20100923 歩兵と航空兵
外骨格を叩き割るような駆逐艦の艦砲射撃と、天空を舞う戦闘機隊の執拗な掃射により、有明を埋め尽くしていた鬼の軍団はいよいよ壊滅の淵に立たされていた。
要塞の強固な城壁が内側から崩壊し、黒い霊気が四散していく。その混乱の渦中、機が熟したことを見計らって、要塞の深奥に潜伏していた将吉たち遊撃隊が、音もなく、しかし疾風のごとき速度で動き出した。
原田隊長を先頭に、影のように廊下を駆ける。
「……接敵ッ!」
薄暗い通路の曲がり角、死角から咆哮とともに数体の鬼の残党が湧き出た瞬間、最前線の原田と志村が同時に動いた。二人は義烈空挺隊として過酷な突入作戦を生き抜いた、近接狂室のスペシャリストである。
彼らが構えたのは、「一〇〇式機関短銃」。
バララララララララララララララッ!!!
狭い通路に、毎分数百発という凄まじい連射音が反響する。
近距離での「面攻撃」に特化した一〇〇式の弾幕は、通路の横幅を完全に制圧する鉄の防壁となり、突進してきた鬼たちの機動力を瞬時に奪い去った。
しかし、短機関銃の拳銃弾だけでは、タフな異界の邪鬼を完全に一撃で仕留めきるには制動力が足りない。そこを、後方に控える将吉たちの「四式自動小銃」が完璧に補完した。
「――仕留める!」
一〇〇式の弾幕によって動きを止められ、完全に無防備となった鬼たちの胸元へ、将吉たちが放つ大口径の小銃弾が正確無比に突き刺さる。
ズドンッ! ズドンッ!!
四式が誇る圧倒的な「ストッピングパワー(阻止能)」。
霊力を孕んだ巨弾が命中した瞬間、鬼たちの肉体は衝撃に耐えきれず、文字通り肉塊となって四散し、そのまま塵へと還っていく。
短機関銃による圧倒的な弾幕の構築(面)と、自動小銃による確実な一撃必殺の破壊(点)。この二つの兵器が見事な調和を見せる先祖会遊撃隊のコンビネーションは、冷徹かつ機械的に前進していく。
「右よし」「左よし」
短いハンドサインと視線の交錯だけで、互いの死角を完璧にカバーし合う。
一分の淀みもない、洗練された殺戮の行進。
通路に転がる瓦礫を踏みしめる軍靴の音だけを響かせながら、彼らは迫り来る脅威を瞬時に、そして跡形もなく排除し、志乃が囚われている最深部の祭壇へと猛然と突き進んでいった。
「……ッ!」
原田隊長が、握り拳を作った右腕を鋭く突き上げる。
「とまれ」の合図だ。遊撃隊の面々は一瞬にして物陰へと身を潜め、銃口を前方へと向けた。
広間の中央。呪縛の光に括り付けられた志乃がぐったりと吊るされている、その祭壇のすぐ傍らであった。崩れゆく要塞の破片が降り注ぐ中、一台の木椅子に、まるで誰かを待ち侘びているかのように、深く腰掛けている男がいた。
ヤーコフである。
膝の上には、長い銃身を持つボルトアクション小銃「モシン・ナガン」が静かに横たえられていた。外の凄まじい砲声が響くなか、彼は遊撃隊の気配を察知すると、ゆっくりと、しかしどこか愉しげに腰を上げた。
「……やっと来たか、ヤポンスキーども。ずいぶんと派手にやってくれたな」
ヤーコフは冷酷な双眸を細め、首の骨をゴキリと鳴らした。その立ち姿からは、赤軍の猛将として幾多の戦場を血で染めてきた圧倒的な圧迫感が放たれている。
「お前たちはどれだけ戦が好きなんだ? ……だが、この娘(志乃)は渡さん。この娘の霊力を連れてここを脱出し、どこか別の場所で必ず再起を図るつもりだ」
なぜか、自身のこれからの計画を朗々と明かすような言動。
しかし、帝国陸海軍の歴戦の猛者の中でも、特に死線をくぐり抜けて厳選された遊撃隊の面々は、たかだか二十三歳の若造の言葉を聴いた瞬間、一斉にふっと鼻で失笑した。
(……お前が本当に、そんな地味な再起を望んでいるわけがない。)
(……お前はただ、血肉が踊るような命の削り合いがしたいだけなのだろう?)
言葉はなくとも、魂が相手の狂気を理解していた。
その静かな確信の中、一歩前に進み出たのは将吉であった。
将吉が銃剣を装着した四式自動小銃を構え、その切っ先をヤーコフへ向けた瞬間、ヤーコフの身体がびくりと震えた。
ヤーコフの魂もまた、直感したのだ。眼前に立つ将吉の魂の奥底に、あの「尼港」の地、そして自分がかつて屠った者たちの、決して消えぬ深い因縁が焼き付いていることを。
「……そうか。お前か」
一瞬にして、ヤーコフの残忍な貌が消えた。その双眸に宿ったのは、純粋に飢えた獣のような、あるいは戦場をただの遊び場と割り切る「少年」のような、狂気じみた爛々たる輝きであった。
「歩兵どうし! ――いざ、勝負っ!!」
ヤーコフはモシン・ナガンの銃口に装着された長大なスパイク型銃剣をきらめかせ、咆哮とともに地を蹴った。
キィィィィィン――ッ!!!
広間の空間が震えるほどの凄まじい金属音が炸裂!
将吉の手にある四式自動小銃の銃剣と、ヤーコフのモシン・ナガンの銃剣が、真っ向から激突する。
いわば、現代の戦場に蘇った「槍と槍」の熾烈極まる至近距離の突き合いであった。ヤーコフの突きは、狂暴でありながらも狂いのない、洗練された殺しの技術に満ちていた。あの東部戦線の泥沼で培われたその膂力は凄まじく、一突きごとに空気が爆ぜるような風切り音が鳴り響く。
「ハハハハハ! 良いぞ、その目だ! もっと俺を愉しませろ!」
ヤーコフが狂ったように笑いながら、銃身を引くと同時に、下段からの凄まじい切り上げを放った。将吉はそれを四式の銃身で紙一重で受け流すが、肉体を削るような衝撃が両腕を奔る。
間髪入れず、ヤーコフの鋭い足さばきが、将吉の懐を捉えた。
モシン・ナガンの銃床による強烈な一撃が将吉の胸元を襲う。
将吉は咄嗟に後方へ飛び退くが、ヤーコフはその隙を逃さず、長大な銃身を大きく振りかぶると、将吉の構えを完全に破壊せんと、斜め上方から力任せに叩きつけた。
ガキィィィンッ!!!
「っ――」
凄まじい打撃力を受け、将吉の手から四式自動小銃が跳ね飛ばされた。
武器を失った将吉。
四式はガラガラと音を立てて遠くのアスファルトへと転がっていく。
「終わりだ、ヤポンスキーッ!!」
勝利を確信したヤーコフの顔に、獰猛な歓喜が爆発した。
彼はすぐさまモシン・ナガンを引き戻すと、無防備となった将吉の心臓を確実に貫くべく、渾身の力で、真っ直ぐな、そして最速の「突き」を放った。
空気が裂け、鋭い刃先が将吉の胸元へと肉薄する――。
だが、将吉の眼は、どこまでも冷静に澄み渡っていた。
彼は上体をわずかに捻り、自らの「左脇腹」の肉を差し出すようにして、その突きを敢えて受け入れた。
グサッ……!!!
「ぐぅっ……!」
銃剣の刃が、将吉の脇腹の軍服を破り、霊体の肉へと深く突き刺さる。
激痛が奔るが、将吉は退かなかった。
それどころか、彼は刺さった刃を、自身の左腕と脇腹の肉で、強引に「がっちり」と抱きかかえるようにして挟み込む。
「……何ッ!?」
ヤーコフが目を見開く。
引き抜こうとモシン・ナガンを力任せに引くが、ビクリとも動かない。
ヤーコフは知らなかった。
眼前に立つこの男・将吉が、「天山艦上攻撃機」の重い操縦桿を、死線の中で完璧に制御し続けた一線級の操縦士であることを。
そして、かつて空母「翔鶴」の艦内においても、並み居る荒くれ者の搭乗員たちの中で、指折りの怪力を誇っていた男であることを。
「捕まえたぞ、歩兵野郎」
将吉は脇腹から血の混じった霊気を吹き出させながら、肉を抉る痛みに耐え、悪魔のような笑みを浮かべてヤーコフの動きを完全に封じ込めた。
どれほどヤーコフが腕力を込めようと、将吉の鋼鉄のような筋肉と執念に囚われた銃身は、一ミリたりとも動かすことができない。
身動きの取れなくなったヤーコフの顔から、みるみる血の気が引いていく。
「お前、は……っ!」
将吉の右手が、腰のホルスターへと、淀みない動作で滑り落ちた。
引き抜かれたのは、鈍い黒光の「十四年式拳銃(南部拳銃)」。――かつて尼港の地獄のなかで、父・善吉が握り締め、敵を討ち、自らの誇りを守るために使用した、あの因縁の拳銃であった。
銃口が、ヤーコフの額の、まさに真ん中へと突きつけられる。
ヤーコフの目に、初めて「死」の恐怖が宿った。
「あいにく」
将吉は引き金に指をかけ、冷酷に、そして誇り高く言い放った。
「――俺は航空兵だ。歩兵じゃない」
パァァァァァンッ!!!
乾いた、しかし重厚な銃声が広間に鳴り響いた。
至近距離から放たれた善吉の形見の銃弾は、ヤーコフの額を正確にぶち抜き、その脳髄を、そして魂の根源たる赤軍幹部の怨念を内側から爆散させた。
――その瞬間
銃身を掴む将吉の左手を伝い、崩壊していくヤーコフの魂の奥底から、彼の「生前の記憶」が濁流となって将吉の脳裏へと流れ込んできた。
見えてきたのは、血と硝煙の戦場ではない。
シベリアから遥かに西方、ニジニ・ノヴゴロド州クレバキ市の近郊にあるサヴァスレイカ村の情景―――。
そこには、のどかな田園が広がる短い夏があった。遠くに見える地平線と、どこまでも澄み渡った高い青空。その大自然の中で、顔を泥だらけにしながら、笑顔で友達と木の枝を持って「兵隊ごっこ」に興じる、幼少期のヤーコフの姿。
場面が切り替わる。
学校の教室。優秀な成績を収めた少年ヤーコフを、不器用ながらも深く愛おしそうに抱きしめ、褒め称える父と母の温かい手の温もり。
そして18歳。機関車の助手として誇らしく働き始めた矢先、届いた一枚の招集令状。
煤けた駅のホーム、蒸気機関車が吐き出す白い煙の向こうで、涙を流しながら「生きて帰ってくれ」と手を振る父母に見送られ、東部戦線へと出発していく若きヤーコフの、緊張に強張った横顔――。
尼港で残虐の限りを尽くした赤軍の将校。
鬼の門を開き、東京を地獄に変えようとした化け物。
だが、その凶行に至るまでの情景が、もしも一つでも違っていれば。
時代が、運命がほんの少し狂わなければ、こうして異国の地で刃を交え、殺し合うこともなかったはずの、わずか23歳の若者の生きた証が、将吉の心を激しく揺さぶる。
「……ガ、あ……っ……」
ヤーコフの身体から力が抜け、モシン・ナガンが手から滑り落ちる。彼の身体は、額に穿たれた穴から、青白い光の粒子を爆発的に吹き出させながら、徐々に、しかし確実に崩壊を始めていく。
将吉は、引き抜いた南部拳銃をゆっくりと下ろしながら、消えゆくその光を見つめ、静かに呟いた。
「正直、お前たちへの恨みは深い。……引き起こされた事実も、変えられやしない‥‥」
将吉の脳裏に、先ほど見たサヴァスレイカ村の澄んだ青空が重なる。
「だが…………お前も、確かに人間だったんだな」
「見事、だ……。……ヤ、ポン……」
最期に、かつての過酷な戦場への奇妙な満足感と、どこか救われたような静かな微笑を浮かべながら、ヤーコフの巨体は完全に霧散し、有明の夜空へと消滅していった。
「小林!」
ヤーコフが消滅すると同時に、原田隊長や志村たちが駆け寄る。
将吉は脇腹の傷を右手で押さえ、荒い息を吐きながらも、大丈夫だと手払いする。
そして、祭壇に駆け寄ると、志乃を縛り付けていた呪縛の光の鎖を、南部拳銃の銃床で叩き割った。
「志乃さん! 志乃さん、しっかりしろ!」
「あ……、将吉……殿……」
呪縛から解放され、将吉の腕の中に倒れ込んできた志乃は、衰弱しきった声を絞り出す。
その瞬間、ズズズ……と、要塞の天井から巨大な亀裂が走り、大音響とともにコンクリートの破片が降り注ぎ始めた。
首魁たるヤーコフを失い、さらに「鬼の門」の霊力を完全に絶たれたことで、泥と怨念で構築されていた要塞そのものが、一気に自壊を始めたのだ。
「ここも長くは持たんぞ! 脱出する!」
原田隊長が叫ぶ。
将吉は志乃を力強く抱え上げると、崩落する瓦礫の雨を縫うようにして、遊撃隊の面々とともに一目散に要塞の出口へと走り出した。
背後で要塞が轟音を立てて完全に崩れ落ちていく中、出口の光が見えたその瞬間、しんがりを務めていた志村が、懐の無線機をひったくるようにして掴み、浜離宮の本部へと怒鳴り込む。
「――本部! 本部、こちら 遊撃隊、救出に成功! 繰り返す、我、救出に成功セりッ!!」
――――――
浜離宮恩賜庭園、先祖会・作戦本部。
それまで、スピーカーから流れる沈黙と、時折響く激しい戦闘音に、全員が固唾を呑んで、呼吸すら忘れるほどの緊張感で満ちていた。
善吉も、通信機の前で祈るように拳を握り締めていた。
そこへ飛び込んできた、志村の、割れんばかりの歓喜の復唱。
『――我、救出に成功セりッ!!』
「……やった、やったぞおぉぉぉっ!!」
通信兵の一人が、椅子を蹴立てて叫んだ。本部内が一瞬にして、地を揺るがすような大歓声と歓喜の渦に包まれる。
これまでの戦闘で冷静沈着、大理石のような不動の姿勢を崩さなかった高木少将も、この時ばかりは、その厳格な顔をくしゃくしゃにして歓喜の声をあげた。
「よくやった! よくやってくれた、皆の衆!」
少将は傍らに立ち、静かに涙を流していた景隆の元へと歩み寄ると、互いの肩を壊さんばかりの強さで、熱い、熱い抱擁を交わした。
「景隆殿! 勝ちましたな! 我らの勝利だ!」
「うむ……うむ、高木殿……! 誠に、誠に見事な戦いぶりであった……!」
有明の夜空を見上げれば、雪風と宵月の艦砲射撃は完全に止み、天津たちの戦闘機隊が、勝利の凱歌をあげるように翼を揺らしながら福生と厚木へと帰投していく姿があった。
東京を、そして現代に生きる子孫たちの未来を脅かそうとした、異界の鬼と赤軍の怨念。そのすべてを、「先祖たちの絆」が完全に打ち砕いたのだった。




