。気楽に過ごしてちょうだいね」
「ありがとうございます」
伏し目がちに礼を言い、カーテシーをする。
痩せた身体でもブレることなく、私の目から見ても及第点のものだった。
「あなたが無事で安心したわ。本当に……よく無事で……」
どうして祖母はそんなに涙ぐむのだろう?
私にとって伯母は、相思相愛の両親の真実の愛を邪魔する存在でしかない。
元々父の婚約者だったのに、結婚式当日に駆け落ちし、父を捨てた伯母など、人としてもどうかと思う。
「いっその事、死んでしまえばよかったのに」
耳を疑うような言葉の発生源に一斉に目を向ける。
憎々しげに見ているのは、伯母の存在にまだ納得していないシェリーだった。
「シェリー!」
「結婚式の当日に駆け落ちしたくせに、今更ノコノコと現れてどういうつもり? 今更お父様に媚を売ろうっていうの?」
「シェリー……」
「お生憎様、お父様とお母様は、社交界で知らない人はいないおしどり夫婦なのよ。あなたが入る隙間なんてこれっぽちも無いわ!」
シェリーの言う事はもっともだ。
私は死んでしまえばとは思わないが、今更こうして現れた事に違和感を感じている。
「シェリー、口を慎みなさいと言いました。これ以上言うなら、罰を与えますよ」
「っ、お祖母様、どうしてこんな女を引き取るんですか! この女のせいで、アークライト公爵家がどれだけ嫌な言葉を言われてきたか……」
「やめなさい!」
祖母の表情を見て、さすがにまずいと思ったのか、シェリーは唇を噛み締めて俯いた。
この家の女主人は祖母だ。
廊下に飾られた肖像画でしか顔を知らない祖父亡き後、若かった父を当主として支え、切り盛りしてきたのは祖母である。
まだその座を渡されていない母の立場は弱く、祖母の命令は絶対だ。
「我が公爵家の醜聞は、今に始まった事ではないわ」
祖母の言葉に、両親が肩を震わせ、顔色を変えて俯いた。だが母は一瞬だけ今まで見た事も無いような顔つきで、憎らしげに伯母を睨んだ。
「勘違いされては困るのだけれど、私はそちらの男性に微塵も興味は無いわ。ここへ来たのは行き場の無かった私を心配してくださったアデライン様が、離れが空いているから貸してくださるとおっしゃってくれたから。安心して? あなたたちの真実の愛に、私は一切興味が無いわ」
伯母は微笑った。
娼婦らしく蠱惑的な笑みを浮かべた。いや、聖女のような慈愛の笑みだったかもしれない。
それは誰しもを魅了する笑みで、私は思わず見惚れてしまった。
こんな女性なら、他に魅了された男性がいるかもしれないと思わせた。
「……娘がすまなかった。ようこそ我がアークライト公爵家へ。きみの滞在を歓迎する」
父が伯母に歩み寄り、手を差し出した。
だが伯母はそれに目もくれず歩き出す。
すれ違う時に目も合わせず、伯母は控えていた使用人に声を掛けさっさと離れへ向かった。
祖母もそれに付いていく。
父は無視をされ、差し出した手を握り締める。
その顔には屈辱が宿っていて、初めて見るその表情に戸惑った。
「ウィル」
「……あ、ああ、すまない。振られてしまったようだ」
「もう、お姉様に構わないで」
母が父に近寄り、上目遣いで見上げる。すると先程まで怒りが宿っていた父の表情はみるみるうちに優しいものになった。
社交界でも噂になる二人は、私から見れば憧れの存在だ。
私もいつかは婚約者とこういう仲睦まじい夫婦になりたいと思っている。
「紳士としてエスコートしようとしただけだ。俺が愛するのは今も昔もチェルシーだけだよ」
「ウィル……」
額に口づけを落とされ、頬を染めた母は、いつまでも少女のようだ。
先程まで怒っていたシェリーも、両親を見て目を輝かせている。
「もう戻っていい?」
「あ、ああ。ゴホン。戻ろうか」
イチャイチャが始まる寸前、十歳のセドリックが欠伸をしながら声を掛けた。
マイペースな末の弟は私やシェリーとはまた違った雰囲気を持っている。
姉としてはいずれは公爵家を継ぐのだからしっかりしてほしいが、当の本人は気にする素振りは無い。
私達を置いてすたすたと邸内へ入って行った。
「私たちも行きましょ。シェリーも行くわよ」
「はぁい。あ、お母様、後でドレスの相談がしたいわ」
「もう、先日も買ったばかりじゃない」
「可愛いドレスを見つけたの。ね、お父様、買ってもいいでしょう? 私がそのドレスを着たところ、見たいわよね?」
「仕方ないな。あと一着だけだぞ」
「シェリーばかりズルいわ。私も公爵夫人としてドレスを仕立てようかしら」
セドリックに続き、三人も邸内に入って行く。
誰も私を気に掛ける事もなく。
仕方なく、私も後ろに続く。
どこかで誰かに見られている気がした。
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