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「ああ、もう、嫌になるなあ。日に焼けてばっかりでお肌がボロボロ。今度の週末には絶対エステ行こう」
鏡に映った自分の顔を見ながら、高梨は大きな溜め息を零していた。普段、あまり気にしないようにはしているが、改めて自分の顔を凝視すると、細かいシワだのシミだの毛穴だのが目に付いて憂鬱になる。どんなに目鼻立ちが可愛くても、やはり三十代は三十代だ。十代のようにはいかない。
「夢ちゃん、警察の仕事なんて外を歩いてナンボなんだから。シミが増えるのは仕方ないって。ある意味、職業病だよ、職業病。あきらめてしっかり塗り潰しときな」
「そう言わないでよお、マツさあん。まだまだ独身なんだもん。お肌の調子こそすべての悩みよお」
超ベテラン婦人警官にあながち冗談とも言い切れない冗談を向けながら、高梨は一向に進まない報告書の作成に戻った。その時、廊下から聞きなれた声が聞こえてくる。
「前から思ってたんですけど、俺、やっぱりあの医者、嫌いですわ。なんていうか、いかにも俺はカッコいいんだぜ! っていう雰囲気が嫌です。話してると虫唾が走る」
「そうかあ?」
「普段から女に囲まれて仕事してるから勘違いするんですよ。病院で働いてるのって、ほとんどが女でしょ? どいつもこいつも独身の医者だって聞いたらすぐにケツ振って媚び売りやがる」
「そうでもないと思うがなあ」
「あの人、絶対に性格悪いですよ。これは間違いないです。職場ではどうか知りませんけどね、まず間違いなくプライベートじゃあ女食いまくってます! 刑事の勘がそう言ってます!」
「前原、そういうのを嫉妬と言うんだぞお」
河合の一言に、前原が一瞬、言葉を失った。その時の前原の顔は例えようもなく笑えた。
「おかえり、前原くん。ついでに河合警部。総合病院に行ったんでしょ? なんか収穫あったのー?」
高梨が鏡を見ながら声をかけると、河合と前原が一瞬何か言いたそうな顔をした。だが、結局何も言わずに席に着く。
「例の変死体、身元が割れましたよ。総合医療センターに入院中の小野田隆弘が、自分がよく利用するコンビニの店員に似ていると証言したんです。で、コンビニに確認を取ると、一ヶ月前に辞めているが、確かに似顔絵の彼は永井道夫、三十二歳だと認めました」
「ふうん。よかったじゃん。別に事件でも何でもないけどさ」
化粧崩れ防止のためのパウダーを、はたきながらコメントすると、前原は「そうなんですけどね」と、若干元気のない声で答えた。
「ほんっとに、事件なんか起きないですよね、このクソ田舎は!」
そして前原は、椅子の上で大きく仰け反りながら、吐き捨てるように言った。
「この前、サルみたいな顔したオバサンが飛び降り自殺した時、ついにキター! って思ったんですよ!」
「ついにキター? オレの時代が? 無理、無理! 来るわけないって!」
高梨をはじめ、ベテラン婦警たちが声を上げて笑い出す。前原は何ともいえない顔をして女性陣をチラリを見やった。そんな前原の机に、警部自ら淹れたと思われるアツアツの緑茶が置かれた。
「この田舎じゃあ、カラスが駐在所のボールペンを持って行ったら大事件さ。まあ、孤独死は別としての話だがな」
「まあ、そうですよねえ」
言いながら、前原は「いただきます」と言って湯のみを手に取る。河合はなぜか、こういった意味のないささやかな嫌がらせが好きだ。高梨はつい溜め息を零していた。
「それにしても、何なんですかね、最近のガキは!」
額に汗を浮かべた前原が声を荒げると、河合が苦笑を浮かべる。
「お前だって昔は「最近のガキ」だっただろうに」
「意味分からないっす、警部。それより聞いてくださいよ! 俺のアパートの前は国道なんですけどね、最近やたら夜になったら暴走族が通るんで、喧しいのなんのって!」
前原は、額から汗を流しながら語る。
「その上ね、あいつら律儀に信号で止まりやがるんですよ! 余計にうるさいですよ! ファンファン、ファンファン! 真夜中の三時ですよ? 車なんか通るわけないんですよ! なのに律儀に止まるんですよ! お前ら暴走族だろっ? 社会のルールは守らなくても、交通ルールは守るんかいっ? と! ようやく信号が変わったと思ったら、また次の信号で止まりやがるんですよ! 交通課はいったい、何やってんすかっ?」
真剣に訴える前原だったが、河合は必死に笑いを堪えている様子だった。
「交通課のことなんか知らんよ。しかし、いくらスゴ腕の白バイだってなあ、信号で止まってる暴走族を信号無視で掴まえるわけにはいかないだろ」
「警部、俺は至って真面目に言ってるんですよ!」
高梨は、ベテラン婦警の方にそっと身を寄せた。
「ねえ、マツさん。前原くん、いったいどうしちゃったの?」
彼女と同じくファンデーションの塗り重ねをしていた婦警は、ヤレヤレとでも言わんばかりに顔を歪める。
「サカリがついてんだよ。それだけさ。放っておきな」
なるほど、と納得して、どうでもよくなる。スマホでニュースのチェックを始めた高梨を余所に、黙ってやり取りを聞いていたベテラン刑事の玉野が、いかにも
「今からおもしろい話をします」という顔で立ち上がった。
「白バイに乗ってる豊島が言ってた話なんだけどな、信号無視でオバちゃんを捕まえたら逆に二時間も捕まったそうだ」
河合と前原がニヤリとする一方、「オバちゃん」という単語に敏感に反応したらしいベテラン婦警が殺気立った。
「その話を聞いて以来なあ、白バイとオバちゃんの組み合わせを見かけると、あ、白バイが捕まっとるやないか! て、思ってしまうようになってなあ」
何の変哲もない午後、和やかな署内に笑いが広がった。しかし、その後、玉野の湯のみに爪のカケラが幾度と無く混入するという事件が発生することになった。




