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「とりあえず、顔だよな。うん、顔に出る」
じりじりと肌を焦がす太陽の下を歩いていると、横に並んだ河合が何の前触れも無く言ってきた。怪訝な顔をする高梨をチラリと見やり、河合は自嘲気味に笑う。
「昔から死に顔ってのは、どうも苦手でねえ」
「得意な人の方が珍しいと思いますけど……」
今から一時間前、昔ながらの一軒家で人知れずひっそりと息を引き取った老人の遺体を運び出した高梨は、ややウンザリした顔で返事をする。そんな高梨の返答に、河合は「そりゃそうだ」と笑っていた。
「あのじいさん、今で言うところのアイドル・オタクってやつだったんだよ」
高梨は、微かに眉を上げた。
「知り合いなんですか?」
煙草に火をつけ、河合は何ともいえない苦笑を浮かべる。
「いやいや、知り合いって言うほどのモンでもねえよ」
そう言って、河合は溜め息交じりに紫煙を吐き出した。
「俺よりも十は年上だったし、顔を合わせて話なんかしたことねえさ。ただ、この道は、俺らの通学路でなあ」
河合は目を細め、小学校、そして中学校へと続く住宅街のアスファルトを眺めていた。この町には、小学校も中学校もたった一校きりだ。最近になってあちこちに保育所が出来始めたが、高梨の時代には市立幼稚園があっただけだ。
結果、河合は同校の卒業生ということになる。上司が三十歳も離れた先輩と思うと、何だか妙な感覚を覚えた。
「音楽がインターネットで配信される時代のお前には想像できないかもしれんがねえ、流行りの歌手が最新レコードを出しても、こんなクソ田舎じゃあ発売日から一週間以上も遅れて、ようやく店頭に並ぶのがザラだったよ。待ちきれなかったんだろうなあ。あのじいさん、自分で車を飛ばして東京まで買いに行ってたらしい」
「マンガ本とかは未だにそうですけどね。ああ、萌えのためには、どんな努力も惜しまないのが本物の変態だって言うじゃないですか。きっと本物の変態だったんですよ」
真顔で言う高梨を見やり、河合は「そうそう」と曖昧に頷いていた。
「まあ、それはともかく、俺がガキだったころ、学校帰りにあの人の部屋から流れてくるテレビの声、レコードの音が、まさしく最先端の世界だったんだよ。おかげで、クラスの誰より芸能人のゴシップに詳しかった。それに、アポロ11号の月面着陸! 宇宙なんて絵でしか見た事がなかったからなあ。馬鹿みたいに興奮しまくった。それが、いつの間にやら、そうじゃなくなった」
「テレビ、普及しまくりましたもんね」
「まあ、それもあるが」
河合は、チラリと背後を振り返る。そこには、汚れたガラスの窓がぴったりと閉ざされて二人を見下ろしていた。
「社会に出て、右も左も分からなくなるほど働いているうちに、いつの間にやら自分が時代の中心になっていた。俺よりも十個も年上のあのじいさんは、知らず知らずのうちに、後ろの方へ追いやられていた。最先端だと思ってたのに、いつの間にやら自分の遥か後ろにいたんだ。なんだか不思議な気分だった」
風が吹く。煙草の煙が、一瞬で空へ舞い上がって消えて行った。
「そして……。いつの間にやら、今度は自分が後ろの方へと追いやられ始めていた。若いころにチラッとそういうことを考えたことがあった。冗談じゃねえと思ったもんさ。ただ、実際に年を取ってみると、年を取るってことに、折り合いを付けなきゃならないんだと思い始めたんだ」
折り合い、という言葉を口の中で反芻する。高梨にはいまいちピンと来なかった。
「あのじいさんは、話に聞く限り、ずっと一人だった。仕事が長続きするようなタイプじゃなかったみたいでなあ、金が貯まればすぐに散財する。結婚なんてタマでもなかったから独り身だし、ついでに俺はこの部屋から有名人以外の声がするのを聞いたことがない」
河合は、足元に煙草を落とし、乱暴に踏みつけた。
「高梨、お前も刑事なら、人間の死に顔なんざいくらでも見てきただろ。生きてるときの顔と死んだときの顔ってのは、同じ人間だってのに、まるで違うと思わないか? 何より、死ってヤツは、顔に出る。体のどこを見ても、顔ほど死が顕著に現れてる場所はない」
「ええ、まあ、それについては同感です」
「そのくせなあ、死に顔ってのは千差万別なのさ。不思議なモンだよな。もう死んでるんだから表情なんざ作れないはずなのに、なぜか死体の顔には表情があるんだ。無垢な赤ん坊は無垢な顔して死んでるし、性悪ババアは死に顔まで性悪だ。あのじいさん、死に顔には孤独が張り付いてた」
いつになく、河合の溜め息が重かった。
「まあ、年寄りの戯言だと思って忘れてくれ。じゃあ、先に戻るぞ」
ヒラヒラと手を振り、河合は結局何が言いたいのか分からないまま一人、歩み去ってしまった。どうしたものかと考えつつ、高梨はほんの少しその場に立ち尽くしていた。
河合にとって、時代の最先端だった人がいつの間にか後方へ、後方へと追いやられ、知らぬ間に自分もまた後方に立っている……。考えると、やるせない思いが込み上げてきた。
通りの向こうから、賑やかな笑い声が聞こえてくる。まだ正午を回ったばかりだというのに、近所の中学校が集団下校させているらしい。確かに、時代は若者たちのものだ。
高梨は唐突に思った。しかも、男と違って女は「若さ」が絡んでくる分、なおさら自分たちの時代が終わるのが早く感じる。
河合が言うように、折り合いを付けられるのだろうか。視線の遥か先を通り過ぎていったセーラー服を見やり、高梨は複雑な思いを抱いた。しがみ付けば、惨めだ。
自分らしく生きることと、必死になって若さを追うことは、きっと違う。自分はどうなんだろう、と考える。気が付けば三十。子供のころに思い描いていた三十歳の自分と今の自分は、明らかにかけ離れている。だからと言って、今の自分が嫌いなわけではない……。
「あの、すみません、刑事さんですよね?」
答えの出ない思考の堂々巡りをしていた高梨は、いきなり声をかけられて驚いた。振り向いたそこには、一見して異性から人気が無さそうな少女が緊張した面持ちで立っていた。
「あの、刑事さんですよね? 違うんですか?」
少女の声には微かながら苛立ちが滲んでいた。通りの端に停めたパトカーをチラリと見やり、彼女は答えを急かすように一歩前に進み出た。
「そうだけど。何かあったの?」
高梨が答えると、少女はセーラー服のポケットから一枚の写真を取り出し、問答無用で押し付けてきた。
「私、夏川早紀って言います。そこに写っているのは、兄の響也です」
天頂からは、アスファルトを溶かしてしまいそうな太陽光が降り注いでいる。一方、高梨は写真を見つめたまま凍り付いていた。
「……そいつのせいなんです、きっと。兄に変な病気を移したのは」
「病気?」
「はい。今、総合医療センターに入院しています」
そして、夏川早紀と名乗った少女は必死で言葉を探しているように、落ちつかなげに視線を泳がせていたが、ややあって覚悟を決めたらしく早口に告げてきた。
「……兄は、同性愛者なんです」
一瞬、頭の中が真っ白になった。そんな高梨に向かって、早紀は歯茎を剥き出し、にじり寄ってくる。
「違法、ですよね? 兄はともかく、相手が男だろうと女だろうと、高校生相手に買春するのは、違法ですよね?」
思考停止状態にあった高梨が返す言葉を探していると、早紀は獲物を噛み殺そうとする狼のように捲くし立ててきた。
「必ず逮捕してください! 私、もう耐えられないです! あんな汚らしいヤツが……! 汚らしい上に、醜いっ! 病気まで移すなんて、絶対に許せない! もし警察がそれ相応の刑罰をあいつに与えないなら、私があの男を刺し殺します!」
鬼気迫る早紀に圧倒され、高梨は無意味に何度も頷いて返す。彼女を見つめる少女の瞳には、どこか憑かれたような妙な輝きが宿っている。延々と呪詛を呟く少女を見て、高梨は背筋に寒いものを感じていた。
「あの男を追い込んでやりたくて、こっそり後を付けて撮ったんです。お願いします。必ず! 必ず、その男を逮捕してくださいね」
「……わ、分かりました」
高梨は呆然とした思いで、写真の中の二人組を見つめていた。




