31.過去の絶望、希望の光
ある日、目覚めて間もない頃に娼館の主に呼ばれた。この頃には既に身受けが決まっており、アーヴァインから前金が支払われていた私は客を取っていなかったため一人寝をしていた。
確か雨が降っていたと思う。
「あんたに客だよ。ああ、そっちのじゃない。支度ができたら降りといで」
珍しく見習いを寄越すでもなく無表情だった主が来て、それだけ言うと下へ降りて行った。
何の用事だろう、ととりあえず身支度をし下へ降りると、見習いに「こちらへ」と案内される。
昼の客をもてなすための個室の中にいたのは、ボロボロのフードを被った眼帯をした男で、どう見ても客には見えなかった。
「お待たせ。私に用ってなにかしら」
娼婦として、客をもてなすのは基本的な事だ。
お茶の準備をしながら話し掛ける。
ソファに座った男は緊張しているようで手に力を入れて膝を握り締めていた。
「俺は……チェスターと言います。魔術師部隊所属で、先日まで前線にいました」
魔術師、前線──
その言葉で鼓動が嫌な風に動いた。
お茶を淹れる手が止まり、業務用の笑顔をしていたのに、頬が固まったみたいに引き攣った。
「ああ、アーヴァインの知り合い? て事は、帰って来たの? もう、あのバカ先に魔塔に行っちゃったのかしら」
チェスターの雰囲気から嫌な予感がして、勝手に口が動いていく。
アーヴァインは帰って来たら、真っ先に会いに来てくれそうなのにここにいない。
嫌な予想が当たってほしくないと、嫌な空気を晴らそうと、気の利いた言葉を必死に探した。
「これ……」
差し出されたのは青い石が嵌め込まれたペンダントだった。
出征前に二つ差し出され、互いに持っていようと言っていた物だ。
震える手でペンダントを受け取ると、鎖の部分がチャリ……と音を立てる。
ところどころ赤く飛沫が飛び散ったような後があり、特に青い石の部分は染みのようにぽつんと赤くなっていた。
「あなたに渡してくれ、と。『ヘマやってすまん』と……」
息が浅くなる。喉の奥から詰まって、呼吸がし辛い。
けれど私は振り子のように小さく首を振り続けた。
唇は戦慄き、頬が強張っていく。
口の中はカラカラに乾いているのに、目の奥だけが熱くなっていた。
「嘘……うそ、よ、ね? だって、彼は」
「嘘なら、良かったです」
「うそでしょう? だって、彼は約束してくれたのよ? すぐに帰って来るって。研究職の自分を前線にやるとは何事だって、抗議するって!」
魔術師の胸ぐらを掴み叫ぶ。お茶を淹れる筈の陶器がガチャンと音を立てたが、彼は黙って揺すられていた。
「だって、一緒に、なろう……って、言って……」
震える手のひらに載ったペンダントに付いた赤い飛沫──それが彼の血だと、嫌でも分かる。
いつの間にか、頬が濡れている。
次から次へとボタボタと溢れ、止める術が分からない。
「すみません」
魔術師は項垂れた。
よく見れば彼も片目を失い、ローブはボロボロだ。
前線から帰還した戦士で、真っ先に会いたい人もいたかもしれないのに、ここに来たのだろう。
お疲れ様でした、と彼を労わなければならない。
だが今の私にはできない。
客なのだから、ゆっくりして行って、ともてなさなければならない。お茶も渋みが出始めているだろう。これではもう出せない。
……無理だ、次から次へと溢れて止められない。
「……死んだのかい?」
「それは……」
いつの間にか入って来ていた主が、決定的な事を聞く。
私はそれ以上聞きたくなくて個室から逃げ出した。
その後の私は魂が抜けたようになった。
娼館の外を見てはアーヴァインの面影を探し、泣き暮れていた。
立ち直れたのは半年程経過してから。
主や姐様たちに慰められ、徐々に元気を取り戻していった。
「伯母上?」
「えっ? ……あ」
セドリックに手を引かれ、我に返る。
見れば魔法の披露は終わり、魔術師の周りには人だかりができていた。
順に魔術師に挨拶をしようと列ができている。
兄様と義姉もその列に紛れていた。
「僕たちも行きましょう。お願いするんでしょう?」
「ええ、……そうね」
確かに彼は前線に行っていた魔術師だ。
兄様の知る魔術師が彼なのは偶然だろうか。
退役したと言っていたが、いつからなのか。
アーヴァインとはどんな話をしたのだろうか。
何故、彼が死ななければならなかったのか。
「ああ、サインなら……」
顔を上げた彼が、一瞬目を見開く。
「……えっ、あ……」
いつの間にか私の頬は濡れていた。
「あなたは……」
「ごめんなさい。懐かしい人を思い出したものだから」
慌てて手で涙を拭う。気付いたセドリックがハンカチを差し出してくれた。
「私も、あなたを見た瞬間、旧友を思い出しました」
彼は──チェスターは、柔らかく微笑んだ。
そうか。あの変態バカにも友人と呼べる人がいたのか。
魔法関連の話をするか、寝ているかのどちらかで、そもそも人間に興味が無いふうだった。
だから、亡くなってしまった今、彼の人となりに少し触れた気がして胸が温かくなった。
「今日はどうしたんですか?」
「実は、私に呪いがかけられているようなのです。それを解呪してくれそうな魔術師を探しています」
チェスターは目を細めて私をじっと見てきた。
金色の目に吸い込まれそうな気がして、一瞬身体が強張る。
「……アーヴァインはよほどあなたを愛していたらしい」
「それはどういう?」
「あなたの病気は呪いによって効果が増幅されています。なんでもないようなちょっとした体調不良が悪化するように。けれど、そこまでは酷くはなっていない」
「ええ。誰かに未成年に感染すると言われましたが、この子も今のところは無事ですし、十八の子もひと月程近くで生活していましたが何ともないようでした」
「そうでしょう。あなたの身体の中で、守りの魔法が生きています。それから感じるんですよ。……旧友の魔力が」
それはどういう事だろう。
「アーヴァインが掛けた守りの魔法が、呪いに抵抗しています。それで今は症状が抑えられているようです。今すぐ解呪しますか?」
「っできるのですか?」
「ええ。ただ」
チェスターは手を顎にあて、一度口を噤んだ。
「解呪すると、アーヴァインの守りもなくなるでしょう」
それは知らない間に彼が与えてくれた愛が消えるという事なのだろう。
それは少し……切ないな。
「まあ、今はどこにいるか知りませんが、そんだけ根深い執着じみた魔法を掛けているんです。世界中のどこにいても掛け直してきそうではありますが」
……ん? 何か、チェスターはおかしな事を言ってない?
「失礼、魔術師卿。えーと、その言い方ですと、セシリアを身受けしようとしていた魔術師は、まさか生きていると……?」
兄様がきりっとして突っ込んでいる。
やっぱりそうよね、そう言ってるように聞こえるわよね。聞き間違いじゃなかったわ。
「……少し、場所を変えましょうか。干渉されているといけない」
「それでは我が家にご招待いたしましょう。ええ、私は怪しい者ではございません。ウィンストン侯爵家当主のクリフォードと申します。こちらは妻のフランシスと妹のセシリア、あと甥のセドリックです」
兄様が食い気味に自己紹介をすると、みな一様に頭を垂れた。
チェスターは目を丸くして、フッと笑みを漏らす。
今まで絶望に伏していたが、希望の光が見えてきた気がした。
昨日、熊本県を震源とした大きな地震がありました。
時間と共にSNS等で被害状況が顕になってくると、かなりの被害があるようです。
作者は佐賀県で無事ですが、結構揺れました。
近くにお住まいの方、また九州の他中国四国地方まで揺れたようですので、該当地域にお住まいの方、くれぐれも余震にお気を付けください。
日本は災害大国です。来月来るらしい台風が怖いです…




