13.祖父母の馴れ初め
「それにしても、痛かったでしょう。赤くなっているわ」
「……平気です」
「我慢はよくないわ。少し待ってなさい」
「あっ……」
止める間も無く伯母は部屋を出てしまった。
仕方なくソファに座り、痛む頬を押さえる。
母が激昂したのは初めてだった。
驚いて、ショックで、信じられず呆然としてしまった。
母はいつまでも少女のようにふわふわしていて、──祖母から公爵夫人としての仕事を任せてもらえていない。
祖母は母と極力接触するのを割けているように思う。
伯母とは話しているから、単に折り合いが悪いのかな、とは思うが。
伯母が桶に水を入れて持って来た。
使用人にさせればいいのに、と慌てて立ち上がる。
「ああ、座ってなさいな」
「伯母様に使用人の真似事をさせるわけにはいきません」
「いいのよ。娼婦は自分で身支度しなきゃいけなかったの。自分でやった方が早いのよ」
テーブルに桶を起き、中に浸してあるタオルを絞って差し出した。
「それにしても、チェルシーが叩くなんて、あなた何を言ったの?」
「別になにも……」
濡れたタオルを頬に当てると、冷たくて気持ちいい。じんわりと熱が引いていく気がした。
「羨ましいな、と思ったんです」
「羨ましい?」
「はい。シェリーは母と同じ金髪で、キラキラしてるから『シェリーはお母様と同じ』と言ったら……妹を侮辱するの? って」
「……ナニソレ」
伯母は思わずふくっと吹き出してしまった。
私からすれば笑い事ではないのだけれど。
じとっとした目で見れば、伯母は苦笑した。
「ごめんごめん。あー……でも、うーん。もしかしたら……でもなぁ」
「なんですか? 心当たりでもあるんですか?」
「いや、うーん。私の勝手な推測なんだけど。もしかすると、チェルシーは略奪した事を気にしてるのかもなぁ、って」
腑に落ちなくて眉間に皺が寄る。
母は常に自分は意に沿わず身代わりになったのだと言っていた。
悲劇のヒロインに浸っていたのだ。
略奪したという意識があるとは思えなかった。
「母はたぶん、そんな人じゃないです」
「まあ、そうね。略奪した事に罪悪感を感じる子じゃないわね」
「でも、シェリーも引くくらいの変わりようで不気味でした」
優しい人ほど怒ると怖いというが、あれはどちらかといえばホラーの類だ。
母の本音が分からず、気分は下方気味だ。
そんな私とは逆に、伯母はふむ、と何かを思案している。
「今のあなたの妹が、当時のチェルシーと同じという風に受け取ったのかしらね。姉の婚約者と必要以上に親しくする、って社交界でも少し言われていたし。案外、美談にしているのは一部だけかもしれないわ」
思えば父と母の話はできすぎているのだ。
駆け落ちした姉の代わりに妹が嫁ぎ、旦那様に溺愛されているなんて、そんな都合良くいくわけがない。
ましてやそれが元々愛している人だなんて、元の婚約者をバカにしているのかと思うだろう。
「確か、母が言うにはモニカ様と王太子殿下がとりなしてくれたそうです」
社交界で孤立していた両親に親身になってくれたのがその二人らしい。
「モニカは友人だから、で通じるけれど、一時期チェルシーと噂のあった王太子殿下もなのね」
「ええ。夜会なども二人が一緒にいてくれたから、徐々に信用が回復していったのだと。モニカ様は公爵家に遊びに来たかったけれど、王妃殿下が絶対に許さなかったとか」
そういえば何故王妃殿下はモニカ様を公爵家に頑なに寄せ付けないのだろう。
その理由が祖母だというのも気になる。
「何故王妃殿下は拒むのでしょうか」
「ああ、それはね。アデライン様は元々トラヴィス様との婚約が濃厚だったらしいわ。いわゆるライバルね。けれど、先代公爵がアデライン様に横恋慕して奪ったそうよ」
「えっ」
祖母の意外な過去の話に目が丸くなる。
まさか王妃候補だったなんて。
「先代公爵の話は聞いてる?」
伯母の質問に頭を振る。
祖父は私が生まれる前に既に鬼籍に入っていた。私と話してくれる祖母から、祖父の話が出た事は無い。だから、歴代当主の肖像画で知るのみだ。
どんな顔かは記憶が曖昧だが、確かがっしりした印象だった気がする。
「先代公爵──ヒューバート様はね、騎士だったの。当時王太子だったトラヴィス様の護衛ね。まあ、それでトラヴィス様と仲の良かったアデライン様に横恋慕して、略奪したらしいわ」
祖父母の思わぬ馴れ初めに息を呑む。
まさかそんな経緯があったなんて、初耳だ。
「その後、騎士団長にまで登り詰めた。私が見た時はオフィーリア様の護衛をされていたわね」
よほどの実力があったのだろう。
歴代当主の肖像画の中の祖父を思い出す。
ああ、そういえば、確か金髪碧眼の美丈夫だった。社交界で女性が放っておかないような、見目麗しい方。
父は祖父には似ていない。祖母の血が強いのかもしれない。
「体型ががっしりして健康そうなのに、早くに亡くなられたのですよね。確か四十くらいだったと聞きました」
「そうね。原因不明の急死だったから、私もアデライン様をサポートするのに忙しかったわ。まさかその間に寝取られるなんて思いもしなかったわね」
父親が亡くなって傷心の父を慰めてくれた恩人だと言っていた。
伯母は父を放置して優しさの欠片も無いと言われていたが、ちゃんと理由はあったのだ。
でも、もし祖父が生きていたら、両親の仲は発展しなかったかもしれない。
そうすると、私は生まれていないわけで。
──もしかして、私の存在自体、罪の証なのではないかしら。
「あ、でも、私と結婚していたら、セリーナは生まれなかったかもしれないのよね」
「なんだか……ごめんなさい」
「気にしないのよ。子どもに罪は無いのだから」
「私、伯母様の娘として生まれたかったわ。同じ黒髪だし」
そしたら最初から愛してくれただろうか。
「よし、養女の手続きを進めましょうか」
満面の笑みの伯母を見る。
本当に、親子だったら良かったのにな、と思ったがそれは叶わぬ夢だ。
「お願いします」
だからせめて、養女になれるようにと願ったが、中々前途は多難らしい。




