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「いろいろと複雑だよなあ、まったく」
すっかり夜勤の顔ぶれになったナース・ステーションに立ち寄った井崎は、看護師たちが用意してくれる茶菓子で胃を満たしながらぶつける先のない不快感を持て余していた。
「十代の頃って勉強が大事なのは分かるんだけどなあ。まあ、家庭ごとに考え方が違うのは当然と言えば当然だから、他人がどうこう言う筋合いじゃないのかもしれないけど」
「響也くんのところですか? なんだかいろいろ複雑みたいですね。だけど、本人はいたって穏やかですよお」
マグカップにコーヒーを淹れながら、ひとりの看護師が言ってきた。井崎は適当に頷く。
「そう、穏やかなのが不気味なんだよ。普通、あれくらいの年頃と言えば反抗期の真っ盛りだろ? なんだってあんなに大人しくしてられるんだか」
ぼやきながら、過ぎ去った青春時代に思いを馳せる。
自分自身が思春期の真っ只中にいたころ、体の中には行き場の無い膨大なエネルギーがいつだって渦を巻いていた。どこかで発散させなければ爆発してしまいそうだった。周囲の大人に対する苛立ちも、言ってしまえば体内のエネルギーがその発散先を求めているだけだったと、今では思う。
性に目覚めたことも大いに関係していたはずだ。十代の男と言えば、言ってしまえばとにかく「やりたい」の一言に尽きる。可愛い女の子を見れば、恋人になりたいと思うより先に突っ込みたいと思うのが普通なのだ。
幸い、井崎の場合は高校時代末期に医者への道を決心し、部活と勉学に一心に打ち込むことで大半のエネルギーは消費されていった。残念ながら恋人はいなかったので、性への欲求だけはいつも下半身のあたりで燻っていたことを覚えている。しかし、だからこそ響也が不思議で仕方ない。
「なんていうか、あの子には十代の男に特有の「渇望」が全くないんだよなあ」
主に性的な意味合いでそう思ったのだが、それをはっきり口にすると看護師から顰蹙を買うため、言葉は少なめにしておいた。
「何なんだろうな、あの少女マンガの中から飛び出してきたような清廉潔白な雰囲気は」
「十代の男の子って言ったっていろいろですよ。女ばっかり追いかけてる、木村くんみたいな子が、正しき十代とも言えないでしょ?」
ひとりの看護師が言って、数人が笑い転げた。味方はいない。井崎が愛想笑いを返したとき、ナース・ステーションの窓の向こうにセーラー服が映った。井崎は一瞬、心臓が跳ね上がったのを感じた。
「どうされました?」
少女に気付いた看護師が応対に出る。はっきりと顔が見えた。あの時の少女とは似ても似つかない。ほっとすると同時に軽い失望も感じた。だが、誰かに似ている気がする。
「面会時間は過ぎていますよ」
「すみません、えっと……あの、じゃあ……これ、兄に渡してもらえますか? 着
替えとか、雑誌とか、いろいろ入っているんで」
「分かりました。患者さんのお名前は?」
「夏川です。夏川響也」
一瞬、ナース・ステーションの中に電撃が走った。だが、誰一人として内心の動揺を顔に出さなかったのはさすがと言える。
「夏川響也くんですね。確かにお預かりします」
「お願いします。遅くなってしまって申し訳ありませんでした」
少女はぺこりと頭を下げ、そのまま帰って行った。きっちり一分間の沈黙を経て、看護師たちは一斉に口を開く。
「似てないねえ、響也くんと」
「ほんと! びっくりした! あんなことってあるんだ」
「妹、可哀想だわあ」
口々に共通の意見を口にする看護婦たちの中、井崎はあまりにも父親とそっくり過ぎた少女の顔がツボにはまり、しばらく笑いが止まらずにいた。
「井崎先生、ひっどい!」
「最低!」
「信じられない!」
「女の敵!」
自分たちだって散々言いたい放題言っていたくせに、男であるという理由だけ
で、なぜか非難と言う名の集中砲火が浴びせられる。理不尽だとは思うが、恐ろしくてとてもそれを口には出せない。
「先生、これ持って行ってあげてください!」
そして、余計な用を押し付けられる。
「さっさと行ってあげてくださいね。響也くん、着替えがなくて困ってると思うから」
「はい、分かりました」
一切の反論を認められないまま、井崎は紙袋を手にナース・ステーションを後にした。
まだ消灯時間にはなっていないので、立ち並ぶ病室の中からはテレビの音や話し声などが聞こえてくる。不思議なことに、重病の患者は夜に容態が急変し、明け方に息を引き取るというパターンが多い。
これから「夜」を迎えようという時刻、ひとときの和やかな時間を過ごしている患者たちの姿を見ると、井崎は何ともいえない重苦しい感情が胸に広がるのを感じた。
軽く頭を振って馬鹿げた考えを捨てる。小さく息をして、響也の病室のドアを開けた。
「よお、先生。何か用っすか?」
さっそく井崎の姿を見止めたらしい隆弘が陽気な声をかけてきた。
「真幸はどうだ? まだ寝てるか?」
「真幸? あいつならさっき電話かけに行ったよ」
最近は随分と調子がいいのか、真幸はベッドにじっとしていることの方が少なくなっていた。院内の喫茶コーナーで、派手な見た目の少年たちと談笑している姿を見かけることもあったし、無目的に車椅子であちこちをブラついている姿もよく目撃していた。
「けっこうなことだ。もうじき消灯だからな」
「はいはい」
問題なく回復しているように見える隆弘を見てほっとした気分になりながら、井崎は響也のベッドに歩み寄った。
「こんばんは、調子どう?」
一言、声をかけてからカーテンを開ければ、響也は興味無さそうにテレビを見つめていた。井崎を視界に捉えても、身を起こすことも無ければ、最低限の挨拶さえ口にすることもない。どうやら今夜の王子様はご機嫌斜めであるらしい。
「妹さんが持ってきてくれた着替えだよ」
紙袋を差し出せば、ようやく響也の視線が自分に向いた。
「先生、うちの妹と会ったんですか?」
「会った、というか、見かけたというか」
事実をそのまま口にすると、それまで表情というものに無縁だった綺麗な顔が嘲笑の形に歪んだ。
「笑っちゃうくらい父親似でしょう?」
実際、笑ってしまったので言い返せない。沈黙をどう受け取ったのかは分からなかったが、響也は底意地の悪いとしか言い様のない顔を向けてきた。
「兄妹なのに、兄の俺は美形で妹はブッサイク。逆だったらよかったかもしれないのにね、ご愁傷さまとしか言い様がない」
何となくナルシストであることは気付いていたが、こうもはっきり口にされると不快な気分にさえなる。第一、異性ならまだしも同性である自分に向かって姿形の美しさを語って、どうするつもりだというのだろう。井崎は小さく溜め息を落とした。
「人は見かけじゃない、なんて使い古された意見は聞きたくないな。先生だってさ、俺と早紀、どっちかとキスしなきゃならないって言われたらどうする? 悩むでしょう? だって、早紀はうちの父親と瓜二つなんですよ?」
そこで「父親」を持ち出してくることは、かなりの計算高さを思わせる、というか、確信犯だとしか言い様がないと思った。井崎の頭の中で否応無く二人の人間がドッキングされてしまうからだ。
「ほら、答えられない」
響也は楽しげに笑う。対する井崎は最低の気分に陥っていた。
「いや、答えられないって言うか。そもそも患者さんとか、患者さんの家族に対して、医者の俺がそういう感情を持つことはないよ」
「じゃあ看護婦さんとかにはそういう感情を持つわけ? 診察の合間に医者と看護婦がヤッてるせいで総合病院は待ち時間が長いっていう都市伝説はマジなんですか?」
「そんなわけあるか。こっちはまともに飯を食うヒマもないんだぞ」
「ふうん。なら先生、溜まってるんだ」
響也は無垢としか言い様のない顔で聞いてくる。からかっているという雰囲気で
もなければ、興味があるという雰囲気でもない。よって、井崎は必然的に返答に窮した。
「いや、何ていうかね、もう君たちほど若くないから、そこまで不自由しないよ」
逡巡の末、搾り出した答えは、そんな情けないものだった。もうちょっとマシな返し方があるだろうに、と自分で思ったが、答えを聞いた響也が含みの無い笑い声をあげたので、更に戸惑った。
「先生、恋人いないんだ。へえ、モテそうなのに」
どこか満足げに頷く彼をどう解釈しようかと思った時、看護師が消灯を告げに来た。井崎はこれ幸いとばかりに、病室を後にした。




