第6話 帰れない岸
初めて小説を書く上で大事なところは対比だと学びました。(Google先生に)
小学、中学、高校の授業で、先生方が評論の対比をしていたのを思い出します。
私は弟の名前を、まだ口に出していなかった。
その名のない沈黙だけが、喉の奥で少し形を変えていた。最初は私だけのものであったはずの沈黙が、今は魔女の方にも届いていて、届いているのに彼女はそれに触れないでいた。
魔女が最初に語り始めたのは長兄からだった。
その順番に、小さく引っかかった。指摘するほどのことではないが、それでも自分で、なぜ長兄からなのかと問わずにいられない。私もまた兄だった、だからその順番を聞き流せなかった。
「私の兄たちのうち、上の方からお話します」
彼女はそう言った。
「下の方のことは後ほど」
下の方、と彼女は分けて言った。次兄とも下の兄とも続けず、言葉と言葉の間に、わずかな空白を置いた。その間に、彼女のためらいを聞き取った気がした。あるいは、私の方が勝手に何かを置いただけかもしれない。
「長兄と申し上げてよろしいですか」
魔女が問うた。
「それはあなたが彼を呼んでいた呼び方ですか」
「私自身はそう呼ぶことはありませんでした」
「妹だからですか」
「いえ」
そこで一度、言葉を置いた。
「言葉が間に合わなかったから」
私はその一言の意味をすぐには受け取らなかった。受け取れる位置にまだ立っていなかった。
「お聞かせください」
それだけ口にした。
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柱の根元の線が白く呼吸する。床の文様が再び立体に変わっていく。
開けた先は、部屋ではなく岸だった。
南極大陸の外縁部にあたる場所。海の側へ向かって低く落ちていく岩肌。その縁には氷で組まれた古い桟橋に似たものが伸びていた。桟橋の足元では黒い水が薄く脈打っていた。波と呼ぶには動きが小さく、凪と呼ぶには表面が低く震えていた。
風はなかった。だが空気は冷えていた。
岸の手前に人が並んでいた。
その並びを最初、見送りの列だと思った。並びにはそれだけの整いがあり、家族や近しい者が海の向こうへ出る誰かを送る、そういう静けさが見えた。けれども見ているうちに、整いが別のものに変わっていく。並びの内側にいる者たちと外側にいる者たちの間に、線があった。線そのものは見えないのに、誰の足もその位置を超えなかった。
外側に立っていたのは、薄い手袋しか持たない者たちだった。
荷は少なかった。
ひとり一つ、抱えられる程度の包み。後は衣服。手袋。布の端。
その端ですら、内側の者たちのものより、薄かった。
外側の者たちの呼吸が白かった。その白さは内側の者たちより、ずっと早く外気に呑まれていた。
その呼吸の白さの違いを私は最初に見てしまった。
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並びの少し奥に、三人の子供がいた。
子供と呼ぶには少しためらいがあった。氷で線を引いてしゃがんでいた、あの三人を見た時より、彼らは高く、細くなっていた。声変わりの前後にいたのは、おそらく長兄の方だった。次兄はそれよりまだ少し幼く、妹はその二人の間の背丈にいた。
長兄の視線は岸に残る者の上に次兄は船の向こうへ、妹は岸と船の間に。その時は、まだ単なる癖だった。
外側に並ぶ者の中に、若い男がいた。
若いと言っても、この大陸の時間では、私の知る年齢の感覚とは重ならない。手の動きは大人のもので、目だけがまだ若い。隣にいた女の手を、男は握っていた。女もまた外側で、二人は同じ側に並んでいた。それだけが少し救いに見えた。
長兄は男を見、それから女を見た。女の手袋は薄く、ほどけかけた糸が手の甲の辺りで一筋、外へ垂れていた。
長兄が動いた。最初は半歩、次の一歩で、身体は並びの内側から、線の方へ近づいていた。
手の中には、布の包みがあった。抱えてきたのか、その場で受け取ったのかは分からない。それでも包みが一定の重さを持っていることは、手の傾きから伝わって、長兄はそれを女の側へ差し出そうとした。
差し出しきる前に、別の手が彼の腕を止めた。王の側に立つ大人の手だった。
声は荒くなかった。
「持たせすぎれば」
その大人は言った。
「岸を思い出します」
長兄は止まった。
止まったままで、相手を見上げた。視線に怒りはなかった。怒れる場所にまだ彼自身は立っていなかった。代わりにその目には、自分の選択肢が一つずつ閉じていく速さに、追いつけない種類の沈黙があった。
「帰るための」
そう言いかけて、長兄は声を切った。
帰るための印になります、そう続けようとした言葉だったと、私には聞こえた。長兄はその意味を理解した。理解したせいで、続きを言えなくなった。
もう半歩、進みかけた。その半歩は、規則を破るためではなく、半歩分だけ近くから見るためのもの。女の手袋の薄さをもう少し近くで確かめたかった。確かめてしまえば、彼は引けなくなることを、彼自身が一番分かっていた。
その半歩をもうひとつの手が止めた。妹の手だった。
何も言わずに、長兄の袖を軽くつまむように引いた。
そこで完全に止まり、手の中で、布の包みが固く握られた。握られた包みは、その後、どこへも届かなかった。
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外側の者たちが船へ進み始めた。並びがほどけ、線の上を踏まないようにしながら、ひとりずつ、桟橋に似た縁を渡っていった。渡る者たちの背中に、内側の者たちは声を上げない。声を上げてはいけない空気が、そこにはあった。
「向こうで灯せば」
ひとりの子が、外側へ向かう者の背に向けて声を上げかけた。
「ここから見えますか」
声は出てしまい、出てしまってから、その子は自分の口を、自分の手で覆った。
外側の者からは返事がなかった。代わりに、内側の大人の誰かが答えた。
「見えてはいけません」
短い言葉だ。その一言を私はすぐには別の言葉に置き換えられなかった。
迎えの灯はもう灯されていない。海の向こうに伸びていた光は、既に別の判断で消されていた。けれど灯ではない他の何かを、誰かが向こうで灯すかもしれない。それを内側で見てしまえば、内側の者が岸を覚えてしまう。覚えれば、迎えに行こうとする者が現れる。そうならないためだけに、その答えはあった。
長兄はそれを聞きながら、握った包みを少しだけ強く握り直した。
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その時、岸の縁の方で低い音がした。水が割れる音ではなく、氷が軋んだ音だった。
桟橋に似た縁の足元、黒い水と氷の継ぎ目の辺り。融水と呼んでよいほどには温度が足りておらず、凍った状態を保ち続けるには少し足りない。継ぎ目の一筋に亀裂が入っていて、その亀裂の上を、外側の最後の一人が踏もうとしていた。
包みが、その者の腕から落ちた。包みは亀裂の上を一度だけ滑り、半分が外側、半分が内側にかかる位置で止まった。
外側の者が、屈んだ。亀裂を見て、包みを見て、それから内側の者たちを見た。一瞬の判断だった。
包みに手を伸ばさず、まっすぐ船の方へ歩いていった。歩く背中の傾きから、その者がもう戻る道を自分で閉じたことを私は知った。
包みは、まだそこにあった。亀裂の上に、半分がこちら側に。
その時、次兄が動いた。
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「待って」
声が短く出た。それは私の声ではなく、次兄だった。
次兄は岸の縁へ向かって、一歩踏み出した。包みを取りに行こうとしたのだ。彼の足は素早かった。亀裂の細さは、彼の側からは一筋にしか見えていなかったのだろう。一筋なら跨げる、跨げば向こうの包みを拾い、戻ってこられる。
長兄が次兄の腕を掴んだ。掴み方が強かった。長兄が他者を強く掴むのを、その場面で初めて見た。
「行くな」
長兄の声だ。怒りはなく、代わりに、声の底に、他のすべての色を消した一色だけが残っていた。怖さだった。外側を恐れているのではなく、自分自身の半歩を止められなかったかもしれない、その怖さだった。
「跨げる」
次兄が言った。
「拾える」
「拾えば、戻れなくなる」
長兄の声は短く、
「拾わずに戻れば、誰かが死ぬ」
次兄の声は、もっと短かった。
二人は岸の上で互いを見ていた。相手が間違っているとは、まだ思っていなかった。相手の考えの納め方を、ただ知らなかった。
長兄が次兄を引き、引いた腕の先で次兄は半歩内側へ戻った。戻った後で次兄は長兄の手を自分の手で外した。外し方は乱暴ではない。外したという事実だけが、二人の間に残った。
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その瞬間に、妹が動いた。二人の間から亀裂の方へ歩いた。
長兄も次兄も妹を止めようとした。けれども二人の手が伸びるより、妹の歩みの方が早かった。妹は亀裂の手前で屈み、亀裂の端に片方の手を置いた。その瞬間、水音だけが止まったのではない。岸の縁も、桟橋に似た部分も、その下の黒い水も、空気の動きそのものまでが、ある一拍の間、束ねられて内側へ収められたかのように、岸の上に静まりを残した。
亀裂の端が白くなった。亀裂は凍ったのではなかった。開きかけた口を一旦閉じ直されたように見えた。
大人たちの間で声が一度止まり、止まった声の中で、誰かが息を吐いた。その息の白さの早さで、岸の温度がまた一段、下がったのを私は知った。
長兄はその様子を見ながら、口の中でひとつだけ言葉を作った。口は開かず、その言葉は彼の喉の奥で消えた。「隠せ」と聞こえた気がしたが、実際には音は出ていなかった。
次兄はその様子を異なる角度から見ていて、妹を見ながらわずかに目を見開いた。けれど口を開いた。
「そんなに遠くまで」
そう言いかけて、次兄もそこで自分の言葉を切った。岸の上では続きは出ず、切られたまま、彼の中に残った。
その日の岸で、二人は同じ妹を見ていた。見ているものが、既に別のものに分かれていた。
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外側の者たちは船に乗り、桟橋に似た縁から船がゆっくり離れた。船は内側に向かって何の合図もせず、内側も船に向かって何の合図も送らなかった。
岸のあちこちに灯があった。けれど、そのどれもが外海へは向けられていない。
並びがほどけた後も、長兄はしばらく岸に残った。握っていた包みを、彼は最後まで誰にも渡さなかった。中身が何だったのか私は最後まで知らないまま、その場面は静まっていった。
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広間に戻った。
頬が冷えていた。先ほどとは違う冷え方だ。目の奥のどこかが、ふいに鈍く痛んだ。泣いたわけではない。長くまばたきをしていなかったらしく、瞼を動かすと、涙腺ではない場所に別の渇きがあった。
しばらく口を開かなかった。魔女も急かさなかった。
私の方から問いの形を探した。
「彼は」
声は低かった。
「守ったのですか」
息を吸った。
「それとも見捨てたのですか」
問うてから、その二つの言葉が自分の中で長い間、同じ重さで鳴っていたことに気づいた。長兄に向けた問いではなく、私自身に向けた問いだった。同じ言葉の二つの側で、私もまた長い間、立ち止まったことがあった。
魔女は答える前に間を置き、一度、息を整えた。
「その時の私は」
声は静かだった。
「まだ、どちらとも思えませんでした」
その答えをすぐには自分の中へ入れられない。けれども否定もできなかった。その時の彼女はまだ妹で、二人の兄の間に立つ者に、どちらかを正しいと決める足場はまだなく、彼女は両側を両方とも信じていた。
その答えに、自分の弟の姿をわずかに重ねかけた。重ねきらないように、すぐ別の方向へ視線を逸らす。重ねればその形で固まってしまい、固まってしまえば、弟をその形でしか思い出せなくなる。それだけはまだしてはいけないと私の奥で何かが告げた。
長兄の止め方を責めきれなかった。責めきれない自分の方が、その瞬間ずっと冷たかった。私もまた、止める側にいた。止めた先のことを長く知らないままでいられたのも、止めた側だからだった。
その冷たさが、頬に今だけ戻ってきていた。
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魔女は次の言葉を重ねず、代わりに視線を一度だけ広間の奥の方へ向けた。別の柱の方角で、次に向かう記憶がその方向にあるという気配だった。
自分の中で長兄の半歩を思い返した。その半歩は、包みを届けるためではなく、包みを届けたいと思った自分自身を見届けるためのものだった。
長兄はそこで止まり、止まった後、二度と、その半歩を踏み出さなかった。
止まることが、彼の優しさになった。その手の中で、包みの重さだけが残った。
長兄が引いた線の向こうから、次兄の声だけが、まだこちらへ届こうとしていた。
兄と弟、兄弟と兄弟。
最初の1作品目くらいは教科書通りに書くべきだと思い、本作品はいろいろな対比を持ち込んでいますが、兄弟も、その一つです。




