表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
En-Ishi~縁~  作者: 代々木のぶ
2010年 新橋編
5/54

20100401 コピー機とシュレッダー

 将吉は、三種軍装の襟を正した。

 マリアナの潮風とガソリンの匂いが染み付いた、誇り高き緑褐色の軍服。その腰に短剣をき、左手には最新鋭のiPhone 4。

 安曇野の教室に立つその姿は、あまりにも異様で、けれど射抜くような気高さがあった。

 永子は温かい眼差しで将吉を見送る。

「…さあ、行きなさい。新橋の戦場へ」


――――――――――――――――――――


 新橋、Rコンサルタント・オフィスにて


 正博は、桔川からの「資料不足」の指摘に冷や汗を流していた。

「おーい小林、この資料のコピー、部数足りないぞー」

 と早口で詰められ、

 「すみません! すぐにコピーしてきます!」

 と慌てふためく。

 「小林〜、時間は金だぞ〜。三分で戻ってこいよ〜」


 桔川の早口なプレッシャーに、正博の膝がわずかに震える。その背後、一歩下がった場所に、将吉が音もなく立っていた。

 将吉は鋭い眼光で、正博を追い詰める桔川を睨みつける。


「なんだ、このヒョロ長い男は……。正博! 怯むな、たかが紙の束ではないか!」


 将吉が叫ぶが、当然、正博には聞こえない。

 すると、正博のデスクの隣、安江紀子の背後に、空気を歪ませるほどの巨大な圧力が現れた。

 重厚な大鎧の擦れる音。鹿角の兜を頂いた、身長二メートル近い大男が、腕組みをして将吉を見下ろしている。


「……新入りか。海軍とは、随分と新しい世の武士だな」


 将吉は驚き、その大男を見上げた。

「……貴殿は?」


「安江の先祖、陸奥の守護よ、安倍道忠と申す。……案ずるな。お主のあるじは少々頼りないが、筋は悪くない。まずはその『黒い板』の使い方を覚えろ」


 反対側のデスクでは、星野希美の背後に、煙管キセルをくゆらせる艶やかな女将が、くすくすと笑いながら算盤を弾いていた。

「あらあら、威勢がいいこと。でもねぇ軍人さん、ここは空の上じゃないのよ。数字と計算がすべて。……さあ、このお馬鹿さんをどう助けるのかしら?」

 今度は、名を聞かずとも魂を伝いこの女将の名前が将吉の耳に入ってきた。

 江戸中期、日本橋で隆盛を極めた大店おおだな黒木屋くろきやの女将。その名は「お慶」。

 表向きは頼りない番頭を立てつつ、裏で全ての帳簿を掌握し、冷徹な損得勘定で店を立て直した「中興の祖」。だ。

 星野のロジカルで冷淡な所作は、彼女の「一文の損も許さぬ」という厳しい商売哲学の現れのようだ。手にするかんざしは、かつて浮ついた番頭の尻を叩いた「お仕置き」の道具。


 将吉は、iPhone 4を強く握りしめる。

 平安の武者、江戸の女将、そして昭和の飛行兵。

 カオス極まる「守護霊の島」で、将吉の新しい戦いの火蓋が切って落とされた。


「小林ー、あと二分だぞー! 遅れると会議の空気が死ぬからなー!」

 桔川の甲高い声が、フロアに響き渡る。

「は、はい! すぐに!」

 正博は、クリップで留められた分厚い「営業戦略マスター資料」をひっ掴み、座席を蹴立てて走り出した。


 この資料は、桔川が昨晩遅くまでかけて修正した、世界に一冊しかない原本だ。これを二十部、ホチキス留めありでコピーしなければならない。初出勤の緊張で手足が痺れている正博にとって、それは爆弾を運ぶような任務だった。


「急げ、正博! 敵機来襲だと思え!」


 背後を並走する将吉が叫ぶ。軍靴の音は現世の人間には聞こえないが、彼のまとう殺気は、正博の「焦り」を増幅させていた。


 正博が飛び込んだのは、フロアの隅にある薄暗いコピー室だ。

 そこには、巨大な複合機と、その隣に威圧的に佇む大型の自動シュレッダーが並んでいた。二〇一〇年。ペーパーレス化の波はまだ遠く、コピー室は常に熱気とトナーの匂いで満ちている。


「ええと、部数は二十……両面、左上ホチキス……」


 正博の視界が、焦りで狭窄していく。

 隣のシュレッダーが「グォォォォ」と、誰かが放り込んだ不要な書類を飲み込む音を立てていた。その轟音にさらに動揺した正博は、あろうことか、左手に持った原本をコピー機の給紙トレイではなく、稼働中のシュレッダーの投入口へと吸い寄せられるように差し出そうとした。


「おい、馬鹿! そっちは肉挽き機だ!」

 将吉の叫びも虚しく、正博の指先がシュレッダーのセンサーに触れる。

 センサーが反応し、回転刃の音が一段と高くなる。あと一秒で、桔川の血と汗の結晶は数ミリ幅のうどん状に姿を変える。


「……これを使うのか!」

 将吉は、左手に握ったiPhone 4を掲げた。

 永子から教わった「同期」の感覚。意識を集中させ、硝子の板の表面を震える指でなぞる。


「『すらいど・あんど・おん』……頼む、止まれッ!」


 将吉がiPhoneの画面を力任せにスワイプした瞬間、端末から目に見えない青白い火花が散った。iPhone 4という、当時としては「未来の演算能力」を持った神具が、二〇一〇年の旧式なシュレッダーの制御基板へと、霊的な過電流を叩き込む。


ガチンッ!


 シュレッダーから火花が飛び、異音と共に緊急停止した。正博の持っていた原本が、投入口に数ミリ吸い込まれたところで止まる。


「ひっ……え、あ、あれ?」


 正博は我に返り、自分が原本をどこに入れようとしていたかに気づいて凍りついた。

「……シュレッダー? 俺、何を……」


「おやおや。死ぬところだったねぇ、その紙切れも、あんたの子孫のキャリアも」

 コピー室の壁際に、お慶が不敵な笑みを浮かべて立っていた。煙管から吐き出された紫煙が、止まったシュレッダーを揶揄するように漂う。


「でもまあ、新入りさん、なかなかやるじゃない。その『黒い板』、随分と筋がいいわ」

 将吉は肩で息をしながら、お慶を睨み返した。


「……お喋りは後だ。正博! 早くその箱に入れろ! 間に合わんぞ!」

 正博は震える手で資料をシュレッダーから引き抜き、今度こそ正しいコピー機のトレイにセットした。

 高速で吐き出される資料。ホチキスの「ガチャン、ガチャン」という小気味よい音が、まるで将吉には対空砲火の音のように聞こえた。


 二分後。

 正博は、出来立ての資料を抱えて会議室へ滑り込んだ。


「セーフだ、小林。……お前、顔真っ白だぞ? 大丈夫か?」

 桔川が不思議そうに資料を受け取る。


「あ、はは……コピー室のシュレッダーが壊れちゃったみたいで。ちょっと、びっくりしました」

 正博が自分の席に戻り、深々と椅子に沈み込む。

 その横で、将吉はiPhone 4を懐にしまい、誇らしげに腕組みをした。

 安江の守護霊安倍道忠も廊下から無言で頷いている。


「……ふん。操縦桿よりは軽いが、なかなかに骨の折れる任務だな、これは」

 将吉の額には、現世の人間には見えない汗が光っていた。

 こうして、小林正博の東京本社初日は、前代未聞の「霊的サイバー攻撃」によって救われたのである。


―――――――――――――――


 新橋のガード下。ひしめき合う赤提灯の熱気と、頭上を走り抜ける山手線の轟音が、現世と隠世かくりよの境界を曖昧に溶かしていく。


「小林くん、今日はお疲れ様。初日からあんなトラブル、災難だったわね」


 安江紀子がジョッキを傾け、豪快に笑う。隣では星野希美が、枝豆を剥きながら「シュレッダーの基板が焼けるなんて、論理的には説明がつかないわ」と、相変わらず冷ややかな視線を正博に投げかけていた。


 そのテーブルの端、正博が座る丸椅子のすぐ後ろ。現世の人間には見えない「寄り合い」が、より濃密な空気を纏って繰り広げられていた。


「……狭い。あまりにも狭いぞ、この『いざかや』という場所は」


 三種軍装の将吉は、肩身を狭そうに身を縮めていた。

 無理もない。隣には、鹿角の兜をつけた安倍道忠が、大鎧をガシャガシャと鳴らしながら三座分ほどのスペースを占拠しているのだ。そしてその向かいでは、江戸の女将・お慶が、煙管の煙をくゆらせながら、将吉のiPhone 4を値踏みするように眺めていた。


「新入りさん、あんたの子孫あるじは随分と骨抜きだね。あれじゃあ、いい縁も逃げていくよ」

 お慶が、正博の情けない飲み方を指差して鼻で笑う。将吉はムッとして言い返した。

「正博はまだ慣れていないだけだ。……それに、縁を繋ぐのは俺の任務だ。永子姉ちゃん……いや、先祖会からもそう命じられている」


 すると、それまで黙って酒(霊的な雫)を煽っていた道忠が、地響きのような声で口を開いた。

「……将吉よ。心得ておけ。人の世の『縁』とは、我ら守護霊の『合戦』でもあるのだぞ」


「合戦……ですか?」


 道忠は、安江紀子の背後から、正博をじろりと見つめた。

 「次郎左衛門殿が申したであろう。『伴侶を見つけよ』とな。だがな、守護される人間同士が惹かれ合っても、我ら守護霊同士の折り合いが悪ければ、その縁は立ち消える。逆もまた然り。我らが認めぬ相手との婚姻など、一族の格が許さぬわ」


 将吉は絶句した。

 つまり、正博が誰かを好きになったとしても、その背後にいる守護霊が、例えば道忠のようなコワモテの武士で、将吉と激しく衝突するようなことがあれば、その恋は成就しないということか。


「商売と同じだよ」

 お慶が煙を吐き出し、算盤を弾くような仕草を見せる。

「守護霊同士の相性は、そのまま血の『格付け』なのさ。あんた、あの子に嫁を迎えたいなら、まずは相手の守護霊と『商談』ができるようになりな。……ま、その軍服姿で、どこまで他所よその女将さんや武士を口説けるか見ものだねぇ」


 将吉は、懐のiPhone 4を握りしめた。

 この板には、周囲の守護霊の「格式」や「相性」をスキャンする機能さえあるのではないか――。


 ふと見ると、正博が安江と星野の間で、情けなくも楽しそうに笑っている。

 その背後で、道忠とお慶が不敵な笑みを浮かべ、将吉を見定めていた。


「……なるほど。空中戦より、よほど複雑な任務になりそうだ」


 将吉は、自分に注がれた霊酒を一気に飲み干した。

 正博を一人前にすること。それは、現代のオフィスを生き抜かせるだけでなく、この「時代錯誤な猛者たちがひしめく守護霊界」において、最高のご縁を勝ち取るための外交官になることでもあったのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ