あかいろ
居眠り“姫”とその世話係。のんびり、片思い。
わたしのクラスには“姫”がひとり居る。
高嶺の花の如き気高い美少女でも、高飛車ゆえに揶揄されているような人でもない。皆にほのぼのと見守られ、マスコットとして愛されている男の子。
「もしもーし、姫ー? もうすぐ昼休み終わるよー。起きてちょうだいな」
中庭の芝生の上、身体を丸めて気持ち良さそうに眠るクラスメイトの身体を遠慮なく揺する。数度繰り返すと、ゆっくりと瞼が持ち上がり、あくびと共に目を覚ました。見た目は本当に普通の男子なんだけど、こんな様子は猫みたい。よく見れば涼しいのに、いつも眠たそうな所為で稚く映る、彼の優しい目がぼんやりと焦点を結んだ。
「……律さん?」
「おはよう、姫」
「…あと五分」
「却下。古文始まっちゃうから」
再び丸まろうとする彼の肩を持って、腰を支点に、てこの原理で半ば無理矢理起こす。何かもにょもにょと文句らしきものを呟かれても気にせず、わたしの肩に彼の腕を乗せ、おぶるような要領で立ち上がる。姫は多分男子にしては細いけど結構上背あるから、体勢がきつい。まあ、いつも数メートル歩いたところで、姫は諦めてちゃんと自分で歩いてくれるから良いんだけど。
「今日も気持ち良さそうに寝てたね」
「春だから」
「…冬でも野外昼寝決行してなかったっけ」
「冬も眠いから」
「そうだね……」
このひと、雪山なんか行ったら真っ先に駄目になるんだろうなあ、生存的な意味で。
何だかしょっぱい気分になりながら、わたしたちは予鈴とともに教室に入った。
「おかえりー。毎度姫の目覚まし時計、ごくろーさまー」
「まあ、大した手間でもないし…放っておけないから」
後ろの席のクラスメイトがにやりと笑いかけてきた。其処に悪意が見当たらないので、わたしは笑って返した。因みに当の姫は残り五分も惜しいのか、自分の席で既に突っ伏している。
これが、彼の『姫』たる所以。彼は授業のほか、いや場合によっては授業中でも、ほぼ眠っている。それゆえ、いつの間にやら『いばら姫』とあだ名されるようになって、それを縮めて『姫』、というわけ。
今や微笑ましく見守るというスタンスに落ち着いたクラスメイトたちも、最初は彼の奇癖に、何処かかしら遠巻きに眺める雰囲気が出来上がり始めていた。
そんな中、ある時席が近くになったわたしが授業変更や追加課題などの緊急な用事を何とかして伝えることになったのが始まり。それでとどまっておけないわたしは大概お節介な性質で、寒そうだったら上着を掛けたり必要ならば起こし役を務めたりしているうちに、彼本人に懐かれてしまったため、姫の係り付けはわたし、という暗黙の了解がクラスの中に沈着してしまった。そして、それは二年生になった今も継続中、というわけだ。
「しかし、姫もあんな人目あるところでよくやるよねー」
人目がある中庭とかでよく堂々と寝るなあ、という意味だろうか。それとも姫、わたしが知らないだけで、何か他にやらかしてるの?
其処で本鈴が鳴ってしまったため、級友の真意は確かめられないままだった。
肩にいきなり重みがかかっても、それが学校内のわたしに限り、怪奇現象ではない。
「帰らないの?」
教室に残って勉強していたところにおんぶおばけ。突然過ぎるけど何かもう慣れた。
「眠いから、寝てから帰る」
「…そっか」
弱冠遠い目で生返事をした自覚はある。まあ、路上でいきなり寝るよりは良いか。
「で、何でおんぶおばけ?」
「其処に律さんが居たから」
理由になってない。
「ああもうほら、それじゃかえって体勢きついでしょ。ちゃんと自分の席で寝なよ」
「いつもありがとー」
返事はてっきり了承の意味だと思ったのだが、彼はそのまま床に座り込んで壁にもたれて目を閉じた。自分の席に戻る気力も無いと、そういうことですか。それなら最初から自分の席で寝ていれば良かったのに。
わたしは内心脱力しながら、彼の横に膝をつき、鞄から取り出した膝掛けをかぶせてあげようとした。
「え」
しかしその瞬間、伸びてきた腕に抱きこまれ、肩に手を回された。吃驚したのとよく分からないのとで逃れようと身体を捻るが、そのまま体重を少し掛けられたため叶わない。
「ひ、姫?」
既に随分不明瞭になった言葉からは何とか「抱き枕」という名詞は聞こえた。ああなるほど、小さい子どもがぬいぐるみを抱いて眠るような感覚だと。いや納得はするが、受け容れちゃだめだろう。もう一度脱出を試みるけど、男子の中では華奢な彼なのにわたしはすっぽりと抱きこまれてしまっている。姫は寝入ってしまったらしく安らかな吐息が聞こえるので、説得はもう無理だ。起こすべきだろうか。人目がないとは言え、誰かに見られたら物凄く誤解を招きそうな光景に仕上がってしまっている。甘えすぎと少し突き放すべきだろうか。でも今日はたまたま寝惚けていて甘えたい気分だっただけかもしれないのにあまり突っぱねるのも。いやしかしそもそも場合によっちゃただの痴漢行為だから其処の辺りはっきりさせないと。
……居た堪れなさ過ぎて思考がまとまらない。
だって、近い。静かな寝息が耳のすぐ傍を通り抜けていく。わたしと違う香りと少し高めの体温に包まれている。どうしよう、困る。
嫌じゃないから、困る。
最初は親切心、次はお節介、それから愛着だったけど、世話を焼き続けているうちに、それ以上の感情が伴ってきてしまった。一緒に居る時間が長いだけのはずなのに、いつの間にやら好きになっていた。押し隠して世話係をやっていれば一緒に居ることは出来る。それを幸せだと思っているだけのつもりだったのに、こうやって接触されてしまうと、それも誤魔化しだと露呈してしまいそうだ。
…ちょっと落ち着こう。何か不味い方向に思考が傾いている。
申し訳無いとは思いつつ、わたしの精神衛生を考慮してとりあえず姫に目を覚ましてもらおうと身じろいだ。腕を叩くぐらいじゃぬるい、揺さぶるくらいしないと起きてくれない。それは経験上、よく知っている。身を捻って体勢を整え、わたしの身体ごと揺れてみた。
「姫……わあっ」
しかしそれで重心がずれてしまったのか、彼と床にサンドイッチされるように倒れこむ。重いやら密着部位が増えるやらで事態は一層悪化した。
「姫、ひめー! 起きてー!」
「……律さん?」
わたしが半ば混乱状態で喚いたことより、多分姿勢が強制的に変わったことが大きな要因だっただろう。姫がようやっと目を覚ましてくれた。
「まずどいて! このままじゃ潰れちゃう!」
「分かった」
色よい返事にほっとしたのも束の間、何故か彼は膝を曲げて足を折り畳み、上体を起こす形で座り直した。わたしは未だ抱き込まれたままで、個人的には根本的解決に至っていない。
「えーっと、抱き枕にされるのはちょっと…」
「ダメとかイヤとか? それとも困る?」
「困る。身動き取れないし、勉強できないし、ちょっと苦しいし、ぬいぐるみになったみたいで何か釈然としない気分」
なるべくいつも通りっぽい返答をしたつもり。
「えー……律さん温くて柔らかいし、いー感じなのにー」
「セクハラだー!」
思わず突っ込みを入れた。いかがわしい意味は無いって分かってはいるけど、物凄く誤解を招く表現ですよね!?
「良いじゃない。俺だって健全な男子だし」
にっこり笑う顔は優しい。おどけているのだろう。だからか、何だか妙に気が抜けて、わたしは状況を半ば忘れて口元を綻ばせた。彼の予想外の反応だったらしい、納得いかなそうに唇をちょっと尖らせる仕種が可愛らしい。まだ笑うわたしを見て、彼はころりと話題を変えた。
「あ、時に律さん、知ってる? 『眠り姫』みたいなパターンの童話っていくつかあるんだけど、お姫様が寝ている間に子どもまで作っちゃうのもあるんだって」
「えええー? 何て情操教育に悪い」
「うん。童話のお姫様だからって舐められないよね」
本当に。凄い話だ。っていうかその場合王子様が物凄く変態じゃないかなあ。寝ている人相手に、色々、するってことだし。
「だから、ね、律さん。『姫』だからってのんびり構えてると、大変なことになっちゃうかもよ?」
「……姫、誰かに手篭めにされちゃうの?」
話の流れからしてそういうこと? あれ、でも誰に襲われるの?
何だかよく分からなくなって混乱しているわたしをさり気なく抱き締めて、姫は苦笑する。
「多分それは大丈夫ー。そういう意味じゃないから」
「じゃあ」
「分かりたい?」
いつも通りのほほんとした笑顔。だから怖くはないんだけど、止めておいたほうが身のためだと何故か囁いてくれている本能のほうに従って、首を振る。
「……急ぎじゃないなら、後々で」
「残念」
笑って、姫は猫のように欠伸をこぼした。
「じゃ、おやすみー」
「ええちょっと姫、離してー!」
わたしの抗議も知らぬ気に、体温を密着させたまま、彼は再び、穏やかな眠りに入ってしまった。
わたしのクラスには“姫”がひとり居る。
高嶺の花の如き気高そうな美少女でも、高飛車なゆえに揶揄されているような人でもない。皆にほのぼのと見守られ、マスコットとして愛されている、男の子。
眠たがりでマイペース、だから訳が分からないときもある。だけど憎めなくて、居るだけで何だかふんわりと笑ってしまいたくなるような、不思議なひと。
そうしてわたしにとっては、何故か時々とっても性質の悪い、おもいびと。
世界の主役は、ちらっと出てきたクラスメイト。
コンセプトは「目指せスピンオフ風」。主軸にするには地味だけどひっそり脇で進行中の恋です。
とりあえず姫はどう転んでもセクハラです本当に自重しましょう。