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En-Ishi~縁~  作者: 代々木のぶ
2010年 討伐編
38/54

20100923 雪風と宵月

 要塞最深部――

 澱んだ霊気が渦巻く不気味な祭壇に、ラプタは音もなく辿り着いた。

 祭壇の中央には、四肢を禍々しい呪縛の光で括り付けられた志乃が横たわっている。すでにその顔色に血の気はなく、呼吸すらも浅い。


「くく……、待たせたねぇ、可愛いお嬢さん」


 ラプタは蛇のような舌を伸ばし、志乃の白く震える首元をねっとりと舐め上げた。

 志乃が嫌悪に顔を歪め、小さく絶句したその瞬間、ラプタは懐からあの忌まわしい「金塊のネックレス」を取り出し、彼女の細い首へと乱暴に掛けた。


ズゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


「あ……、が、あぁっ……!」

 志乃の身体が弓なりに弾ける。


 金塊が放つ悍ましい呪力により、彼女の体内に残されていた純浄な霊力が、濁流となって強引に吸引され始めた。

 ラプタはその様子を、狂気を孕んだ目でケラケラと嘲笑う。ぐったりと力を失い、瞳の光を失っていく志乃の胸元で、霊力を限界まで吸い尽くした金貨が、赤黒く禍々しい輝きを放ち始めた。


「上出来だ。これほどの熱量があれば、あの重い扉もひとたびで撥ね退けられる」


 ラプタは満たされた金貨を毟り取ると、要塞の中心にそびえ立つ「鬼の門」の入り口へと這い寄った。巨大な、泥と骨で出来た門扉。その中央の窪みへ、霊力の塊たる金貨を力任せに押し付ける。


ゴグォォォォォォォォン……ッ!!!


 東京湾の底を揺るがすような、重厚で絶望的な地響き。

 ついに、開いてはならない異界の門が、その重い口をゆっくりと開き始めた。


 門の奥底、無限の闇から湧き出てきたのは、これまでのものとは格が違う、幾万もの「生粋の鬼」の軍勢であった。

 地を埋め尽くす異形の群れ、それだけではない。門の最奥から、巨大な翼が闇を切り裂いて現れた。


グオォォォォォォォォォォンッ!!!


 東京の夜空を圧する、ドス黒い巨体。

 全長数十数メートルにも及ぶ、異界の大型飛行鬼――いわゆる「ドラゴン」三匹が、黒煙を吹き出しながら、漆黒の全貌を現したのだ。


「あははは! 見ろ、この圧倒的な力を! 灰になれ、目障りなヤポンスキ―どもめ!」

 門の袂で、ラプタは狂ったように手を叩き、ケラケラと笑い転げる。

 勝利を完全に確信していた。


―――――――――


 崩落した城壁の隙間からその光景を双眼鏡で捉えた戦車隊隊長・池田末男大佐は、そのあまりの物量と巨獣の出現に、一瞬だけ奥歯を噛み締めた。

 元々要塞にいた敵だけでも容易ならざる数だった。そこへ加わる、地を埋め尽くす幾万の増援と、天を覆う巨獣。


「全車、ならびに歩兵各隊へ! 前進を一時合わせよ! 戦列を再構成し、防御火網を敷け! 一歩も退くな!」

 池田大佐は的確に防衛線の再構築を指示すると同時に、即座に浜離宮の本部へ無線の暗号を飛ばした。

「本部! 敵の門が開いた! 幾万の増援、超大型の飛行鬼が出現! 至急、さらなる支援を求む!」


 浜離宮の作戦本部。

 無線を受けた善吉は、スピーカーから漏れる大佐の緊迫した声と、遠く有明の空に浮かび上がった漆黒の巨獣の影に、一瞬息を呑んで驚愕した。

 しかし、その傍らに立つ高木少将の横顔は、大理石のように微動だにせず、ただ静かに戦況を見つめていた。


 その頃、上空では天津たちの戦闘機隊が、いち早くその巨獣――ドラゴンに向けて牙を剥いていた。


「なんだあのデカブツは! 集中連射!」


 紫電改や鍾馗が次々と肉薄し、20ミリ機銃や12.7ミリ銃弾の嵐をドラゴンの硬質な皮膚へと叩き込む。しかし、図体があまりにも巨大であり、霊的な障壁に阻まれた銃弾は火花を散らすのみで、致命的な有効打を与えることができない。


グバァァァァァッ!!!


 ドラゴンの一角が、その巨大な顎を開いた。

 刹那、夜空を文字通りの地獄に変える、超高温の霊炎が吐き出される。


「うわあぁぁぁっ!?」


 回避が間に合わなかった数機の零戦と隼が、その烈火に包まれた。

 翼を一瞬にして焼き尽くされた鉄の鳥たちは、青白い炎の尾を引きながら、東京湾の暗い海へと次々と墜落していく…。


「戦闘機隊より本部! 機銃が効かん! 火炎にやられ、味方が落とされている!」

 悲痛な無線の声が本部に響き渡る。


 作戦本部の空気はにわかに重苦しくなるかと思われた――

 が、将校たちの誰もが、未だ落ち着きを失っていなかった。

 高木少将は、静かに受話器を取った。

 その声には、確固たる勝利への方程式が刻まれていた。


「……戦闘機隊、よく耐えてくれた。敵の主力が、網にかかりました」

 少将はチャンネルを切り替え、凜とした声を発した。

「――艦隊司令へ。本隊が現れました。これより、予定通りの『攻撃』を要請します。」


―――――

 

 東京湾――羽田空港の沖合。

 それまで何もなかったはずの海原に、突如として濃密な、しかし清浄な白霧が立ち込めた。その霧の帳を音もなく割り、波頭を蹴立てて現れた二つの巨大な影。


 月光を浴びて現れたのは、かつて大東亜の荒波を生き抜いた、旧日本海軍の誇る陽炎型駆逐艦――「雪風」、そして秋月型(冬月型)の一艦「宵月」であった。


「――全艦、戦闘準備ッ! 敵飛行巨獣、正横しょうおう!」


 宵月の艦橋から、中尾中佐の鋭い号令が飛ぶ。

 まず動いたのは、防空駆逐艦としての絶対的な誇りを持つ「宵月」であった。

 その長大な長10センチ連装高角砲が、狂いのない精密さで、遥か有明の空に浮かぶドラゴンの巨体へと照準を合わせた。


ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドォォォン!!!


 連続して放たれる、長10センチ砲の猛烈な砲撃。

放たれた高初速の砲弾は、夜空を一瞬で引き裂き、ドラゴンのドス黒い下腹部へと正確無比に突き刺さった。


ドガガガガガガアンッ!!!


「グ、ガァァァァッ!?」

 機銃をあれほど跳ね返したドラゴンの肉体が、艦砲の圧倒的な炸裂威力の前に、あっという間に抉り取られ、引き裂かれていく。

 続けざまに放たれた第二連、第三連の直撃を受け、三匹のドラゴンは、悲鳴をあげる暇すらなく、文字通り「あっという間」に夜空で爆散し、沈黙していった。


「――飛行巨獣、撃破! 続いて、主砲の照準を有明の『門』へ固定! ――撃てッ!!」


 雪風の艦橋。

 艦長・寺内正道中佐の鋭い眼光が光ると同時に、雪風が誇る五十口径三年式十二センチ連装砲・単装砲計6門が、一斉に火を噴いた。


ズドォォォォォォォォン!!!


 一分間に10数発以上――

 それは、世界中の海軍が畏怖した、日本海軍の限界を超えた超高速・正確無比な艦砲射撃。

 雪風と宵月、2隻の駆逐艦から放たれる砲弾の嵐が、有明の「鬼の門」から津波のように湧き出てきた幾万の大軍へと、容赦なく突き刺さる。


 砲弾が、休むことなく、途切れることなく着弾し続ける。

 その炸裂の総量は、単発の破壊力こそあれど次弾装填に時間のかかる「戦艦の主砲射撃」すらも遥かに凌駕していた。


ドババババババババババババババババンッ!!!


 現世の有明の地盤ですら消し飛ばさんばかりの連続大爆発。

 門から足を踏み出したばかりの生粋の鬼たちは、反撃の意思を持つことすら許されず、その途切れない硝煙と爆炎の渦の中で、次から次へと、塵となって霧散していった。


「な……、なんだこれは、何が起きているんだぁぁぁっ!?」


 その砲火の地獄の中には、門の袂で狂喜していたラプタもいた。

 凄まじい衝撃波が地を割り、彼の自慢の軍勢を木っ端微塵に砕いていく。


(……あ、熱い……! 痛い……! なんだ、この攻撃は……!?)

 ラプタの脳裏に、「尼港ニコラエフスク」の記憶が鮮烈に蘇る。

 あの時は自分達に向けた砲撃ではなかった。

 ただ、中国艦隊による砲撃のトラウマ。

 それが今、さらに何倍、何十倍もの圧倒的な破壊の光となって、今、目の前に現実として降り注いでいる。


「いやだ……! 尼港の時よりも激しい……っ! 何なんだよヤポンスキ―どもは!どんだけ戦が好きなんだよ……なんでこんなところで、私がァァァッ!!」


 ラプタの絶叫は、雪風から放たれた次なる榴弾の、凄まじい爆炎のなかに完全にかき消された。

 直撃の衝撃波により、ラプタの身体は怨念ごと木っ端微塵に打ち砕かれ、彼は言い知れぬ絶望と恐怖を抱いたまま、砲火の藻屑となって、有明の夜に永遠に消え去っていった。


――――――――


 有明の夜空を断続的に照らす砲撃光のなか、波濤を蹴立てる「雪風」の艦橋で、真鍮製の双眼鏡を構え、じっと有明の戦況を見つめていたのは、陳少将であった。

 硝煙が艦橋の窓から流れ込むなか、陳少将はゆっくりと双眼鏡を胸元に下ろすと、その厳格な面持ちに、どこか感慨深げな笑みを浮かべた。


「……雪風は、やはりこの日本海軍の姿がよく似合う。そして、やはり駆逐艦の艦砲射撃というものは、恐ろしいほどに有効ですな艦長…」


 その言葉に、防空帽を深く被り、泰然と指揮を執っていた雪風最後の艦長・寺内正道中佐が、深く、力強く頷いた。

「ええ。平射を得意とする我が雪風の機動力と、長十センチ砲による超高速の高角砲撃を得意とする宵月。この二隻が、貴国(台湾海軍)に引き渡され、その中核を担ったのも……今思えば、何かえにしがあったのかもしれませんな…」


 戦時期には敵味方に分かれ、戦後は一つの不沈艦を介して結ばれた二人の巨星。

 その対話に、少し後ろに控えていた一人将校が、背筋をピンと伸ばして言葉を添えた。


「駆逐艦による艦砲射撃の有効性は、古今東西の戦歴が証明しております。ガダルカナル、硫黄島、そして欧州のオマハビーチ……。殊にノルマンディー上陸作戦においては、連合軍の駆逐艦部隊が座礁をも恐れずに波際まで肉薄し、至近距離から行った艦砲射撃がなければ、作戦そのものが失敗に終わっていたとさえ言われておりますから」

 澱みのない、軍人としての知識と誇りに満ちたその声の主は、秋山平太大尉であった。

 かつて、尼港の虐殺の最中、幼き少年だった平太は陳少将たちの手によって、奇跡的にその命を救われた。

 その後、海軍の門を叩いた平太は、数々の激戦を潜り抜けた「不沈艦・雪風」の航海長として、艦長の右腕を務めるほどの帝国海軍将校へと成長を遂げていたのである。

 それだけではない。

 戦後、復員輸送を終えた雪風が、賠償艦「丹陽」として台湾へと引き渡されるその最期の日まで、平太は古参の甲板士官として雪風に残り、恩人である陳少将の待つ台湾の地へと、この愛すべき巨艦を文字通り送り届ける役割をも果たしていたのだ。


 陳少将は、かつて自分が救った小さな命が、立派な海の男となり、己が深く愛した雪風の航海長として隣に立っている奇跡に、細く目を細めた。

「平太……、立派になったな。あの尼港の地獄で拾った命が、まさか戦後、私の祖国の海を支えることになる雪風と、これほど深く、固い縁で結ばれることになろうとは……。天の配剤というものは、本当に分からぬものだな」


 平太は恩人の温かい眼差しを受け、胸を張って小さく微笑んだ。その絆の暖かさが、鉄の艦橋に満ちる硝煙の冷たさを、確かに溶かしていくようだった。


―――――

 雪風と宵月の砲身は、いまだ衰えることなく火を噴き続けていた。


ドォォォォォン!!! ズドォォォン!!!


 正確無比な射撃により、次々と放たれる榴弾の雨は、ついに有明の地上を飛び越え、開かれた「鬼の門」の内部、異界の暗黒そのものへと直接突き刺さり始めた。

 逃げ場のない門の内側で、幾千、幾万の呪怨が爆炎に巻かれ、一瞬にして爆散していく。絶え間なく注ぎ込まれる圧倒的な質量兵器の前に、さしもの「鬼の門」も、その禍々しい霊的構造を維持できなくなっていった。


 内部からの大爆発の光が門の隙間から漏れ出た後、ズズズ……と、異界の扉が力を失い、重い音を立てて再び閉ざされていく。幾万の軍勢を吐き出した絶望の象徴は、完全にその口を封じられ、沈黙を余儀なくされた。


「――全砲門、打ち方止めッ! 敵『門』の閉塞を確認!」


 観測員からの歓声混じりの報告を受け、寺内艦長は小さく息を吐くと、即座に手元の無線機の受話器を掴んだ。

「作戦本部、こちら雪風。――高木少将、敵の門は完全に沈黙、増援の足は止まりました。これより我が艦隊は、次の行動に移ります」


『雪風、こちら本部。見事な砲撃であった。感謝する。……次の行動とは?』

 無線の向こうから、高木少将の落ち着いた声が返す。


 寺内艦長は艦橋の窓から、先ほどドラゴンの炎に焼かれ、黒煙を上げながら東京湾の海面へと不時着していった、味方の戦闘機たちの燃え殻を見つめた。海面には、いくつかの救命浮輪や、必死に泳ぐパイロットたちの姿がかすかに見えている。


「これより、宵月を現海域に留め、敵の残党に対する警戒にあたらせます。――我が雪風は、直ちに微速前進。海面に墜落した、我が空中戦闘隊の搭乗員たちの救助に当たります。……我が艦に、見殺しの三文字はありません」


『――了解した。一人残らず、救い上げてくれ。頼む、雪風』


 高木少将の、信頼に満ちた声を最後に無線が切れる。

 寺内艦長は即座に艦橋内に響き渡る声で、最後の号令を下した。


「航海長! 面舵おもかじ、一杯! 救助艇の準備急げ! 動ける者は全員、甲板へ出て目を凝らせ! ――雪風、これより味方の救助へと向かうッ!」


「了解! 面舵一杯ッ!」

 平太の鋭い復唱とともに、雪風は大きくその巨体を傾け、舵を切った。

 幾多の激戦を生き抜き、その度に数多くの溺者を救い上げて「幸運艦」と呼ばれたその鋼鉄の身体が、今度は東京湾の暗い海で、空を戦い抜いた英霊たちを救うべく、白波を立てて滑るように進み始めた。

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