姫巫女の定め
「という訳で私達巫女の元祖はノア様に行き着く訳。創世神話はみんな分かったかな?」
教会の中庭で5歳をやっと過ぎたばかりの十数名ほどの幼児達を前に1人の少女が教鞭を取っている。
銀の髪に若葉の瞳、生命力の溢れるハキハキとした様子の14、15歳位の乙女は素直な幼児達が愛おしいと言わんばかりばかりである。
「はい、薔薇蕾の姫姐様、私のお姉様はいつ決まるの?」
茶色のおさげ髪の幼女が手を挙げる。
「よく勉強してるね、でもまだ姉妹の誓いは先だよ。貴女達はまだ種だからね」
そう言って壁にかけられた石板に薔薇姫姐様と呼ばれた乙女は文字を書き始める。
それは遠目に見れば8段の三角形の形をしていた。
ピラミッド型の頂点に乙女は「巫女長 百合巫女様」と書いた。
そしてそのすぐ下に「薔薇巫女」「菊巫女」と次々に巫女の階級を書き出してゆく。同じ段に名を連ねる花の名もある。
そしてその傍にそれぞれを示す花の絵を貼ってゆく。
「私達巫女は12の役位に分かれているわ。それはみんな知ってる?」
幼女達は頷く子、小首を傾げる子、無表情の子と様々だ。
そうだよね〜貴族に生まれたなら知っているかも知れないけど、平民じゃ知らなくて当然か…それにこの子達は島に入ってまだ2週間も経っていないんだもの…
「聖抜で選ばれた巫女候補である今の貴女達や、教会に奉仕する人が1番下の位の『種』だよ。実はこの種は巫女でなくても教会に身を捧げる奉仕の聖職者にも与えられる位なの。
そして、次が『羽草』『蒲公英』と続いて、階級が上がっていくよ。あとは福音によって別れて行くわ。貴女達五歳の洗礼で見出された巫女見習いの最終目標は上から5番目の『紫苑』になるわ。それより上の『雪待草』は選定がそもそも異なるの。『菊』は特殊で薔薇巫女を卒業されて還俗された枢機卿様しかなれないしね。だから例外的に男性の方もいらっしゃるわ。でも、歴代の先達の中ではすごく稀だけど巫女長である百合様へと至った方もいらっしゃったから皆んな気を抜かずにお勤めに励んでね」
先程までキラキラとした瞳で見ていた子供達は少しばかり顔を顰める。
「薔薇姫姐様、私は百合様になる事は難しいんですか?」
少女は少しばかり涙目だ。
「う〜ん…そうね、隠してもしょうがないから言えば、難しいわ。百合巫女様は私達巫女の頂点に座すお方で、その資質は特に厳しく管理されているの。さっき言ったように、候補者の選定からして皆んなとは違うの。
女神様からお預かりしている福音の祝福を3つ以上賜っていなければ百合巫女様にはなれないんだって。だから選定も直接候補者が行うのだと習ったわ。
でもね、さっき言ったみたいに前例がない訳ではないからしっかりとお勤めに励んで欲しいなって思うな」
言われた幼女は半べそで、その隣の幼女が手を挙げる。
「どうしたら、私達も姐様のように百合巫女様見習いの姫巫女になれますか?」
講師の真似事をしていた少女はその胸にあるロザリオに彫られた意匠をひと撫でする。
両翼の揃ったロザリオは月の明かりを固めた様な優しい銀で、中央には丸い金の台座が嵌められている。
そこに彫り込まれた定紋は『雪待草』スノードロップ上から4番目の高位の巫女である事を示す。
「私は…」
「姫巫女様、間も無く午前のお勤めの時刻で御座います。終わり次第菊花の皆様がお呼びです。どうぞお向かい下さい。」
乙女が口を開きかけた時、中庭の外れから少しばかり低い声音が飛んできた。一同が振り向いた視線の先には短い黒髪に一筋の捧げ髪を残す騎士がいた。それも高位の聖騎士である事を示す白銀の騎士服である。
首元のロザリオには一粒のサファイアが嵌め込まれている。まだ両翼のロザリオなので捧げ髪も相まって成人前の青年だと分かる。
養女達は教会内でも滅多に会う事のない聖騎士に驚きと興奮に満ちていた。
「…菊花のお姐様方が?何だろ?何か最近やったっけ?」
乙女は利き手の人差し指を口元に当てて考える素振りをするが、それがただのポーズである事を聖騎士は見抜いていた。
「私には分かりかねます。午前の祝福のお勤めの後、直ぐに来るようにとの事で御座います」
乙女は差し出された聖騎士の手を取った。
「お説教は聞きたくないから、午前のお勤めの後でちゃんと伺うわ。そう伝えておいて。さて、みんな、今日の授業はここまでよ。みんなお勤めに戻ってね!今日も我等が女神様へ感謝の祈りを捧げましょう。またね」
乙女は幼女達に手を振ると建屋へと消えていった。
「ユーリ様、そろそろ導きの同士の真似事はお辞め下さい。貴方様はこの世に現在たった二人だけの次代候補様なのです。御身の尊さをご理解下さい」
ユーリと呼ばれた乙女は不満を貼り付けた顔で聖騎士を睨め付ける。
「オドレイ、分かってる…だから、私だって自分のできる事で頑張ってるつもり。でもさ、ライバルはあのリリアーヌだよ?次の百合巫女様は百合姫巫女のリリアーヌがなるって皆どっかで思ってる。だったらリリーとは違う事で勝負しないと!」
そういう事では無いのだが、このままではユーリは聴く耳を持たないだろうと聖騎士オドレイは説得を諦める。
ユーリはこの世に今はたった二人しか存在が確認されていない次期百合巫女候補者の片割れである。産まれは西の外れの地で巡禮の際に現在の次席巫女である薔薇巫女様ローザンヌ様に見出された。この世でも稀有な女神様からの5つの祝福を持つ神の愛子。だが本人の気質なのか、教会の教えの型にはまらない自由な気質で数々の問題を起こしているのだが、本人に自覚はないようだ。
そして先程名前が出たリリアーヌがもう一人の候補者だ。中央でも多くの巫女を輩出してきた名門貴族家のお嬢様での父も薔薇巫女の位を授かった血統書付きのサラブレッド。現百合巫女様の魂の姉妹であり、次期百合巫女様の筆頭候補者として名を挙げられる。女神様からの祝福もユーリと同じく5つ持つとされている。こちらの姫巫女様はユーリのように活発に動くような人ではなく、厳粛に粛々と日々のお勤めをこなされる、正に巫女の鏡のような乙女だ。
リリアーヌに比べユーリはこの中央教会へと来た時から、巫女としては型破りだった。
着替えも一人でしようとするし、走り回る。下働きの中に混じって芋洗いもすれば、洗濯場で泡だらけになっていた事もある。
人の枠から外れた巫女達の中でそれはとても異質で巫女らしくないと何度叱っても本人はあっけらかんとしていた。そのうちにこの御仁を矯正するよりも諦めた方が早いとなり、今では注意するものすら稀なのである。
「たとえ百合巫女様へと至らずとも、貴方様は次席である薔薇巫女様となられるのですからしっかりとされるべきです。出来るのにやらないのは貴方様の悪癖で御座いますよ?」
あ〜ぁ〜オドレイの説教が始まった…長いんだよなぁこれ…
そんな護衛のため息もどこ吹く風とばかりにユーリは大聖堂の方へと足を向ける。
間も無く午前のお勤めの時刻だ。
慣れたようにユーリは大聖堂の2階に上がってすぐの自身の控えの間へと向かう。高位巫女であるユーリには大聖堂内に個室の控室が与えられている。そこに入るとオドレイはそれ以上立ち入れ無い。ここから先は巫女以外が出入りできない聖域となる。ここまで来れば勝ちである。
「お小言は後で聞くから、またね」
少しばかり意地悪くユーリは笑顔をオドレイへと向けた。
中に入れば側仕えの巫女である羽草の位の幼女達によって服を剥がれ、身を清めるために汲み上げられた湖の水へと身を沈める。
ふわりとユーリの背に刻まれた聖痕に熱が籠る。
ここは中央教会。人生で一度は人々が訪れる場所。
人々の文化圏の中心に位置する聖都マグダラは大陸のほぼ中央にい位置する。遥か古の人々はこの地を十字大陸と呼び習わした。
真上から見るとロザリオのように十字の形をしているからそう名付けられたそうだけれど、どうやってそれを見たのかは謎が残る。
そして、人の祖たるアダムとイブの降り立った地とされる聖都マグダラは気高き山がぐるりと囲む巨大なカルデラ状の地形に位置する。そして教会が鎮座するのはその中でも最も神聖とされるドーズマリープール湖の孤島、アヴァロン。
この湖全域が聖域でありこの聖水で禊ぎをする事で人々の穢れは洗い流されると信じられている。
その水を汲み上げて禊を巫女達のは日に4度行う。朝の夢見の穢れの禊、午前の祈祷の禊ぎ、午後の祈祷の禊ぎ、夕の安息の禊ぎ。
ここに来たばかりの頃、私の歳は7歳だった。他の巫女達は5歳で此処へと来るのに、私は5歳の選抜では選ばれず、7歳になった年に姉巫女であるローザ様に連れられてこの地を踏んだのである。5歳で選ばれなかった段階で諦めて縁などないと思っていた巫女としての生活に、はじめは慣れなかった事を思い出す。周囲の嫉妬と羨望の眼差しに晒される事も慣れなかった。なぜ人々が自分に注目するのかも分からなかった。それを諭してくれたのは今は同じ聖位の友だった。
今では湯浴み衣一枚で磨かれるのも慣れたものだ。でも、物心ついた時の生活はやはり忘れ難い。その根底にある思いが私を巫女らしからぬ俗物的な思想へと誘っているのかも知れない。
水から上がり私は周りの少女達と同じ、白い祈祷着へと袖を通す。銀糸の髪は一つに纏められ雪待草に薔薇飾りのついた髪留めで留められる。
そして頭全体をすっぽりと覆うように雪待ち草の刺繍の入ったベールを被せられた。視界は意外と良い。
「いってらっしゃいませ、姫巫女様」
羨望の眼差しで後輩達は私を送り出す。これも毎日の事だ。私は1人静かに大聖堂へと続く薄暗い中廊下を歩む。ふと、目の前に人影が現れた。
「リリー、先に居るなんて珍しいね!」
目の前の友に私はは声をかけた。
目の前の乙女はニコリと微笑んで返す。太陽の光を含んだように美しい金の髪に蒼く澄んだサファイアの瞳、髪留めの意匠は私と同じ雪待草だけれど、彼女の物には百合の飾りが揺れる。同じベールを被っていても彼女はなんて神秘的なのだろうと私は毎日見ているはずの友に見惚れてしまった。
「今日はユーリの方が遅いのですわ。また何処かで寄り道でもしていたのでしょう?」
優しい声色は私の心を弾ませる。
「まあね、そういえば、オババ様達から呼び出されたちゃったんだけどさ、リリーは何か聞いてる?」
共に少し歩き、リリーと二人で大扉の前に並び立つ。
「菊花のお姐様方をそんな風に言ってはいけませんよ、薔薇姫様。それに私もお勤めの後に呼ばれておりますの。もしかしたら、今後のお話しかもしれませんわね」
「はーい、気を付けまーす。リリーが一緒ならお叱りじゃなさそうね!安心したわ」
「またお叱りを受けるような事をなさったの?今度はなあに?中庭の木にでも登ったの?それともまた聖堂の屋根にでも登ったの?まさか、百合巫女姉様のお部屋へ忍び込もうとされたんじゃないでしょうね?」
少しばかり怪訝そな双眸に後ろめたい気持ちで視線をそらす。全部今までやったり試みた悪戯だったからだ。
「…やだなぁ〜リリーたら!もう子供じゃないんだからそんな事するはずないじゃない…」
「だといいのですけれど…さぁ、午前のお勤めに参りましょう。歌う準備は出来ていますか?」
ため息交じりのリリーの問いに巫女らしからぬ笑顔を自覚しながら答えた。
「何時も通り、バッチリ!」
リリーはやれやれとベール越しに頭に手を当てて首を振ってみせた。
定刻となり、大聖堂への扉は開かれる。
扉の先で私達は二手に別れる。右の道へはリリーが、左の道へは私が其々に進む。進む先は階段で緩く弧を描いたようになっている。進んだ先に光が指す。開けたそこは大聖堂前方の女神像の左翼の下にあるバルコニーである。視界の右、対となるひ右翼の下のバルコニーには先程別れたリリーが姿を見せる。
大聖堂の一階には入れるだけ入ったと思われるほど、人がみっちりと詰まり、私達から一段下がった位置にある左右のバルコニーにも同士である巫女達が同じ祈祷服を纏い静かに整列してその時を待っている。
これから行われるのはこの世で最も神聖とされる儀式であり、祈りだ。日に2度行われるそれは「成人の儀」「選択の儀」と呼ばれる。
大聖堂の一階は乙女の間と呼ばれ、椅子はなく、タイル地に薄く湖の水が張られている。儀式を受ける者は須く禊ぎの後に教会から用意された薄衣を纏い、ロザリオを抱き、その場に膝を折り祈る。
そこで12歳から20歳程までの乙女が、人生で唯一、たったの1度だけ許される性別の選択を行う事で大人となる。それを逃れて成人するのは巫女か、迷いが強すぎて女神が性を授ける事を悩んだ迷い人だけだ。さらに言えば、殆どの巫女達もその年齢になれば成人の儀を行って巫女を卒業して行く。巫女で居られる時間も有限なのだ。
それがこの世の人類史創設からの慣わし。
一階の女神像の真下の大扉が開かれる。奥から姿を現したのは燃えるような赤毛にルビーの瞳の意思の強そうな巫女だった。彼女は私の魂の姉妹であり、薔薇巫女の位を賜る人だ。
彼女が足を進めればパシャリパシャリと水を掻く音が聞こえる。
静寂の中でその音は静かなのによく響いた。
「乙女の皆さん、今日という善き日、皆さんの人生の節目にこうして立ち会える歓びを言祝ぎましょう。私は薔薇巫女。全ての巫女達を代表してこの儀式を進める者」
聖堂内は少しざわめく。毎度の事だ。
「静粛に。安心なさい、迷える乙女達よ。私はこの式を進行する者であり、取り仕切るのは我らが最高の頂きに座す尊き巫女長、百合巫女様です。百合巫女様は皆さんのために神に最も近い場で皆さんの迷いと願いを導きます」
そう薔薇巫女が宣言すれば聖堂の前方にある女神像の胸元で組まれた両手の位置が光り輝く。
その場の誰もがそこに百合巫女様が座すのだと分かるほどに神々しい。
聖堂かららは「おぉ」とも「あぁ」とも聞こえる感嘆が漏れ聞こえる。無理もない女神の奇跡をそこに見たのだから。
「百合巫女様も安心めされよと申しております。さて、皆さん、この場にて今一度、自分の心はお決まりですか?迷いある者には女神様が性を授けられます。しかし一度きりの神の奇跡。男がよかった、女がよかったなどとの嘆きを女神様は所望されません。あまりに悩み深き者には性を授ける事を悩まれる事も御座います。
出来れば己が判断をと、その尊き判断こそ御所望でしょう。
今ならば、まだ引き返せます。今一度迷っても良いのです。迷いある者は入ってきた乙女の扉を潜りなさい。今一度だけ己が心と対話する時間を設けましょう」
薔薇巫女がそう言い切ると、何処からともなく大きな砂時計が現れた。
「時間はこの時計の砂が落ちきるまで待ちます。心が定まらぬ者は立ち上がり、乙女の扉を潜りなさい。女神様はそれをお咎めにはなりません。皆さんが己の道を選べるまで女神様はお待ちです。近くの者と相談してはなりませんよ。性を選ぶのは己のみ。自分との対話以外にはありません。では良い最後の乙女の時間を」
そう言って砂時計をひっくり返す。
サラサラ砂が流れ落ちる音だけが不思議と響き始める。
砂が三分の一も流れぬ間に1人、2人とその場を立ち上がり、両翼の乙女の門を潜った。その少女達には迷いがはっきりと浮かぶ。
迷いを抱えたまま大人になどなるものではない。覚悟を決めたと言っても、自分で選んだと言っても不安や迷い未練は付き纏う。その想い全てを巫女は受け止めて神へと願わなければ神の奇跡など起きはしないのだ。だからこそ、真摯に向き合ってもらいたい。迷いが深くない限り、もう2度と自分の性を決める機会など訪れないのだから。
砂が落ちきるまでに今日は8人の乙女が踵を返した。でもそれで良い。自分で決める事が大切なのだ。
そして扉は閉められる。
乙女達は引き返せない事への不安と未来に対する畏れを抱きつつも覚悟を定めた瞳をしているものが多い。諦めや葛藤を胸に抱く者もいる。しかし全てを待つわけにはいかない。
「では、成人の為の性選択の儀を始めます。男の性を選ぶ者は捧げ髪を前に」
その一言で男を選んだ乙女達は自分が産まれてから一度も切ることの無かった一房の髪を自分両の手に納めて捧げる。誰が教えたわけでもないのに、皆がそれに倣った。
「女の性を選んだ者はそのまま祈りを…」
乙女達は皆目を瞑り、首を垂れる。両胸に両の掌を交差させて重ね、その胸にロザリオを抱く。これが殆どこの場に居る者達にとって最後の祈りの形何だろうなとしみじみ何故か思ってしまう。成人を迎えれば祈りの姿勢は変わってしまう。両翼を抱く祈りはこれが最後…。
そこに歌がさ重なる。巫女達が歌を奏でる。私の口からも歌が溢れる。それは人の口から出たとは信じられない程澄んでいる。自分の声では無いと思う程なのに、不思議と音は溢れる。まるでその歌声は雲雀を思い起こさせるだろう。そんな中で、リーン、リーンと鈴の音が交じる。そしてパシャリ、バシャリと軽やかに水を跳ねる音が聞こえる。
上から眺める私は、目を閉じて祈る乙女達はこの光景が観れないのだと残念に思える程にそれは幻想的な光景だった。
やっぱり姉様は綺麗だ。
足の踏み場もない程の乙女達の合間を自分の姉巫女が踊る様に、滑る様に進んで行く。その両手には先程までなかった薔薇巫女の身の丈以上の白銀の大鎌が握られており、その重さを感じさせることなく薔薇巫女は優雅にその鎌を振るっている。そしてその切先は見事に乙女達の差し出す奉納の供物である捧げ髪だけを刈り取って行く。
さながら戦場で魂を狩る死神の様にも、疲れ果てた人々の魂を女神の元へ送る天使の様にも見えるだろう。
しかし彼女が刈り取るのは選ばれなかった未来であり、乙女達の不安だ。そこに残るのは捧げられた髪ではなく真っ白な羽だった。
軽くなったそれに気付いた者から、驚きと共にその羽を抱くように祈りを捧げる乙女の祈りの姿勢へと居住まいを正す。
薔薇巫女は全ての乙女の不安と捧げられた髪を刈り取ると元の女神像の前へと戻る。歌の響きは優しくも強いものとなり、聖堂を圧する。息苦しさは神々しさを伴って女神様を強く皆が感じ始める。
女神がいらっしゃる…そう思うと同時に一筋の涙が頬を伝う。
そして温かな女神の抱擁を感じると共に、自身の中に流れ込んでくるのは重く苦しく言葉にならない混沌…それは乙女では無くなる者達の負の感情そのもの…叫びたい。嘆きたい。助けを乞いたい。そんな不安の激情が今日も流れ込む。男になりたかったと心の内で想う者、女ならばどんな未来だったろうと想う心。切り捨てた未来に対する計り知れぬ未練…
全てをその一筋の涙と共に巫女達は飲み込む。
気付けば歌は止んでいた。
今この場を支配するのは衣擦れの音一つしない静寂だけ。
呆気ない。だというのに畏ろしい。神の奇跡がその身に起こったのだと乙女達は理解する。いや、もう性を得た彼等を乙女とは呼べない。
その身に降りかかるはずだった負の感情さえ巫女様と女神様は持ち去って下さったのだと、新たに得た性と共に感謝する。嘆きの声は聞こえてこない。届くのは奇跡に対する感謝だった。
流れ込んだ負の感情に眩暈を覚える未熟な自分とは対照的に姉巫女は涙の滴もそのままに優雅に微笑んでいる。
「さぁ、新たなる若人達よ。女神様は其方達の門出を祝して下さった。ロザリオの羽折を行います。それが終わり次第女性は乙女の門の左、原罪の扉へ、男性は右の贖罪の扉へ進みなさい。男性はそこで新たな名を授かるでしょう。それでは皆様、成人おめでとうございました。明日からの人生幸多からん事をご祈念いたします」
そう言って静々と姉巫女は下がって行く。姉巫女を傍で見てきた私は知っている。その扉の向こうではようやくと息をつき、苦しむ姉巫女の事を。
私も苦しいがその表情は崩さない。成人を迎えたばかりの若人達が不安にならぬ様にただ静かに微笑みを湛える。
眼下の者達は1人、また1人と祭壇へロザリオの片翼を折って奉納して行く。最後の1人が扉を潜り、戸が閉められると同時に場にいた巫女達は一斉に頽れる。
この日に2回あるこの儀式はとても力を持っていかれる。下級の巫女は午前と午後で交代しなければならない程にきつい。上級巫女の私がそれを表に出す事は示しがつかないと、毎度震える足に力を入れる。
でも、やっぱりしんどい…。
心に風穴を開けられたような虚無感や心の内をザワザワと不安にさせる恐怖は言い表しようが無い。
ふと視線を上げれば、自分の姉巫女の様に涼しい顔をしていたリリーが深く息を吐くのが見えた。痩せ我慢はお互い様だねと少しばかり口角が上がる。
そっと2人は視線を交わすと互いに女神像と、百合巫女様に向かい一礼をして聖堂を後にした。
そのまま控室で休んでしまいたい衝動に駆られながらも控え室で汗だくの衣を脱いだ。控室にいた下級巫女は素早くタオルと替えの衣を手渡してくれる。
「ありがとね。午後のお勤めまで貴女達も少しゆっくり休みなさいね」
受け取ったタオルで汗を拭きつつ言えば、下級巫女達は顔を見合わせる。
「最近お疲れになってお戻りになられますけれど、姫巫女様のお身体こそ大丈夫でしょうか?最近は迷い人も増えてきたと聞きますし…」
迷い人とは性別を選びきれずに儀式に臨み、その悩みの深さ故に性を授ける事を女神に保留された者を指す。今までは3年に1人位の頻度だったがここ半年で4人ほど出ている。下級巫女達は不安なのだろう。乙女達の不安が深ければ深い程巫女達への負担も大きなものになる。共感性の強い者だとしばらく寝込む事もある。
「迷い人の事は女神様もきっとお嘆きよね…でも、2回目で皆きちんと性を選択出来ているのだから大丈夫よ。それに最近は巫女見習いも多く島入りしているから、もう少ししたらきっと楽になるわ。安心して」
そう言えば下級巫女達は少しホッとした顔になる。
不測の事態とはなんとも不安になるらしい。それに事実ここ最近の儀式の身体的負担は増えている。徐々になので気付き辛いが、それが不安に拍車を掛けているのだろう。
「今日はこれから菊のお姐様方からお呼び出しなの。着替えを手伝ったら今日は下がってね」
そう言えば手早く身支度を手伝って下がっていった。
菊の位は上から3番目の位だ。別名は長老会という。私達雪待草の一つ上の位だ。菊巫女は正確にはもう巫女では無い場合が殆どなのだけど、この役位だけは特別な枠で便宜上巫女と呼ばれる。この役をいただくのは元薔薇巫女となった者だけであり、成人後も教会の運営の為に席を置く事を許された人々である。しかし、席は六席と決まっている。そしてこの中から次期法皇が決まるのである。そんな高位巫女からの呼び出しに興味をそそられつつも下級巫女達は何も聞かずに居てくれる。
教会内で私が1人になる事は少ない。その立場故に常に他人の目に晒される。そんな生活もここに来て7年になる。
控室を出れば、護衛役のオドレイが扉にピッタリと控えていた。予想通りだけれど少しうんざりもする。
「オババ様のところくらい1人で行けるよ?」
「まったく信用出来ませんね」
「今日はリリーも一緒だから逃げ出さないよ〜」
オドレイの眉根は少しばかり上がる。
「百合姫様もお呼ばれでしたか…」
そう呟くと私と並んで歩き始める。
そして外廊下から階段を目指す。 目指す先は3階である。ちなみにだが百合巫女様の私室は4階に位置し、女神像の中にお住まいになられていると聞く。そこが最も女神に近い間であるらしい。就任後から私も多忙の百合巫女様にお会いした事は無い。何度か忍び込もうとしては門番代わりの菊巫女の姐達に見つかりその都度説教を喰らって居た事を思い出す。
私はダメでも魂の姉妹として契りを交わすリリーは世話のために出入りしていると聞いて狡いと思って潜り込もうとしたんだったと思い出す。
百合巫女様のお仕事は謎が多い。直接どんなお勤めをしているのか聞いてみたかったのにな…
リリーは百合巫女様の仕事の事を「女神様の手脚となって世界にその祝福という名の◾️◾️を蒔かれるのがお仕事よ」と言っていたっけ…。上手く聞き取れなかった部分はなんて言っていたのだろう…思い出そうとしても思い出せない。まぁいい。そのうちまた聞いてみよう。
そんな事を考えながら歩けば目的の部屋は直ぐだった。此処は大聖堂3階。位置で言えば女神像の腰の位置だと聞いたことがある。
扉を守る聖騎士は私と視線が合い、顔を認めると通達を受けていたのか、大きな扉のノッカーを鳴らす。
「菊の君方、薔薇蕾の雪待ちの君が参りました」
そう知らせを口にすれば、ギギギと音を立てて扉は開いた。
中は薄暗い円筒形の部屋だ。女神像の中のそこに窓は無く、中央の円卓を照らすのは精霊灯の光だけだ。
中には既に人がいる。円卓に座る6人は皆白の法衣で同じベールを目深に被っている。
そして円卓の手前には姉である薔薇巫女と、既にリリーが佇んでいた。
やば…遅刻したかも…
内心の焦りを見せない様にしつつ菊の方々へと頭を垂れた。
「お呼びに応じ、薔薇巫女が妹、ユーリシアが親愛なる菊花の君方へ拝謁いたします」
「やっと来たのかね、ユーリシア殿。位の高い薔薇巫女や同格とは言え筆頭で高位貴族の高貴なる血筋であるリリアーヌ様まで待たせるとは…まったく教養と品位の無い者がなぜ女神様からの寵愛を受けているのか疑問ですな」
最も恰幅の良いおっさんが鼻で笑う様に嫌味をぶつけてくる。
いつ見ても感じの悪いおっさんだなぁ…
巫女と評しているが彼は男である。歳の頃は40半くらいで菊の花の中でも尊大な態度で評判は悪い、貴族派の枢機卿だ。彼は何かと平民生まれの私に厳しく嫌がらせをしてくる。貴族の血筋でない者が高位巫女になる事に反対な派閥の長なだけあり庶民出身の私への風当たりが厳しいのだ。
私は額に浮かぶ血管が浮き出ない様に気をつけながら男に向かっていい笑顔を向けた。
「遅くなり大変申し訳ございません、ガーリンソーガ枢機卿猊下。あいにくと最も遠い控室を賜っております為、参上が遅れました。折角猊下がご配慮下さった部屋ですがそれだけが難点ですね」
彼が女神像に近い控え室は他に雪待草の巫女が現れた時のために開けておくべきだと主張して私の控え室は女神像から遠い位置にある部屋を賜ったのだ。ちなみにリリーはこのすぐ下の部屋を賜っている。
ニコリと嫌味を交えて返せば、ベールで隠れているはずの顔に憤怒が浮かぶのがよく分かった。嫌味を返されると思っていなかったのか、はたまた私が内心では舌を出していたのはバレていたのかはわからないが、互いの視線はパチリパチリと火花を散らす。
「姫巫女も、ガーリンソーガ卿もその辺りになさい。本題に移りますよ」
そう諭したのは歳の頃は60を過ぎた白髪の巫女だった。現在の長老会の長であり、実質的な教会を取り仕切る菊の巫女の筆頭エポック卿だった。凛としており、ほっそりとしているのに芯の太い印象の人で私も何度となく世話になっている為に頭が上がらない。私の魂の姉妹を辿ると彼女に行き着くのも要因かも知れない。
渋々ながら謝罪をしてリリーの隣へと歩みを進め、そこに収まるとエポック卿が話し始めた。
「周りくどいことは無しに、単刀直入に申します。百合巫女様のお力が弱くおなりです。昨日ついに半年で5人目となる迷い人が現れました。規定により代替わりのための次代様百合巫女の選定を行います。百合蕾の姫巫女、リリアーヌ。薔薇蕾の姫巫女ユーリシアの両名に次期巫女長としての力を示してもらいます」
「エポック卿、やはり選定など行なわずともリリアーヌ様の方が優れていらっしゃる。教養も、巫女としての心構えも申し分無い。何よりクローチェ家の直系のお嬢様なのですから。どこの誰とも分からぬ西の地のものなどよりよっぽど巫女長の座に相応しい。かの役職は生半可な覚悟では受け入れられないのですからな」
全く、いちいちこの狸親父は腹立たしい。確かに筆頭の候補じゃ無いし、貴族の出身でも無いけどお勤めは真面目に真摯に向き合ってきた。それを思うと…何だか腹が立ってきたな。
一言なにか言ってやろうかと思って息を吸うと、それを静かに制するように隣に立つリリーが一歩前に出た。
「ガーリンソーガ卿、私を買ってくださっているのは大変にありがたい事で御座います。ですが、此処は俗世と離れし聖域で御座います。ましてや巫女は須く女神に選ばれし愛子…それをそのように語られては女神様が悲しまれるかと…勿論、薔薇の姫巫女に百合巫女様の座を譲る気など毛頭御座いませんのよ?
そんなに俗世に関わりを持ちたいのでしたら、教会ではなく政治の道へと進まれてはいかがでしょう?我等の選定が終わり代が引き継がれれば自然と菊の席も移ろいましょう。その時にはきっと俗世で貴女の兄巫女であった私の父が力になって下さいますわ、黄薔薇様。…あっ、失礼、元でしたわね。私とした事がうっかりとしておりましたわ」
ニコリと微笑むリリーは静かに怒っていた。正直怖い。こうなったら落ち着くまで時間がかかる。全く竜の尾を踏んだな…
何時もは毛嫌いして名前も出さない父親の事を引き合いに出す程度には怒っている。良かれと思って援護したはずのリリーの怒りにガーリンソーガ卿は一瞬キョトンとして、自分の前の通り名を言われてまた怒りで顔を赤らめた。
薔薇巫女は滅多にないけれど最大三人までがその席に付くことがある。このおっさんの時がそうだったらしい。
その際には紅薔薇、白薔薇、黄薔薇の順に明確に順位付けされている。
ガーリンソーガ卿は元はその3番目の黄薔薇巫女と呼ばれる地位にいた人だ。福音は確か薔薇巫女になるのにはギリギリの3つで、貴族の実家からの圧力で薔薇巫女の位を賜ったとの疑惑の人だと聞いた。百合巫女の選定の巡礼にも興じていないとリリーは言っていた。
もっとも引退後は政治の方面に進出を考えていたそうなのだが、ご実家のご当主がお隠れになり、足場も後ろ盾も無くした為に菊の巫女の地位にしがみついているとさえ言われている。
そんな人物が自分より高い位にいた人物に劣等感を抱かない訳もなく、黄薔薇巫女と呼ばれるのは屈辱だったのかも知れない。
因みにリリーの父は元は紅薔薇の位を賜った方で、現在は法皇の宰相として政に関わっている大貴族だ。法皇猊下はリリーの父の姉巫女なのだと昔教えてもらった。
「貴様…私を愚弄する気か!」
愚弄するも何もリリーは事実しか言っていない。その劣等感に恥ずかしくなっているのは彼だけなのだけれど…
さらに言えばリリーも私も姫巫女で、将来の百合巫女か薔薇巫女なのでそのうちガーリンソーガ卿よりも位が上がることはかくていなんだけどなぁてん
「ガーリンソーガ卿、これ以上場を乱さぬように」
エポック卿に睨まれてガーリンソーガ卿は何も言えなくなる。ざまぁみろ。
こっそり舌を出したら姉巫女のローザ様にペシッと頭を叩かれた。ちょっと痛い。
そんな私をみて苦笑しながらエポック卿が続ける。
「現在、二代続いて巫女長候補が2人しか現れておりません。どちらが百合巫女になってもおかしくないと私は思っております。
二人にはこの大陸を一周する巡礼の旅を通し、貴女達の跡を継ぐ姫巫女を見つけ出してきていただきます。期限は一年。その道中全てが審査の対象です。善行を重ね、より良い世を目指しなさい。出立は1週間後とします。質問があれば後でお答えしましょう。今日お伝えするのは此処までです。午後のお勤めもお気張りなさい」
ついにこの時が来た。私がローザ様と出逢ったように私も間も無く巡礼の旅に出る事が出来るのだ。
夢見まで見た教会の外の世界を旅し、人々と触れる…
何て心踊る響きだろう。
試練の告知だというのに、私の心は浮き足だっていた。




