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 総合病院に到着し、井崎は白衣も着ないまま真幸の病室がある階へと向かった。エレベーターのドアが開くなり、看護師たちの怒鳴り声と、少年たちの笑い声が聞こえてくる。


 予想とは違う事態に不信感を抱きつつも、騒ぎの現場へと向かった井崎は、そこに広がる光景に一瞬、絶句した。


「何やってんだ、お前ら!」


 そこには、消灯した廊下を車イスで爆走する真幸と、それを携帯電話で撮影する隆弘、冷静な顔でタイムを計っている響也、更に鬼気迫る顔で真幸を追いかける看護師二名、他の入院患者に詰め寄られて真っ青になっている研修医の蓮見という図が展開していた。


「さっさと部屋に戻れ! 他の患者さんの迷惑になるだろ!」


 アアッ! という顔をしながらちょうど目の前にやってきた車イスの持ち手を掴み、素早くロックをかけてやった。井崎に捕まった真幸は、手術したばかりの脚では逃げ切れないと観念したのか、実に神妙な顔でお縄になった。


「本当に、あなたは! 病院を何だと思ってるの! 他の患者さんたちの迷惑も考えなさい! 井崎先生! この子たち、どうして入院させているんですかっ?」


 肩で息をしている看護師から、微かに汗の臭いがした。井崎の手から車イスを引っ手繰るようにして彼女は真幸を連行していく。主犯である彼が捕獲されたことで、隆弘も響也も我関せずといった表情で病室に戻って行った。


「明日には退院させてもいいでしょう? 信じられないです!」


「いやいや……信じられないという気持ちは分かるけどね」


 看護師は、まるでダンプカーが積載している土砂を放り出すような勢いで真幸をベッドの前まで連れて行った。そして、彼に手を貸し、ベッドに転がしてしまう。


「まったくもう……! 井崎先生も、白衣くらい着てください!」


 頭から湯気を立てながら、看護師は乱暴な足取りで病室を後にしてしまった。叩き付けられるドアの音に、思わず身が竦んでいた。


「緊急で呼び出したのはそっちだろ。何で俺まで怒られなきゃならないんだか」


 ぼやいた時、真幸が声を押し殺して笑っていることに気付いた。


「反省してないな、お前」


 呆れた口調で言ってみると、真幸は「まあね」と曖昧な返事をしてきた。おもむろに携帯電話を取り出し、弄り始める。そんな真幸を見ていると、怒る気力が萎えていった。


「なあ、水が飲めないってことはないよな?」


 ふと思い出して聞いてみると、真幸が意外そうな顔をして見上げてきた。


「なんだよ、急に。俺、もともとミネラルウォーターの類は好きじゃないんだけど」


「味が付いてれば今すぐにでも飲めるか?」


「なんで? あ、もしかして先生がおごってくれんの? それならサイダーでよろしく!」


 思わず溜め息が出る。肩の力が抜けるとは、まさにこのことだ。


「マジっすか! それなら俺はコーヒーで!」


 すかさず、隆弘が便乗してきた。


「分かったよ。ただし、ベッドでじっとしとけ。いいな?」


 愛想よく「りょうかーい!」などと言ってヒラヒラと手を振る真幸たちを見やり、井崎は病室を後にした。


「井崎先生って、白衣を着てないと微妙だな。誰かと思った」


 背後の病室から、真幸の声が聞えてきた。思わず言い返そうかと思ったが、あまりに大人気ないのでやめておく。握り締めた拳をそっと下ろして、そのまま医局に顔を出す。


「先生、まいりました」


 いつもはきっちりと一分の隙も無く整えられている蓮見の髪が、今夜ばかりは室井のようになっている。次から次へと流れ落ちる汗を拭いながら、蓮見はこれ以上ないほど真面目な顔で言ってのけた。


「車イスとは思えない速さで、とても追いつけませんでした」


 蓮見の的を外れた報告に苦笑いを浮かべつつ、おもしろかったので敢えて何も言わずにおいた。思い切り運動した後だからか、蓮見の顔から、いつもの陰険な表情が消えている。


「まあ、真幸は十代のガタイのいい肉体労働者だから仕方ないさ」


 長引く入院生活で元気が有り余っているに違いない、と言ってやると、ルパン三世なみに細い蓮見はまったくです、と頷いていた。


「ということで俺は帰る。蓮見、悪いんだが、サイダーとコーヒーを問題児に届けてやってくれ。お前もついでに何か飲め」


 そう言って、蓮見に千円札を渡すと、彼はおずおずと受け取った。


「ああ、それから、ジュースを届けるついででいいから、真幸のバイタル、チェックしとけ。場合によっては輸血。見せかけの元気に騙されるんじゃない。前よりはマシっていうだけで、かなりひどい貧血が出てるはずだ」


 顔色を変えた蓮見は、慌てた様子で聴診器を手に医局を飛び出し当ていった。しかし、廊下の途中でハッとしたように立ち止まる。彼の視線が、自販機がある休憩所と問題児たちの病室を行き来した。真面目な研修医の姿に、つい笑みが零れる。


「隆弘の方は順調に回復してるみたいだな。田村先生はなんて?」


 ちょうどカルテを抱えてやってきた看護師に問いかけると、彼女は何ともいえない顔で大仰な溜め息をついてみせた。


「もうちょっと様子見、もうちょっと様子見。その繰り返しです。私たちがどれだけ手を焼いてるって言っても一切聞いてくれません。ただでさえベッドが足りないって言われてるのにっ!」


 血液検査で異常が無いなら早いうちに退院させてもいいのでは、と田村に進言することを考えながら、井崎は帰り支度を済ませた。時刻は午後十一時半を差している。


 そしてその二日後、小野田隆弘は死亡退院していった。

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