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En-Ishi~縁~  作者: 代々木のぶ
2010年 討伐編
36/54

20100923 怨嗟の鎖

 天空を統べる陸海軍の混成飛行部隊が放った第一波の猛射は、有明の夜空に黒い絶叫の雨を降らせた。


 だが、異界の邪鬼たちもただ屠られるだけの存在ではない。強靭な皮膜の翼を持つ飛行鬼たちは、物理的な空気力学に縛られない。気流を無視した不規則な軌道で空中を反転し、第二撃を仕掛けるべく上昇へと移った戦闘機隊の死角へと、獰猛な爪を突き立てて肉薄した。


 そのうちの一体、筋骨隆々とした大柄な飛行鬼が、凄まじい風圧を突いて一機の「二式戦闘機・鍾馗」の機尾へとひらりとしがみついた。

方向舵ラダー昇降舵エレベーターに強靭な四肢を絡め、機体のバランスを強引に崩そうと狂暴に揺さぶる。


 その鍾馗の狭い操縦席に腰を据えていたのは、陸軍少尉・天津清吉あまつ せいきちであった。

 生前、過酷な空中戦を生き抜いた若き俊英は、激しく振動する機体と、風防越しに迫る異形の気配を察知するや、眉をひび割れさせて舌打ちをした。


「あ~……うっとおしいな、この鬼。人の愛機に気安く触るんじゃねえよ」


 天津の声は、緊迫した戦場にあって驚くほど淡々としていた。しかし、その双眸には静かな怒りの炎がぎらついている。

 通常であれば、時速数百キロで飛翔する戦闘機の尾翼を掴まれれば、機体は失速して墜落の一途を辿る。だが、天津は慌てない。彼は操縦桿を握る右手にグッと力を込めると、己の内に眠る強大な「霊力」を機体へと流し込んだ。

 意思を得た鍾馗は、まるで空中の一点に固定されたかのように、ピたりと水平のバランスを取り戻す。


 驚いたのは機尾にへばりついていた飛行鬼だ。どれほど力を込めても、目の前の鉄の鳥はびくともしない。


 だが、鬼の驚愕はそれで終わりではなかった。


「よっこらしょ、と」

 天津はキャノピー(風防)を勢いよく後方へスライドさせると、吹き付ける猛烈な霊気混じりの爆風をものともせず、何食わぬ顔で操縦席から上半身を外へと乗り出してきたのだ。

 さらに、その右手には、いつの間にか抜き放たれた軍刀が握られている。刃文が夜空の爆炎を反射して、妖しく、鋭く煌めく。


 飛行中の戦闘機から、パイロットが自らコクピットの外へ出てきて日本刀を構える――。

 数多の戦場を血で染めてきた異界の鬼とて、そんな狂気の光景は想像すらしていなかった。時速数百キロの風圧のなかで、なぜ人間の姿をした御霊が平然と立っていられるのか。鬼の思考が完全に停止し、その醜悪な顔に「戸惑い」の表情が浮かんだ。


 その一瞬の隙を、天津清吉が逃すはずがなかった。


「隙だらけだ、間抜けめ」

 ドン、と機体を蹴るような足さばきと共に、天津の腕がしなやかに一閃した。

霊力を宿した鋭い白刃が、夜空に美しい弧を描く。音も立てず、飛行鬼の太い首が綺麗に撥ね飛ばされた。首を失った巨躯が、黒い霧となって霧散していく。


「ふぅ」

 天津は何事もなかったかのように風圧を割って操縦席へと戻り、キャノピーを閉め直した。そして、操縦桿を再び握り直すと、背後に消え去った黒い塵に向けて冷ややかに呟いた。


「ばあ~か。俺たち幽霊だぞ? お前らと同じだ。普通の飛び方なんてするわけねえだろ」


 空中戦の常識を破壊されたのは、天津の周囲にいた鬼たちも同様であった。


 すぐ側を並翔する一機の「零式艦上戦闘機」の風防に、別の鬼が凄まじい形相で飛びついた。爪で強化ガラスを割り、中のパイロットを引きずり出そうと牙を剥く。しかし、その零戦の搭乗員は、恐怖するどころか「やれやれ」と肩をすくめた。そして、何食わぬ顔で風防を自ら開けると、身を乗り出して懐から「十四年式拳銃」を引き抜いた。

 

 至近距離、銃口は鬼の眉間のわずか数センチ前。


パン、パンッ!


 冷徹な連続銃声と共に放たれた霊怨弾が、鬼の脳天を正確にぶち抜き、鬼は悲鳴をあげる暇もなく仰向けに空中へ転落、そのまま霧散した。


 また別の空域では、一機の「雷電」の前方、まさにプロペラの直前にへばりついて飛行を阻害せんとする鬼がいた。

 その雷電のパイロットは、尋常ならざる怪力の持ち主であった。風防を開けて乗り出すと、プロペラの風圧を真っ向から受けながら、太い腕を伸ばして鬼の襟髪を鷲掴みにした。


「そこがそんなに気に入ったか! ならば、もっと奥まで味わえ!」

 文字通りの怪力で鬼の巨体を強引に引きずり回すと、猛烈な速度で回転する前方のプロペラへと、その顔面を容赦なく叩き込んだ。

 巨大な金属の刃に巻き込まれた鬼は、ミンチにされるように一瞬で切り刻まれ、憤死の絶叫を残して夜空へ溶けていった。


 急降下、一撃離脱、ドッグファイト――

 かつての戦時中に繰り広げられた、緻密な航空戦術のセオリーはそこにはない。

 あるのは、霊界の法則を逆手に取った、人知を超えた「幽霊軍」ならではの、縦横無尽で苛烈極まる文字通りの空中白兵戦であった。空を覆いつくさんとしていた飛行タイプの鬼たちは、この世の理を無視した先祖会パイロットたちの猛攻の前に、なす術なくその数を減らしていった。


――――――


 第二壁の上。

 有明の夜空を覆う爆炎と硝煙を浴びながら、ニーナとラプタのかおは激しい苛立ちに歪んでいた。

 自慢の飛行鬼どもが、あろうことか操縦席から身を乗り出した先祖会の狂気じみた白兵戦の前に、ゴミのように叩き落とされている。


「ええい、忌々しい! どいつもこいつも、死んでなお戦の真似事とは反吐が出る!」

 ラプタが鋭い爪を噛み鳴らし、地上の機甲部隊を見下ろして呪詛を吐いた。

 そこへ、まるで周囲の熱量を一瞬で氷結させるかのような、底冷えのする足音が近づいてくる。

「……無様に騒ぐな。戦況はまだ我が手の内にある」

 現れたヤーコフの表情は、どこまでも冷徹で、微塵の動揺もなかった。その双眸は、ただ勝利への最適解だけを冷酷に計算している。


「ラプタ。お前はただちに『鬼の門』へ戻れ」


「……何をする気だ、ヤーコフ」


「志乃の霊力をさらに限界まで絞り出し、門を完全開放させろ。異界の底に眠る全軍勢を手繰り寄せるのだ。奴らの弾薬が尽きるか、こちらの数が勝るか、引き潰してやればいい」


 ラプタは不気味に目を細めると、

「くく……、合点がいったよ。あの小娘の魂、今度こそ一滴残らず搾り取ってやる」

 と、闇に溶けるようにして要塞の最深部へと姿を消した。


 ヤーコフは次に、隣で獲物を欲して飢えた獣のように身体を震わせているニーナへ視線を向けた。

「ニーナ。お前は打って出ろ。先祖会攻撃隊の先鋒――あの目障りな戦車部隊と歩兵の頭を叩け。お前自身が『盾』となり、門が開くまでの時間を稼ぐのだ」


「ふん、待ってましたよ。あの錆びついた兵隊どもを、まとめて骨ごと噛み砕いてあげる」

「……それから」

 ヤーコフの視線が、要塞の裏手、将吉たちが潜入した暗がりの方角へと向けられる。

「鼠が入り込んでいるな。おそらく、志乃の救出を狙う別働隊だ。小細工は通じんと、私が直々に教えてやる」


 短く、淡々と下される冷酷な指示。

 ニーナは獰猛にニヤリと唇を吊り上げると、その白皙はくせきの指先から、ジャラ……と黒く染まった怨念の鎖を蛇のように垂らした。

「行ってくるわ、ヤーコフ。あの男たちの、絶望に染まった顔が楽しみね」


 言うが早いか、ニーナは第二壁から漆黒の弾丸と化して跳躍し、硝煙渦巻く最前線へと猛然と走り出した。


―――――――


 浜離宮恩賜庭園。

 夜の静寂を守るはずの木々の間に建てられた野戦救護所のテントには、いまやただならぬ緊迫感が漂っていた。


「急いで! こちらの担架、奥の敷物へ!」


 看護の総指揮を執る凛の声が、血と硝煙の匂いが混じり合うテント内に響く。

 先ほどから、前線から運び込まれる負傷者の数が急激に増えていた。それも、銃弾や刀傷による傷ではない。彼らは一様に、まるで魂の根源を強引に削り取られたかのように、顔を青白くこわばらせ、虚空を見つめて衰弱していた。


 先祖会の霊たちに、現世の人間が言うところの「肉体的な死」は訪れない。

 致命傷を負えば黒い霧となって霧散し、ただ消え去る鬼どもとは、存在の根幹が違っていた。

 だが、死がないからこそ、そこには別種の「恐怖」が存在する。

 何らかの呪術や怨念によって霊力を徹底的に吸い取られ、その限界値を超えてしまった霊は、自らの意志で動くことができなくなる。

 そして動けぬまま、現世に生きる人間の記憶や想い(絆)までもが途切れてしまった時――その霊は、深い絶望の果てに「悪堕ち」し、鬼へと変貌してしまう危険を孕んでいた。

 たとえ悪に落ちずとも、現世との繋がりを失ったままその地に長く放置されれば、霊体は自我を失い、世界の理の中に溶けて完全に「滅して」しまうのだ。


「う……あ……。あの、鎖が……」

 運び込まれた一人の若い歩兵の霊が、凛の衣服を掴み、ガタガタと震えながら言葉を漏らした。

「弾丸も……刀も、弾き返された……。あの女の、鎖に触れた瞬間、力が……抜けて……」


「鎖……?」

 凛の美しい眉が、一抹の不安に曇る。

 周囲の負傷兵たちも、一様に口を揃えて「黒い鎖が」「あれは化け物だ」と、うわ言のように呟いていた。

 前線に、明らかな「異形」が出現したことを、凛は本能的に察知していた。


 その時、救護所の天幕がバサリと荒々しく開く。

「――おや、ずいぶんと派手にやられてるねぇ」


 低い、だがドスの利いた声と共に現れたのは、煙管を懐に差し、小袖の裾を荒々しくからげたお慶であった。その佇まいには、修羅場をいくつもくぐり抜けてきた大人の女の凄みが満ちている。


 お慶は歩を進めると、怯える負傷兵の枕元にどっかりと腰を下ろした。

「ちょっとすまないねぇ、兄ちゃん。何があったか、あたしに見せな」

 言うなり、お慶は自身の細い指先を負傷兵の額へと力強く当てた。

「ん……ぬぅ……っ!」

 負傷兵の身体がびくりと跳ねる。お慶は自身の霊力を通じ、彼の記憶の底に残る「念」の光景を直接読み取ったのだ。


 お慶の脳裏に、硝煙を切り裂いて突撃してくる白い肌の女――ニーナの狂気に満ちた笑顔と、戦車をも絡め取り、兵たちの霊力を瞬時に吸い尽くす黒い鎖の残像が鮮烈に浮かび上がる。


「……ふん。そういうことかい」


 お慶はゆっくりと指を離すと、冷たい笑みを唇に浮かべた。その眼光は、完全に獲物を定めた猛獣のそれへと変わっている。


 彼女は立ち上がると、振り返って凛の目を真っ直ぐに見据え、、

「凛さんや。わたしゃ、ちょっと前線に出てくるよ」


「お慶さん、ですが……」


「心配いりやしない。あの、ひょろ長い鎖を振り回すあばずれ女の顔、どうにも気に入らなくてねぇ。……ここはあんたに任せる。大店の丁稚でっちたちや、動ける若造どもには、あんたが的確に指示を出しておくれ」


 止める隙も与えず、お慶は救護所のテントを足早に出て行った。

 その背中からは、圧倒的な闘気が立ち上っている。


 残された凛は、お慶が向かった有明の方角を見つめ、彼女の確信に満ちた目算を感じ取って、ふっと小さく、信頼の笑みを漏らした。

「……ええ、わかりました。お慶さん、お気をつけて。

 ――さあ、皆台みんな! 弱音を吐いてる暇はありませんよ! 次の負傷者をこちらへ!」


 凛の凛とした声が再び救護所を包み込み、先祖会はそれぞれの戦場で、己の全力を尽くして敵を迎え撃つべく動き出すのだった。

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