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En-Ishi~縁~  作者: 代々木のぶ
2010年 討伐編
40/54

20100923 近江への翼と松葉杖

 有明の激闘が終わりを告げ、夜が明ける直前の二〇一〇年九月二十三日、秋分の日の黎明。

 浜離宮恩賜庭園のそばに広がる東京湾の海面は、うっすらと白み始めた空を映して静かに波打っていた。

 先ほどまでの激しい硝煙の匂いは朝の潮風にかき消され、ただ凛とした冷気が漂っている。


 その時、海上に漂う夜の残り霧を割って、巨大な影が滑り込んできた。

 海軍の誇る世界最高の飛行艇――「二式大型飛行艇(二式大艇)」である。四基の発動機が重厚な低音を響かせ、波飛沫をあげて見事に着水した。


 機体横のハッチが開き、中から一人の空の男が顔を出した。

 かつて空母「翔鶴」の九七式艦上攻撃機や天山艦上攻撃機で、将吉と固い絆で結ばれていたペアの機長・黒田である。


「よう、小林! 骨の折れる戦いやったな。皆、無事か?」


 黒田が機体から飛び降り、浜離宮の岸壁へとやってきた。

 彼がこの巨大な飛行艇と一緒にやってきたのには、重大な理由があった。

 ヤーコフと鬼の門に霊力を極限まで吸い取られ、衰弱しきった志乃を、本格的な治療のために移送するためである。


「志乃さんの容体、相当悪いみたいやな。ここより、近江へ運んだ方がええ。

 近江の安土町に、沙沙貴神社ささきじんじゃいう、佐々木氏の総本山があるんや。そこで神水の霊力をもろうて、じっくり魂を休めんとならん。」


 将吉の顎が右上にせり上がり、上目遣いになる。

「んん?黒田どういうことだ?ささき??」


「……実はな、俺の先祖も、あの山岡景隆殿の先祖と同じく、元をたどれば宇多源氏・佐々木氏の血を引いとるんよ。せやから、総本山の神域なら俺らの霊力も一番馴染むし、志乃はんを癒すには最高の場所なんやわ」


 黒田は近江弁の柔らかな、しかし確信に満ちた口調でそう説明した。

 そこに次郎座衛門が間に入る。


「将吉よ。佐々木氏はのお、奥深い一族なんじゃ。近江ならず方々に縁があるんじゃよ。」


「そ、そうなんですね。いやあ、苗字だけが一族とは限らないと考えれば、確かに安倍殿が安江殿を守護するのもその通りですね…」


「小林、ええから、はよ!運び込むでえ~」

 黒田の掛け声に呼応し、遊撃隊の面々によって、担架に寝かされた志乃が丁寧に二式大艇の機内へと運び込まれていく。

 将吉がその傍らに付き添い、心配そうに覗き込んだ。

 志乃は青白い顔を少しだけ動かし、将吉を見つめると、今にも消え入りそうな小さな、かすれた声で呟いた。


「……将吉ど‥の……。勝利、おめでとう、ございます……。また……後ほど……」


「ええ。安心して休んでください。必ず、また会いましょう」


 将吉が優しく微笑んで手を握ると、志乃は安心したようにそっと瞳を閉じた。

 志乃の看護と警護のため、総大将山岡景隆も共に大艇へと乗艦する。

 ハッチが閉まり、四基の大型エンジンが再び爆音を上げた。

 二式大艇は朝焼けに染まり始めた東京湾の海面を力強く蹴り、白い航跡を残して大空へと舞い上がった。

 西の空、近江の地を目指して遠ざかっていく白銀の機体を、将吉はいつまでも、いつまでも見送っていた。


 浜離宮の救護所では、他の負傷兵たちが凛やお慶による懸命な霊力注入を受け、劇的な回復を見せていた。悪堕ちの危機を脱した英霊たちは、それぞれの表情に勝利の安堵を浮かべ、守護すべき子孫たちの待つ各地の地へと静かに戻っていく。


「おい、海軍さんよ! あばよ!」

身支度を整えた志村が、悪戯っぽく笑いながら将吉の肩を叩いた。

「また「お松」でいっぱい(酒を)やろうや。いやあ、あの一騎打ち、特等席で見せてもらったぜ」


「ああ、志村さん。ありがとう。また本門寺で」


 志村が軽やかな足取りで霧の中に消えていくと、入れ替わるようにして、次郎左衛門が将吉の元へのっしのっしと歩み寄ってきた。

 彼は満足げに自慢の顎髭をさすり、好々こうこうやのような破顔の笑みを浮かべた。


「いやあ、此度の戦、久方ぶりに血が踊ったわい! 思う存分、鬼退治ができたわ。……さあて、将吉よ。祭り(戦)は終わった。いつも通り、子孫どもを陰から見守る退屈で愛おしい日々に戻るとしようかね」


「はい。戻りましょう(笑)」


二人は、昇ってきたばかりの温かい朝日に身を包まれながら、静かに、現世の守護の日常へと還っていった。


―――――

 九月二十三日の、昼下がり。

 慈恵会医科大学病院のロビー。現世の者は見えない空間に、将吉の姿があった。傍らには、軍服の襟を正した高木少将が、やはり穏やかな表情で佇んでいる。


 この日、検査結果がすべて「良好」と診断され、正博の退院が決まっていたのだ。


 ロビーの奥から、まだぎこちない手つきで松葉杖を突きながらも、晴れやかな顔をした正博が歩いてくる。その隣には、心配そうに、しかし嬉しそうに付き添う母親の和美の姿があった。


「ありがとうございました。翌週からは、なんとか職場にも復帰できそうです」

 お世話になった主治医の内川や看護師達に頭を下げる。


「じゃあ、お母さんが退院手続きしてくるから、あなたはここで待っていて」

 ロビーのソファーにいったん座り、正博は思わず天井を見上げた。

(ふう~~いや~~ほんとに長い1カ月ちょっとだったなあ、なんだか物凄い事が沢山起きたようだけど、ただベットで寝て、リハビリしていただけなんだけど・・)

(ふふ、でもいろいろな人に支えられたから、これからは恩返ししないとなあ…)


 そんな思いに耽る正博の姿を、将吉と高木少将が見守る―――その時。


「小林くん!」


 鈴の鳴るような明るい声に、正博が振り返る。

 そこに立っていたのは、見事な秋の花束を両手に抱えた、星野希美であった。

 あらかじめ正博の退院日を念入りにリサーチしていたらしく、少し息を切らせながらも、まばゆいばかりの笑顔を浮かべている。


「退院、おめでとう!間に合ってよかった。お仕事、来週あたりから戻れるの?」


「あ、星野さん……! わざわざ、ありがとうございます。は、はい、来週の月曜から出社できそうです。まあ、この松葉杖はお供ですが、あははは。」


「ううん。そんなことないよ。私達の仕事ってあんまり歩かないじゃない(笑)。ああ~でも、電車は大変かあ~」


 突如として現れた美女と正博の談笑の場に、カウンターで手続き済ませ戻ってきた母親の和美は一瞬目を丸くしてびっくりした。

 だが、すぐに息子の顔と希美の様子を見て全てを察したのか、口元をにんまりと緩め、深く頭を下げた。


「‥‥‥まあ、正博の母でございます。わざわざお越しいただいて……。入院中も、息子を色々と支えてくださったようで、本当にありがとうございました」


 休日はインドアな希美にしてみると、今回の訪問は思い切った行動だった。

 ゆえに、まさか正博の隣にその母がいるとは思ってもおらず…


「い、いえいえ! 私の方こそ、小林くんにはいろいろと助けられまして。お、お母様、恐縮です!!」


 希美は頬を少し赤らめて丁寧に頭を下げると、正博の松葉杖の足元を気遣うように見つめた。


「じゃ、じゃあ、私は行くね。あんまり無理しちゃダメだよ。Rコンサルタントの皆さんにもよろしくね。」


 そう言い残すと、希美は初秋の高く澄み渡る青空の下、あの、かつて新橋駅の改札前で別れた時とまったく同じように、ふわりと石鹸の香りがする香水を漂わせながら、軽やかに歩き去っていった。


 正博がその背中を少し名残惜しそうに見つめるなか、彼女の背後には、乱れ一つない「深川鼠」の着物を着た守護霊――お慶の姿があった。

 お慶は懐の銀細工の煙管を指先で弄びながら、将吉に向けて、いたずらっぽく片目をウインクしてみせた。


(――兵隊さん。じゃあまた、縁深いどこかでねぇ、、、)


 粋な言葉を心に直接響かせ、江戸の大店を仕切った女の御霊は、子孫である希美を追うようにして、風の中に溶けていった。


 ロビー玄関の袂…

「…はええ…由梨江さん、澪さん以外にもあんた……いいお嬢さんじゃない、どうしたの!?‥う~ん‥というか…どうするの!?」

「な!?、何言ってんの母さん、気が早いって……」


 和美の半分まじめで半分からかうような質問に、正博は苦笑いしながら松葉杖を一歩進めた。

 その親子の行く手を、将吉と高木少将、そして見守った先祖たちは、どこまでも温かい、慈愛に満ちた眼差しで見守りながら、共に病院の敷地を一歩一歩、歩んでいくのだった。

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