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第17話 サイクロプス

ポタポタ…ポタポタ…


「ん…」

冷たく固いテーブルの上、上体を起こすと貼り付いた頬がペリペリと天板から剥がれた。

倒れたグラスの中身が床に滴り落ちている。


カーテンから漏れる光は少なく、薄暗い室内はアルコールの匂いが充満している。

ズキズキと締め付けるように、警鐘を鳴らすかのように、耳鳴りを伴った頭痛が冷静さを失わせる。


視界が上昇するにつれ広がっていく世界。


部屋の中央では赤い水溜まり、赤い髪の女性が沈むように横たわっていた。


頭から水分だけが奪われていくような感覚。

サーッと音を立て視界から彩色が失われる。


「ミリ…」


ガシャンッ!


椅子から立ち上がろうとしたがそれは叶わなかった。

足環が右足首に食い込み、鎖は大きな金属音を鳴らした。


「ミリア!ミリア!」


反応はない。


義手で足環を叩く、鎖を力任せに引く。

脱出の糸口にはならない。


後は?出来ることは?


机をどかし見渡すと、マクロニカの長剣が床に落ちていることに気付いた。

まさかあれでミリアが…?

いや、剣に血は付いてない。

それより、手を伸ばせばギリギリ届きそうだ…


ガキィィイン!


長剣で鎖を思い切り叩くが傷一つ付かなかった。

鎖を叩き切ることは出来ない…


この剣は何故手が届くところに置かれていた…?

意図的だとして、鎖を切る為では無い…

つまり…


師匠ならくっ付けられるかもしれない…

もしそれがダメでも義手と義眼と同じになるだけ…


「ふぅ…ふぅ…」


呼吸を整えた後、大きく息を吸い込み、止めた。


覚悟を決めろ…


コンコン


「アインツさん、起きていらっしゃいますか?

開けますよ?」


カチャリ


入ってきたのはルーベルだった。

「ひゃぁっミリアさん!

大丈夫ですか!?」


ルーベルは高級そうな服が汚れるも構わず、ミリアを抱き起こした。


「うっ…

ルーベルさ…」

ミリアが呻きながらゆっくりと目を開けた。


良かった!生きて…

「ううっ!

オロロロロロッ!」


ミリアは嘔吐した。




数日後…

【王都バルバド】


「それでそれで?

どうして鎖に繋がれてたんだい?」

左目の泣き黒子が微笑みかける。

前のめりに続きをねだる姿は10代前半の少女としか思えない。

長く延びた艶のある黒髪がソファの手すりを撫でている。


「はい

鎖は要塞内で虜囚を幽閉する為に用意されていた物で、マクロニカが持ち出したようです

マクロニカはミリアに唆されて僕を無力化する手伝いをしたって話でした…

あの…こんなもんで良いですか?師匠」

目をつむってうんうんと楽しそうに話を聞いていた師匠が僕の目を見た。


全くの感情が籠らないような、何か深く伝えたい言葉を隠してるような、僕には判断がつかない。

師匠は無言のまま、そんな目で真っ直ぐと僕の目を見つめる。


「あ、えっと、つまりですね…」

この目で見られると何も言い返せなくなる…


コンコン


「カンナ様、準備が整いました」

ノックと共に扉の向こうから緊張が混ざった真面目そうな声が響いた。


「うん、アインツ

そろそろ行こうか」

師匠が少しだけ口角を上げた。


「行く?」

椅子から降りた師匠を見下ろす形で尋ねた。

「訓練場を補強して貰ったんだ

君が命懸けで手に入れた聖遺物、あれを使うためにね」

師匠が上目遣いで微笑む。


「アインツ、いよいよだよ

君の妹が結んだ悪魔との契約を解除しに行こう!」


◆ ◆ ◆


「はぁ…

見ちゃったよ…

生カンナ様…」

あぁ…可愛かったなぁ…

私より年下にしか見えないのに伝説の魔女!

もう感動だよ…


「またその話っすか?」

ここは王都城下町の酒場。

席の正面にはマクロニカが座ってエールを煽った。

「もう聞き飽きたっす

もう3日っすよ!」

ポニーテールが上下に揺れる。


「私はまだ浸ってたいの!」

私の前でこれ見よがしにお酒飲んで!


「それより気にならないんっすか?

アインツさんと別れてからも3日経ってるってことっすよ?

アインツさんが戻らないとあっしもミルソルに戻れないんすけど…」

マクロニカが視線を机に落とす。

その声は途中から酒場の喧騒に飲み込まれていった。


「そっかマクロニカは、ルーベルさんからアインツさんの手伝いをしろって怒られたんだよね」

私は甘辛く煮た豆をパンに乗せ、1口齧った。

「誰のせいっすか!?

ミリアさんの言うこと聞かなければこんなことなって無いっすからね!」

マクロニカの顔がみるみる赤くなる。

ポニーテールが上下左右に荒ぶった。


「アインツさんが気にならない訳じゃないよ?

でも気にしてても仕方無いって言うか…」


カランカラン…


「おやっさん、また…

げぇ!」

酒場の入口の方で叫び声が聞こえた。

聞き覚えのある声に振り返ると赤い髪の男が出ていくのが見えた。


「お兄ちゃん!」


◆ ◆ ◆


王都の訓練場。

広い土地は円を描くように鉄柵で囲われ、槍、剣、盾、鎧、王都で手に入るあらゆる武具が揃えられている。

中央にはミルソルの遺跡で手に入れた聖遺物が置かれている。

師匠が鑑定したところ、悪魔との契約を解除する聖遺物で間違いないとのこと。


太陽は真上から容赦なく照り付けている。


「良いかい?

契約を解除する人間に遺物を持たせて、誰かが魔力を込めると契約解除の儀式が始まるよ」

師匠が遺物を指差し説明する。


「儀式?

魔力を込めるだけじゃ終わらないってことですか?」

思わず師匠に疑問をぶつけていた。


「うん、儀式開始とね

契約した悪魔が実体化するんだ

それを倒すことで契約解除が完了するよ」

涼しい表情のまま師匠は説明を続けた。

「悪魔が実体化?

倒すって殺すってことですか?」

そもそも悪魔って殺せるものなのか?


「ふふふ、まあそこは今考えても仕方ないよ

心臓か脳を潰せば終わり、それだけ覚えておいてね」

修行時代に何度も見た、これは師匠が試練を与えて僕の力を測る時の表情だ。

わかってはいたけど、師匠からすればまだまだ未熟者か…


「ほら来たよ

君の妹だ」


師匠が指差す先、訓練場に連れてこられたのは全身を拘束した女性だった。

彼女は引き千切らんばかりに身体をよじり、悲痛な呻き声を上げている。

食い縛った猿ぐつわ代わりの白い布は朱に染まっていた。

師匠と共に保護したから何度も顔は見ている。

でも名前も知らないし妹って実感がまるで湧かない…


「そうそう、がっかりしないように先に教えておくけどね

契約解除に成功しても妹のことは思い出せないよ」


◆ ◆ ◆


ドンッ!


「ぐぇ!」

投げたリンゴが兄ロアンの後頭部を的確に射貫く。

ロアンは痛みと衝撃でよろよろとバランスを崩した。


「マクロニカ!今だよ!」

掛け声と同時に駆け出したマクロニカがロアンに体当たりし、そのまま地面に押し倒した。

「捕まえたっすよ!」


「は、ははは

久しぶりだね…ミリア…

元気だった?」

ロアンが地に伏したまま見上げ、情けない挨拶を絞り出した。


バチンッ!


「バカ!バカ兄!」

今はビンタ1発で許す…

続きは宿屋で聞かせて貰うから…


◆ ◆ ◆


「じゃあ早速魔力を…」

城の兵士により、拘束衣の懐に契約解除の聖遺物が押し込まれた。

僕は魔力を込める為にそれに近付いていく。


が…


「待ったアインツ」

虚を突かれた僕はその場に立ち止まった。


「君が聖遺物に魔力を込めたら倒れるだけだよ

君の魔力じゃあ足りないからね」

師匠は僕を呼び止めるとおもむろに横たわる妹に近付いていった。


師匠は傍らにしゃがみ込み、拘束衣の膨らみに手を添えた。


すると辺りは灰色に染まる。

降り注ぐ太陽光を遮るように何処かから現れた白い靄が訓練場全体を包み込む。


◆ ◆ ◆


「痛!

引っ張るなよミリア!

ちょ!聞いて!」

あー雑音が聞こえるなぁ…

宿屋遠いなぁ…


無駄に重い喋る荷物を引きながら宿屋を目指した。


「ん?

あれ!

あれ見て!」

あーまた騒いでる…


「み、ミリアさん!

あれ見るっす!」

ん?マクロニカ?


マクロニカが指差す方向を目で追っていくと…

そこには…


◆ ◆ ◆


「こいつが…」

僕は佇む巨体を見上げていた。


「そう、これが神話の怪物

1つ目の巨人、サイクロプスだ

君が過去に戻る道に立ち塞がる、越えるべき壁さ」


戻り道のキュクロープス

第一部 完

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