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「なんだか最近、そんな話ばかりですねえ」
開店前の居酒屋は、どこか殺伐とした雰囲気に満ちていた。ビールのケースを運びながら、店主だという五十がらみの男は、あからさまにうんざりした顔で高梨を見やった。
「ついこの間も、そこの市民公園で頭がおかしくなった男の人が変な死に方したばかりでしょう? 今度は何でしたっけ?」
「飛び降りです。身元不明で、財布の中に唯一ここのレシートが入っていたものですから」
大将は盛大な溜め息を零した。
「まったく、いい迷惑ですよ」
「まあまあ、大将、そうおっしゃらずに」
自分が最も可愛らしく見える角度をキープしつつ、高梨は盛大な愛想笑いで店主に詰め寄った。店主は大きく溜め息を零す。ほんの少しむっとしたが、出かけた文句はしっかりと飲みこんだ。
「自慢じゃないですけどね、うちはそれなりに繁盛しているんです。掻き入れ時には、座りきれないほどのお客さんが入るんですよ。そんな状況で、常連さんでもないのに、いちいちお客さんの顔を覚えていると思いますか?」
店主は面倒くさそうに写真を突っ返してきた。
身元不明の女性が所持していたスマートフォンの中には、数え切れないほど自分の顔を写した画像……いわゆる自撮り画像が残されていた。その中から、画像修正が比較的少なく、なおかつ本人の顔に最も近いと思われるものを、幾つかプリントアウトしてある。
高梨は早々に諦めたが、前原はまだ諦めきれないらしい。ずい、と身を乗り出し、大将に写真を突きつけた。
「こういう店では、お客の顔を覚えるのも仕事のうちだと思うのですが。もう一度よく見ていただけませんか」
前原に言われて、大将は嫌々といった雰囲気ではあったものの、プリントアウトを受け取った。老眼なのか、眉間に皺が寄っている。
「この女の子の方はともかく、一緒に写ってる男には見覚えがありますよ。何度か店に来たことがある」
ややあって、大将が有力な情報を口にした。見覚えがあるなら最初に言えよ、と思ったが、それは言ってはならないことだ。さっそく手帳とペンを取り出す。
「この男の子は、藤川建設で働いてる子ですよ。名前までは知らないが、年の割りによく働くっていうんで、親方さんが随分と気に入ってましてね。なんだかんだと理由をつけて、うちに連れて来てました」
「親方さんと二人で、ですか? 他にも誰か一緒ではなかったですか?」
前原が興奮した口調で聞いた。彼は勘違いしているが、これは殺人事件でもなんでもない。変死体の身元特定の聞き込みだ。
「誰か一緒じゃなかったと言われてもねえ。そりゃあ、会社の付き合いですから。日によって顔ぶれが変わることもあったし……女の子を連れて来ているときも、あったように思いますねえ……」
記憶を手繰るように顎を撫でながら、大将はプリントアウトを捲って、まじまじと見つめる。
「ああ、そう言えば、入院したとか言ってたっけなあ。この子だったか。あ、いや、葬式だ。葬式があったんだ。いつだったかなあ……親方さんのところの若いのが一人、いきなり死んじまったとか言って、喪服のまま飲みに来たんですよ、昼間っから」
死んだ、という一言に、高梨と前原は無意識に顔を見合わせていた。前原が口を開く。
「いきなり亡くなられたんですか?」
大将は眉を潜めながら、時計を見上げる。
「酔ってたからねえ、話が要領を得なくて……ただ、藤川さんのところの若いのが二人、朝っぱら商店街で大喧嘩やらかして、救急車で運ばれたそうなんですよ。で、総合医療センターに入院してたんだが、そのまま死んじまったとか、なんとか」
高梨は思わず絶句した。自分の頭の中で、話の登場人物に名前が割り振られていくのを感じた。
「そう言えば、藤川の親方さんが連れて来たことがありますよ。社員の若いのを二人と、それから女の子。ほら、今人気のサッカー選手がいるでしょ? 短い金髪の。似たような髪形した、子供みたいな顔した男の子の傍に、この子がいた……かもしれません」
木村真幸が付き合っていた少女が自殺した。そしておそらく、葬式は小野田隆弘のものだ。
「四人で一緒に飲んでたんですか」
前原が、いきなりそんなことを言い出した。
「ええ、まあ、そうでない日の方が多かったですが……」
大将が答えると、前原はなぜか身を乗り出した。
「どんな様子でしたか? 仲良く飲んでいる感じでした? それとも、なんていうか、深刻な雰囲気で?」
大将は戸惑いながら必死で言葉を探している様子である。
「仲良くやってましたよ、たぶん。記憶に残ってないってことは、おそらくおとなしく飲んでたっていうか、普通に飯を食って、酒を飲んで……ああ、酒を飲んでいたのは親方さんだけだったと思いますが……あ、もうひとりは、二十を超えてたかな……」
言外に未成年者にアルコールは提供していない、と言いたいらしい。気持ちは分かるが、高梨にしてみれば正直どうでもよかった。しかし、前原は引き下がらない。
「それで?」
「それで、と言われましても……」
大将の顔には明らかに「そろそろ帰ってくれ」と書いてある。
「藤川建設と言えばね、こっちの世界じゃあそれなりに有名なんですよ。たいてい、あそこには中途半端な不良が就職するでしょう? トラブルの気配はなかったんですか。性欲だけで生きてるような連中が働いてるんでしょう? トラブルが無いはずはないですよ!」
「……それは誤解というか、偏見だと思いますけど」
高梨の頭の中に、ベテラン婦警の言葉が蘇ってきた。「サカリが付いてるだけさ。放っておきな」溜め息をつく。
大将は唸りながら再び時計を見上げる。ほんの少し前原の顔色を窺ってから、彼は空のビールケースを三つ重ねて、裏の方に向かって移動し始めた。前原がしつこく追いかける。
「彼らがどんな話をしていたのか、何か聞いてませんか?」
大将は「うーん……」と唸った。
「お客さんの話に耳を傾けないのが従業員のマナーです、と言いたいところですが……かきいれ時ってのは、前の注文が片付かないうちから二つも三つも注文が入ってくるような状況なんです。いちいち客の話まで聞いてられないですよ。それに、もし聞いたとしてもよほどの内容でない限り……」
ビールを手に、再び店舗の方に向かう大将の後ろを、二人は付かず離れず追いかける。
「この女の子は、金髪のガキの恋人ですよね? 本当に仲良くやってました?」
「う、うぅん……」
「周りには、藤川建設の若い男がいくらでもいたでしょ? 例え恋人でうまくいってるとしても、女が浮気してるかもしれないじゃないですか!」
「え、えっとぉ……」
前原は、四人掛けの席を指差した。
「テーブルの下で、こっそり違う男と手を繋いでいたとか」
「そりゃあ、テナガザルでもなけりゃあ無理でしょう」
その一言で、前原が黙り込む。
「とにかく」
濡れた布巾でテーブルを拭き始めた大将が、本格的に迷惑そうな顔で二人を見やった。
「女の子の身元が知りたいなら、総合病院に行かれたらどうですか。彼氏がまだ入院してるんでしょう?」




