42(轢断死体・グロ注意)
高梨は今、マグロを前にして硬直していた。鑑識員や同僚の刑事たちは、もくもくと自分の仕事をしている。
だが、人生初のマグロは想像していた以上に強烈な代物だった。顔面から血の気が引く。足が震えだし、立っていることさえままならない始末である。
無論、マグロとは魚ではない。電車に轢断された人間の、バラバラになった死体のことだ。
「しばらくスーパーで、お肉が買えない……」
そこら中に散らばった肉片を見る度に、人間も肉の固まりなんだなあ、などと思ってしまう。実際、線路にこびりついている肉片は、スーパーでパック詰めされて売り出されている牛や豚の細切れ肉とどこがどう違うのか、ほとんど区別がつかないのだ。
色も同じ、形も同じ、敢えて言うなら臭いがあるかないか、だろうか。
食用にきちんと血抜きなどの下処理をされた肉は、あまり生臭くない。それこそ、主婦ならば必ず一度は嗅いだことがあるはずの肉の臭いで、嫌悪感を呼び起こされる人は少ないと思われる。
しかしながら、こういう場合も肉片というものは、肉の一片一片に大量の血が含まれているから、妙に生臭いのである。無論、人の肉だという気分的な問題でもあるかもしれない。
ついでに、腹の中のものをすべてブチ撒けているのだ。人間の腹の中に入っているのは他人様にお見せできるものばかりではない。特に、腸の内容物が散らばった周囲は当然だが悪臭がひどい。
「なんなのよ、もう。土曜日の夜に限ってこんな……」
高梨は、半泣きになりながら肉片の間を歩いた。どうして刑事の自分がマグロの現場に寄越されなければならないのか、高梨は河合警部の人事を心底恨んだ。
「財布がありましたよ。木村光三、四十七歳。で? 高梨さん、どうします? 酔っ払いが線路で寝てたってことでいいですか? 運転手さんの話じゃあ、他に人は見ていないってことだし、事故でいいですよね?」
「うん、それでいいと思うよお」
実際、他に考えられる可能性はないに等しい。
「じゃあ、まずは死亡確認ね」
「死亡確認?」
巡査が目を丸くした。さりげなく聞き耳を立てていたらしい鑑識員が噴き出したのが見えた。はっとした。ここまでバラバラになった肉の固まりに命があるはずはない。
「事故で処理しちゃってください」
はい、と返事をした巡査の視線は幾分冷ややかに感じられた。溜め息をついた時、敷石の上からこちらを見上げていた眼球と目が合った。ぞっとする。慌ててその場を逃げ出した。
「土曜の夜くらい飲みたい気持ちは分かるけど、ほどほどにしないと、本当に大変なことになるんだよお」
夜空の星を眺めながら、必死に気分を落ち着かせる。気のせいだろうか、肩が重い気がする。




