21.娼婦の駆け引き【side セシリア】
私の今までの人生は、理不尽極まりないものだった。
妹を優先する家族、妹に身も心も奪われる婚約者。
全てが妹中心で、私という存在はいつも蚊帳の外に追いやられていた。
それでも結婚しなければならないと一人馬車に乗り込んだのに、妹の息のかかった使用人たちに知らない場所に連れて行かれ、暴漢に襲われた。
──その後正気に戻るまでの事は語りたくないため割愛する。娼婦になる女の過去として、誰しものご想像通りだから。
ただ一つ、幸運だったのは、売られた先の娼館がまともな経営をしていた事。
店主に同情され、姐様たちに可愛がられ、傷を癒やしながらここで生きていく術を学んだ。
一番に可愛がってくださった姐様は、どこかの貴族に身受けされて行ってしまった。
正妻ではなく愛人としてだったが、幸せになっているといいな、と思うのは姐様贔屓だからかしら。
次に可愛がってくださった姐様も、同じく貴族に身受けされた。
そうして姐様が次々と身受けされ、その結果娼館一の売れっ子となり、娼婦としてまあ、楽しく過ごしている時に出会ったのが、アーヴァイン・オルグレン。二つ年下の魔術師だった。
根暗で人付き合い悪く、魔術師の先輩に言われて渋々やって来て、一番性格がいい娼婦と難題をつけて指名され、いざ出会ったら自己紹介もままならぬうちにベッドに横になった。
「すまんが寝る」
一番の売れっ子娼婦を目の前にして、彼は本当に寝てしまった。
仕方ないから子守唄を歌ってあげたわね。
そしたら久しぶりにゆっくり眠れたらしく、研究対象にされた。
以来指名しては子守唄を歌うだけで何をするわけでもない。魔道具や魔法の研究が大好きだという彼は、性欲を満たすよりそっちを満たす方がいいらしい。
すっかり珍獣扱いで、でも娼婦という事を忘れさせてくれる唯一の人だった。
それから打ち解けて、ここに来た理由を話して。
そしたら「俺がここから出してやる」なんて言って。
鵜呑みにしていなかったけれどその内珍獣扱いが丁寧になっていった。
初めて娼婦として接した時は、色々ブツブツ言ってたな。
「こういう事他の男にもすんのやだから早く金貯める。俺の金だけで出すからちょっと待って。本当は嫌だけど仕方ないけどあーやだなーもー」
私を独占したいらしい。親に言えば出してもらえるかもしれないけれど、自分だけの女にしたいから誰の助けも借りないのだとか。
肌を合わせて絡み付きながら愚痴る彼の本気がどれくらいのものかは分からない。
頑固で変人で、バカで可愛い人だった。
──だから、研究者だった彼が何故か前線に配属されたと聞いた時は心臓が凍り付きそうだった。
「ちょっと調べモンしてんだよね。前線から帰って来たら教える。あんたが幸せになれるように」
そう笑って行った彼が戻る事はなかった。
同僚だと言う人が訃報を届けに来た時、息ができなくて倒れそうになった。
何故、どうして、と怒りが湧いて、配属した王太子を恨んだりもした。
研究者だった彼が実戦向きではなかった彼が前線に追いやられた理由が分からず、同僚も歯を噛み締めていた。
本気の恋をすると辛いよ、と姐様に言われていたが、恋だったのかは分からない。ただ、夢を見てしまった。
だがアーヴァインの両親から、彼が持っていた爵位を譲り受けた。
結局、娼婦は辞められなかったが、名前だけは貴族になって何だか滑稽だった。
その後、繁盛していたはずの娼館が摘発され潰れてしまった。
仲間たちとも散り散りになり、売れっ子だった私は場末の娼館に追いやられた。
今までの店とは質も態度も違う。
ここで朽ち果てるのかと思ったが、不治の病気になった事で追い出された。
実家に戻ってみようかと思ったが、門前払いをされた。
「こんなところにいた……」
仕方なく貧民街で物乞いをしていたら、ラファエル様の部下に見つけられて保護された。
彼が何故私を探していたのかは分からない。
娼婦をお望みなら、と思ったがそうではないらしい。
八つ下の彼とは接点も無かった。
だが、実家にも戻れない私に終の場所を与えてくれた。それだけで感謝している。
それどころか姪のセリーナにも出会えた。
ずっと避妊薬を飲み続けていた私は、おそらくもう子どもは望めない。
私そっくりの姪。
あの二人の罪を突き付けるかのような容姿で、両親に煙たがられていた。
残り少ない命、あなたに託していいかしら。
できたら、私をこんな目に合わせた奴らに仕返しもしたいかな。
私は死ぬ事は恐れていない。
たぶん、あのバカな男が気まずそうに迎えに来てくれるだろうから。
けれど、セリーナの幸せだけは見届けたいな。
「随分と淑女を待たせるのね。それでも紳士なのかしら」
セリーナを私の養女にする書類をテーブルに並べ、条件が書かれた誓約書をウィリアムの前に出す。
アーヴァインに教えてもらった魔法誓約書だ。
これに署名すれば、簡単には破れないらしい。
ウィリアムは手に取り、興味なさそうに眺めている。
「俺は何一つ納得していないが、チェルシーが言うから仕方なくだ」
「随分と尻に敷かれているのね。まあ、あの子のおかげでスムーズにいったからいいけれど」
ウィリアムはチッと舌打ちをして、持っていた誓約書をテーブルにひらりと落とした。
「……誓約書に署名する前に条件がある」
「なにかしら?」
「お前を抱かせたらサインしてやる」
下卑びた笑みを浮かべた男に、すうっと目が細くなってしまうのは仕方がない。
娼婦をやっていたとき、こんな不遜な態度の輩はいくらでもいたわね。懐かしい。
「奥様が邸内にいらっしゃるのに勇気のある御方だこと。チェルシーに見られたらどうするの?」
「……チェルシーは今日はいない。友人の夜会に出席している」
「あら。あなたは行かなくていいの?」
「女性のみが参加できる夜会だ」
嘘だわね。おそらく仮面舞踏会か秘密の夜会か。
時折そういった主旨の夜会への同伴もあったから予想は当たっているだろう。
真実の愛で結ばれた二人なのに、真実は見せかけだけというのが滑稽だわ。
「書類にサインしてくれるならば構わないけれど、私は余命僅かの病人よ? あなたに感染するかもしれないわ」
「口付けしなければ構わないだろう」
おぞましいわぁ。気のせいか何だか鼻息荒いし。
でも、まあ、セリーナのためだわ。ここはひと肌脱ぎましょうか。
「娼婦を抱くならば雰囲気作りが必要よ。お酒はある? 呑みながらまずは会話をしましょう」
ウィリアムは警戒しながら使用人を呼び酒を準備させた。
流石は公爵家。高価なグラスに氷まで準備されている。
使用人を下がらせると、グラスに氷を注いでいく。娼婦の商売は客に選ばれた時から始まっている。
男がその気になるような仕草、付かず離れずの適度な距離、縋ってはダメ。鼻先に獲物を吊るして相手の出方を待つの。
「どうぞ」
カラン、とグラスで氷が踊る。
琥珀色の液体は、全てを覆い隠してくれるから好きよ。
だがウィリアムは膝に拳を置いたまま動かない。
舌打ちしたいのを堪えながら隣に座り、そっと手を重ねた。
「緊張しているの? まさか、女を抱くのは久しぶりとか?」
「そ、そんな事は無い。昨夜もした」
はい嘘ー。見栄っ張りな男。公爵家当主のくせに愛人の一人や二人いない冴えない男をチェルシーがいつまでも相手にするわけがない。
「そう? ほら、緊張が解れるわ。それとも、口移しがいいかしら?」
顔を真っ赤にしたウィリアムは、ゴクリと唾を呑み込み私の手を払い除けてグラスを取るとグイッと飲み干した。
テーブルに乱暴にグラスを置き、袖で唇を拭う。
案外一途なところは見直しかけたが、結局その気になるのね。
「飲んだぞ。ベッドに……」
勢いよく立ち上がったウィリアムが、その場にへにゃりと崩れ落ちた。
面倒な事をしなくて良かったから単純な男で助かったわ。
「はにを……ひた……」
「ちょーっとしたスパイスを混ぜたの。あなたが愚かな男で助かったわ」
ひゅー、ひゅーと音がする。上半身は動けるはずだが、ちょっと効きすぎたかしらね。
「さ、ここにサインして」
「ぐ……断う」
「いいの? 早くこれを飲まないと、全身痺れちゃうかもよ?」
小瓶に入ったモノをチラつかせ、テーブルに突っ伏す男を見下ろす。
「寄越へ!」
「サインが先よ」
ままならない身体を動かすが、さすがに動き辛いようだ。
「ほら、早く飲まないとあなたの大切な下半身が使いモノにならなくなるわ? ……もっとも、今も使用しているかは分からないけれど」
ウィリアムの顔が分かりやすく真っ赤になる。
チェルシーに相手にされないなら、他に行けばいいのに。浮気は得意なんだし。
ウィリアムは暫くもがいていたが、やがてペンを取り署名した。
「れんう……書いた。はやく……」
全ての書類にサインがされているのを確認して、テーブルの端に小瓶を置く。
私が無事に戻るまでの時間は必要だ。
「ありがとう。じゃあ、今日の事はチェルシーにちゃんと伝えてあげるわね。当主様から身体を強要されました、ってね」
信じられないようなものを見るように驚愕に目を見開いた彼を一瞥して扉へ向かう。
「まれ! やめろ!」
あらあら、ちょっと暴れ過ぎじゃない?
小瓶が床に転がっていってしまったわ。
まあ、小瓶の中身は解毒薬ではなく、ただの砂糖水なんだけど。
心配しなくても時間の経過と共に痺れは良くなるはず。
「さようなら、元婚約者さん」
あなたがクズな男で良かったわ。
書類はそのままアデライン様に預かってもらった。あとは婚約関連ね。先が思いやられるが。
「ハイランド侯爵夫人と渡りをつけたわ」
まずは久しぶりに旧友との再会を心待ちにしよう。




