20100921 会戦準備
有明の鬼の要塞。
無機質なコンクリートの壁と鉄骨が歪に交差する空間に、禍々しい霊気を放つ大穴――「鬼の門」が開いていた。
その広がり続ける門の手前に据えられた祭壇には、志乃が縛り上げられていた。ニーナの鎖によって根源的な霊力を奪われ、生気を吸い取られ続ける彼女は、青白い肌のままぐったりと項垂れ、かすかな呼吸を刻むことしかできない。
その光景を、冷徹な一瞥とともに見つめる男がいた。
赤軍を統べるヤーコフである。
彼にとって、この戦いの本質は「戦場の血肉が躍る感覚」を再び味わうことに他ならず、志乃個人の命運などには端から興味はなかった。
しかし、大東京を護る「先祖会」が、かつて自分たちとシベリアで刃を交えたあの日本軍の苛烈な系譜を引く以上、侮ることは死を意味する。確実に勝利をもぎ取るには、兵力を増強せねばならない。そのためには、志乃の強固な霊格を依り代として完全に潰し、鬼の門を限界まで押し広げて、アムールの泥底に眠るさらなる鬼の兵隊を呼び寄せることが先決だった。
「ヤーコフ。鬼の兵隊たちは着実に集結しつつあるわ」
暗がりの奥から、妖艶かつ邪悪な笑みを浮かべたニーナが歩み寄ってきた。
「飛行型の鬼もかなりの数が揃った。お堅い先祖会どもは、まさか空から黒い羽が降ってくるとは夢にも思っていないでしょうね。……ただ、一つだけ誤算があるわ」
ニーナは歪んだ角に触れながら、要塞の外周部を忌々しそうに見やった。
「肝心の城壁の構築が間に合っていないの。先祖会どもの動きが思った以上に早くてね。もし今攻め込まれたら、防備の薄い箇所から一場内になだれ込まれてもおかしくないわ。そこだけが心配なのよ」
だが、ヤーコフの煤けた相貌には、焦りの色は微塵もなかった。彼は冷酷な笑みを浮かべ、腰のサーベルの柄をそっとなぞった。
「ならば、誘い込めばいいだけのことだ」
「誘い込む……?」
「完成していない城壁に、わざわざ貴重な兵力を割く必要はない。そこは敢えて手薄なままにしておけ。防壁を突破したと歓喜し、場内になだれ込んできた先祖会の軍勢を、一段高い陣地から包囲し、挟撃して一網打尽に殲滅する。戦術の基本だ。……奴らの足の早さを、そのまま墓穴に変えてやる」
ヤーコフの狡猾な作戦に、ニーナは満足げにケラケラと喉を鳴らした。
志乃の意思を砕く儀式と、先祖会を迎え撃つ陥穽の準備は、無人の要塞の底で着々と、しかし確実に完了しつつあった。
―――――――
芝・増上寺。
地脈の霊力が満ちる巨大な境内で、先祖会の軍議は最終段階を迎えていた。
総大将・山岡景隆の下で決まった作戦は、全軍を「攻撃部隊」と「遊撃隊」の二翼に分けるというものだった。
本隊たる攻撃部隊が、有明の要塞の正面からド派手に攻め立て、鬼の軍勢の耳目を完全に引きつける。その乱戦の隙を突き、守備の手薄な死角から隠密に潜入した遊撃隊が、祭壇に囚われた志乃を救い出す――という算段である。
艦上攻撃機「天山」のパイロットであった将吉は、その俊敏性と決断力を買われ、そして何よりも志乃との縁から、志乃奪還の命を帯びた「遊撃隊」へと配属されていた。
本堂の裏手で、愛銃の九九式短小銃の点検を行っていた将吉の耳に、聞き覚えのある懐かしい声が届く。
「――よぉ、また会ったな、海軍さんよ。今回の一戦、よろしく頼むぜ」
振り返った将吉の目に飛び込んできたのは、独特な迷彩を施した特種軍衣に身を包み、手慣れた手つきで一〇〇式機関短銃を磨き上げている男の姿だった。
池上本門寺の墓場に毎夜現れる、霊界の歓楽街。そこの料亭「お松」で出会った、義烈空挺隊の志村であった。
「志村さん……! まさか、あなたもこの作戦に?」
「おうよ。特攻崩れの意地って奴さ。大東京の、いや、お国の危機とあっちゃあ、義烈の男が黙っていられるかってんだ」
志村は白い歯を見せて笑い、将吉の手をがっしりと握り締めた。熱い握手を交わした直後、志村の鋭い視線が、将吉の背負う九九式短小銃へと向けられた。
「ときに海軍さん、遊撃隊ってのは足が命だ。隠密潜入とはいえ、いざ見つかりゃあ一瞬で地獄の乱戦になる。……おめえさんのその九九式は確かにいい銃だが、狭い通路や室内での市街地戦にゃ、少々長くて取り回しがききづらいんじゃねえか?」
志村の指摘は、将吉の胸に深く突き刺さった。
確かに先の病院での戦闘では、初手のボルトアクションによる狙撃こそ有効だったが、鬼どもに距離を詰められてからは、結局のところ銃剣を突きの槍として振り回すしかなかった。その「射撃と突撃の間」を埋める一瞬の連続攻撃において、手動でボルトを引かねばならないボルトアクション小銃の隙は、致命的になり得る。
将吉は海軍の航空搭乗員であり、生前に熾烈な陸上戦を経験したわけではない。
しかし戦後、霊魂となってから、様々な英霊たちと対話を重ねてきた。特に南方のジャングルでアメリカ軍と激突した陸軍の面々が、口を揃えて「奴らの持つM1ガーランドの連続の銃撃ほど恐ろしいものはなかった」と、忌々しそうに語っていたのを鮮明に覚えている。
時代は変わったのだ。ジャングルや市街地戦、そしてその後の歴史の変遷を見ても、戦場の主役は自動小銃から更に進化して、アサルトライフルへと移行していった。
(いつまでも、あのボルトハンドルを引く操作だけにこだわっていては駄目だ……。志乃さんを救うためには、一瞬の火力の遅れも許されない)
将吉がそう自覚した瞬間、境内にがらりと大きな荷車が引き入れられた。
先祖会の武器調達班(英霊の鍛冶師たち)が、大量の真新しい武器を運び込んできたのだ。
「ちょうどいい、これを使ってみな。『四式自動小銃』だ」
志村が荷車から一丁の小銃を抜き取り、将吉へと放り投げた。
受け取った小銃は、程よい重量感とともに将吉の手になじんだ。
驚くべきことに、機関部の上部には、あの九九式と同じく「菊の御紋」が美しく輝いている。現代の東京に眠る先祖の職人たちが、霊力を込めて作り上げたピカピカの自動小銃だ。
「四式……。終戦間際に海軍で開発が進められた、幻の自動小銃ですか…」
「ああ。生前の戦争じゃ生産が間に合わなかったし、色々と性能にいわく付きだなんて言われた試作銃だが、心配すんじゃねえぞ。先祖会の凄腕の鍛冶師たちが、霊魂の技術の粋を集めて、最高の状態に仕上げ直して(生産して)くれた特製品だ。動作不良なんざ起こさねえ、安心してぶっ放してくれ」
将吉は四式自動小銃のボルトを引いて残弾を確認し、銃口の先を見つめた。この銃には、九九式と同じく三十年式銃剣をそのまま着剣することができる。これならば、景隆や次郎座衛門から叩き込まれた槍術の冴えを殺すことなく、自動小銃の圧倒的な速射力を手に入れることができる。
「これにします。志村さん、ありがとう」
将吉は九九式短小銃に感謝を込めて一度背に収め、新たなメインウエポンとして、菊の御紋の輝く四式自動小銃をしっかりと胸に抱えた。
この四式自動小銃は、将吉たち遊撃隊だけでなく、本隊である「攻撃部隊」の面々にも一斉に配備されていった。かつて弾薬の一発すら節約を強いられ、竹槍三百万本で本土決戦を叫ばざるを得なかった一九四五年末の日本軍の悲惨な姿は、ここには微塵もなかった。
さらに―――――
境内を埋め尽くす攻撃部隊の列線の奥から、地響きのような重低音が響き渡る。
現れたのは、霊魂の鍛冶技術が融合し、生まれ変わった「四式中戦車」。
それが一両や二両ではない、数十両という圧倒的な鉄の獅子の群れが、無限軌道を軋ませながら増上寺の境内に整列していたのだ。
さらには、四式十五糎自走砲 十数両に、九六式十五糎(15cm)榴弾砲十数門。各々の砲身が、有明の夜空を睨みつけている。
また、機動的に兵力を移動させるために一式装甲兵車 、一式半装甲車数十両も配備されていた。
小銃の一発に至るまで最高の精度で量産され、百両近い機甲部隊を伴ったその戦力は、かつて物量に圧し潰された英霊たちの無念を晴らすかのように、師団レベルの圧倒的な火力としてここに構築されていた。
その傍ら、静かに呼吸を整える遊撃隊の精鋭は、わずか十数名。
志村と同じく、かつて熊本から沖縄の読谷飛行場へと強行着陸を敢行した義烈空挺隊の原田少尉を筆頭に、将吉、志村、さらには過酷な地上戦をくぐり抜けた海軍陸戦隊の猛者や、ガダルカナルの一木支隊上がりの凄腕たちが顔を連ねていた。全員の目が、決死の覚悟と、鋭い闘志でぎらぎらと光っている。
「――おめえら、準備はいいな」
原田少尉が低く短い声をかけると、将吉を含む精鋭たちが、声を出さずに深く頷いた。
攻撃部隊が要塞の正面を肉薄し、機甲戦力の砲撃で有明を揺るがすその裏で、この十名が闇に紛れて鬼の要塞へと潜入する。
将吉は四式自動小銃の冷たいレシーバーを指先で愛撫しながら、囚われの志乃の姿を強く脳裏に描き、決戦の地・有明へと向けて、音もなく増上寺の地を蹴り出すのだった。




