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南極の氷が解けるとき、魔法は名前を失った  作者: つのん。
第二章 融けはじめた名前

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第31話 一度だけでも

私は広間の中央に立った。


半円に並べた物たちは、初代王の封印の図の縁で、ひとつの中心へ寄っていた。


私の手は、その上で低く開かれていた。


止めてくださいという声を預かったまま。


魔女は半歩後ろで、私の選択を見届けていた。


その見届けの中で私は喉の奥で、低く言った。


「届かないと決めていたのは」


「世界ではなかった」


「私、だった」


---


広間の中の空気が、向きを変えた。


向きを変えた空気の流れが、半円の物たちの方から、私の手のひらの中央へ寄った。


寄った先の上で、手のひらの中の温度はゆっくりと低くなった。


その温度は、しかし、地下の広間の冷気の側の温度ではなかった。


冷気でも、熱でも、なかった。


自分の手の中の、痛みの形だけが、立ち上がる温度だった。


立ち上がった形を私は手のひらの上でしばらく止めていた。


止めた形の上に、ごく細い線が、ひとつ、立った。


線は、私の指先の上の二ミリの線と、同じ幅だった。


二ミリの線の先で、信じる者の閲覧室の机上の水滴と、恐れる者の毛布の盛り上がりと、利用される者の塗られた頁の端とが、揃った。


揃った位置の上で私は言った。


「止めてください、と」


「言える場所を」


「みなさまの手元に置きます」


---


二ミリの線は、最初、広間の中央からだけ、外側へ伸びた。


伸びた先は、地下の広間の中だけではない。


信じる者の閲覧室の机上。


恐れる者の病室の窓の結露の端。


利用される者の塗られた頁の上の問い。


三つの先に、細い線が、それぞれ一本ずつ降りた。


最初に動いたのは、閲覧室の机のそばにいた者だった。


その手は線へ向けて開いたが、止めてとは言わなかった。


降りた重さの上に、自分の手を添えた。


恐れる者の毛布の盛り上がりには少し遅れて線が降りた。


降りた手前で、その者の握り込みは、さらに深くなった。


握り込みから、細い声が、立ち上がりかけた。


立ち上がる前にその者は低くこう口にした。


「止めて、ください」


私はその声を、線の上で止めた。


止まった線の上で、その者の握り込みは、それ以上、深くはならなかった。


利用される者の、塗られた頁の問いへ、最後に線が降りた。


その下で、本人の手は立ち上がりかけた。


自分の手は、自分のもの。


その形が置かれかけた時、線は、止めて、を待った。


止めて、は出なかった。


代わりにもうひとつの言葉が置かれた。


「もう少しだけ」


私はその言葉を、線の上で保った。


---


線は、広間の中央から、さらに外側へ伸びた。


伸びた先は、四枚の地図の上の、薄い赤の側だった。


薄い赤の上の、いくつかの場所で、短い間が立った。


水を、誰かから別の誰かへ配分する者の動きが、その瞬間止まった。ポンプの取っ手を握っていた指が緩み、空の容器を抱えた者の喉の渇きが、配分する側の口の中へ一拍だけ移った。容器の端にこびりついた塩の白さが、二人の間で同じ重さで立った。その一連が、声のひとつも上がらないまま、列の一番前から後ろまでを、見えない線のように通った。


配分される側の手の動きも、命じる側の口の動きも、命じられる側の口の動きも、その線の上で同じ拍で止まった。


止まった口の動きの間に、両側の喉の渇きが、短い一拍だけ、互いに行き来した。


その一拍の中で、配分する側は、配分される側の渇きを、自分の口の中で受け取った。


受け取った側の口の中で、止めてという声は、出てこなかった。


代わりにもうひとつの姿が、立ち上がった。


容器を抱えていた者が、容器の端を、配分する側の方へ、半分、押し返した。


押し返された分の水は再び列の後ろの方へ、回された。


回された先で、列の二番目に立っていた者が、自分の容器の端を、また半分、後ろへ送った。


その動きは長くは続かなかった。続いた範囲だけが、その朝の列の上に薄く残った。


その姿を私はその瞬間、手のひらの中央ではっきりとは掴みきれなかった。


掴みきれないままで、しかし、その形の輪郭の中で、敵意はもう、一番端にしか立っていなかった。


---


他の方角では、戦場の縁の上で、ある朝の命令が、途中で止まっていた。


命じる者の口の動きが、ひとつめの音節を終えた位置で、止まった。


止まった音節の手前で、命じる者は、自分の口の中に、別の渇きを、短く受け取った。


受け取った渇きは、命じる者自身の渇きと、見分けがつかなかった。


つかないままで、命じる者は、次の音節を、その朝、置かなかった。


置かれなかった命令の方角に、命じられる側の者たちはしばらく動かないまま、立っていた。


動かない時間は、命令を待つ姿勢ではなかった。


命令の手前にあった声を、互いの口の中で再び確かめる時間だった。


確かめた者の幾人かは、自分の手元の道具を、その朝、地に置いた。


置かれた道具の数を私はその瞬間、数えなかった。


数えれば、それも、別の手の中で握り直される。


数えない代わりに、置かれたということだけを、その朝の上に薄く重ねた。


---


別の場所では、保護施設の面会室の前で、職員が一枚の予定表を持って立っていた。


予定表には、外部接触の段階的調整、と印字されていた。


その文字の下に、面会不可という手書きの印がひとつ加えられていた。


職員は、その印の横に次の印を加えようとして、ペン先を止めた。


止まったペン先の向こうで、ガラス越しに座っていた者が、自分の膝の上の手を見下ろしていた。


その者は出してくださいとは言わなかった。


代わりに、ガラスの下の小さな受け渡し口へ、白い紙を一枚だけ押し出した。


紙には、短く書かれていた。


今は、会わせないでください


その一文を見た職員の喉に、はじめて、保護という言葉の内側の重さが移った。


職員は面会不可の印を消さなかった。


その印の横に、小さく、本人希望と書き添えた。


書き添えた分だけ、檻の内側にあった言葉が、檻の外へ戻った。


---


線は、さらに外側へ、広がった。


広がった先で、人々は、自分のものではなかったはずの記憶を、一瞬だけ、自分の中に見た。


私の知らない台所で、誰かが包丁を置いた。何の場面なのかは、最後まで知らなかった。


いくつかの古い形が、それぞれの場所で、断片で降りた。


弱い手。井戸端の桶の縁で止まった手。書記の机の上の、半端な一文字。塁の縁の長兄の差し出された手。外縁の段の次兄の作りかけの口。岩陰で、同じ光を挟んでいた二人の幼い手。


それらは説明としてではなく、短い断片として降りた。


降りた先で、人々はその断片が自分の側の記憶だったことに、一拍だけ、気づいた。


知識としてではなく、確信としてだった。


確信は、説明にはならなかった。


その一拍の間、世界のあちこちで、人々は、同じ夢を見た。


後にあの朝、皆が同じ夢を見たと語られることになる、短い一拍だった。


その断片を、誰が、どれだけ抱えるかは、それぞれの選択だった。


私はその選択をもう握り直さなかった。


握り直さないまま、線の方は預けた。


預けたまま、止めて、の声を私は待ち続けた。


止めて、の声は、いくつかの方角から確かに短く上がった。


上がった先で、線は止まった。


止めて、の声の上がらなかった先では、線は、預けたままほどけた。


ほどけた。


---


私の身体は、長くは保たなかった。


線の広がりの中で、喉の奥はもう別の冷気で塞がり始めていた。


最初に消えたのは、指先の感覚だった。


開いているはずの手がもう自分の手としては遠かった。


息を吸うたび、肺の縁が、小さな紙のように内側から擦れた。


擦れた縁の上に、ひと息ごとに、ごく細い裂け目が、内側から外側へ、増えていった。


視野の隅の方が、外側からひと回り薄くなった。


その縁の先に、広間の柱の上端はもう輪郭としては、戻ってこなかった。


代わりに、視野の中央の半円の物たちだけが、いつもより少し近かった。


近かった分、私の喉の奥の側は、声を作るための短い息をもう自分の口の手前まで、運べなかった。


運べない息が、肺の縁の裂け目の方へ、内側から薄くほどけていった。


痛みを世界へ預けているのに、私の身体の方だけは、預け先を持っていなかった。


研究室の机の上に、まだ返していない手紙が一通あった。そのことを思い出した時だけ、私は死にたくないと思った。


塞がっていく中で、私の足は、初代王の封印の図の中央の縁の上で、揺れた。


揺れの幅を魔女ははっきりと見ていた。


見ていた彼女は両手を、前へ伸ばしかけた。


伸ばしかけた手は、しかし、私の手へは届かなかった。


途中で、彼女の手は、止まった。


止まった手の中で彼女はこう口にした。


「止めてもよろしいですか」


魔女はそう訊いた。


私は首を横に振った。


小さく、けれど確かに。


魔女はその横の動きを見た後、伸ばしかけた手を、自分の前へ引いた。


彼女はその日、初めて止めない側に立った。


---


戸口の手前で振り返った輪郭が、広間の中央に立った。


「兄さんにも、届くと、思ってる」


その一言の中にあった不確かさを私は今、初めて受け取った。


届かないかもしれない。それでも置いた言葉だった。


弟の口が、短く再び開いた。


その言葉の手前に、私が返した言葉も、ようやく戻った。


届かない言葉に、命を賭けるな。


私はあの夜、届かないことを、弟の無謀さとして扱った。


本当は、届かないと決めていた私の方が、その言葉の前に立っていた。


輪郭の口がわずかに開いた。


「届いたよ」


責める声ではない。


その声を受け取った瞬間、喉の奥に、ある別の返事が、ようやく立った。


「届かないと決めていたのは」


「私、だった」


その返事を私は弟の方へ置いた。


輪郭は、小さく頷いた。


弟の声は、最後に、私のすぐ近くで、届いた。


---


線はもう外側へは伸びなかった。


預けた重さは、今それぞれの手の中に、短い間だけ立っていた。


私の身体はもう保てなかった。


足元の床の、初代王の封印の図の中央の縁の上で、


私の膝は、


ゆっくりと折れた。


折れた膝の方を魔女は止めなかった。


止める代わりに彼女は指先を、私の手の真上に静かに置いた。


置いた指先は、触れて、いなかった。


触れないまま、その指先の中の温度は、私の手の真上で保たれていた。


保たれた温度の下で、最後の一行が、口の中に浮かんだ。


私はその時、


初めて、


届くという言葉の中に、


死ではなく、


返事の形を見た。


無数の方角からの、短い返事の断片だった。


その断片の中で、私の喉はゆっくりと塞がった。


最後に出かけた言葉は、声にはならなかった。


けれどたぶん戸口の手前の輪郭が、


それを受け取った。


私の手は、


初代王の封印の図の中央で、


開いたまま、


止まった。


〔編集者注:この日付は、後に各地で報告された「同じ夢を見た朝」の記録と一致する〕


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