第20話 恐れる者
報告書は、ある工場の小さな火災についてのものだった。
火災は短時間で収まった。
火が息を切らした時刻が、消防の所見よりわずかに早かった。
同じ時刻、火元の脇にいた若い作業者が意識を失い、隣にいた者の額には軽い凍傷が残った。
二十代の半ば、男性、製造の現場に立って三年目、と所見の冒頭欄には簡潔に書かれていた。
火元の熱では、起こり得ない場所だった。
報告書は、それを、原因不明として、処理していた。
原因不明。
その言葉を私は手元で、目で追った。
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私は機関の研究員としてではなく、機関の外で個人として続けてきた、他の小さな名目で、その者の入院先を、訪ねた。
訪ねた時刻は、面会時間が始まる手前の、まだ廊下に朝の光が回りきらない、早朝寄りの時間だった。看護記録によれば、彼は前夜、よく眠れなかったらしい。
病院側は、その者を、急性ストレス反応の所見で、観察下に置いていた。
部屋は、隔離室ではない。
廊下の奥の、一人用の、狭い室だった。
窓は、薄い結露で、ほとんど向こうが見えなかった。
外はまだ薄暗く、窓の縁の結露の方が、内側の光の方をわずかに先に映していた。
私は医療側の許可を得て、椅子をベッドの脇にひとつ置いた。
椅子に座る前に、その者の手の方を、まず、確かめた。
手は、見えなかった。両方とも、薄い毛布の中に、深く引き入れられていた。その両手が、毛布の中で内側へ握り込まれているのが、布の盛り上がり方ではっきりと見えた。
毛布の縁には、爪で押さえたような短い皺が、何本も残っていた。頭髪は短く整えられ、左の鬢にだけ、薄い火傷の跡らしき色が残っていた。首筋は、若さの細さと、ここ数日の食の少なさの両方を薄く帯びていた。
ベッド脇の小さな棚には、会社の安全標語が印刷された小さなカードが、伏せて置かれていた。火を扱う現場で、火を止めた者の部屋に、それはひどく軽く見えた。
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「先生」
その者は低くこう言った。
声は、若かった。
しかし、別の閲覧室で会った者の若さとは、別の若さだった。
自分の輪郭を、まだ自分の言葉で立て直せていない若さだった。
「お知らせをいただいて、来ました」
私は短くこう答えた。
「お知らせと呼ばれるのは」
その者はそこで言葉を止めた。
「私が誰かに知らせるべきことを起こしたということだと理解しております」
理解。
その言葉が、病室の空気の中で、硬く立った。
「あなたの起こしたこととして、報告書には記されていません」
そう、答えた。
「原因不明と書かれています」
「原因不明、と」
その者は低く繰り返した。
「お書きいただいたということは」
「先生のような方が私のところへいらっしゃるということです」
「先生の名前はあの薄い印刷物の写しで見ました」
「先生のような方がいらっしゃるということは」
「原因不明と書かれていることの、本当の原因をご存じだということです」
私はその答えにすぐには応えられなかった。
応えるべき言葉が、まだ用意できていなかった。
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私はできるだけゆっくりと口を開いた。
「あなたの起こしたこととして、私はここへ来ていません」
「あなたの中にある、ある種の、古い、性質、についてだけ、お話しに来ました」
「古い、性質」
その者は繰り返した。
毛布の中で、両方の握り込まれた手が、さらに深く、内側へ、引かれた。
私はなるべく丁寧に、これまで南極の地下で、ある女から受け取った話の一部を、その者へ差し出そうとした。
人類の側の、一番最初の手の形。そこから分かれた、別の手の形。その別の手の中に、まだ薄く残されている冷気の形。
その冷気が、まれに、何代も後の者の手の中に再び立ち上がるということ。立ち上がった時、本人の意思とは、別の方向で、室内の温度の縁が少し変わること。変わり方は、本人の罪では、ないこと。
そこまでを私はなるべく、刃の形を持たない口の角度で、話した。
置いた言葉のひとつひとつを、自分でも傷つけないように選んだつもりだった。
けれど選んだ言葉は、どれも遠すぎた。
遠い言葉は、相手の毛布の中の手に届く前に、別の古い名の方へ落ちていった。
しかし、話し終えた後で、その者の毛布の盛り上がり方は、話し始める前よりも、いっそう深く、内側へ、引かれていた。
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「それは」
その者は口を開いた。
声は、震えなかった。
震えない代わりに、声の中の温度の方が、いつもの病室の温度よりもう一段、低かった。
「私は戻ってきた者と同じだということですか」
戻ってきたという古い名をその者ははっきりと口にした。
私の喉の奥が、その名の位置で、また、塞がった。
戻ってきた者。
地下で聞いた古い名が、病室の空気の中に立った。
その名は地下で聞いた時よりも、口に出されないまま立った今の方が、ずっと重かった。
その名を、その室の中では、まだ一度も口にしていなかった。
けれど、目の前の者は、その名の方角を、自分で、既にはっきりと見ていた。
私の話の中でその者は自分の中の、一番見たくない方角の輪郭を再び見つけてしまった。
訂正する言葉を、私の中で、まだ用意していなかった。
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その者の毛布の盛り上がり方が、さらに深くなった。
毛布の中で、両方の手がもうほとんど互いの中に組み込まれて、握り込まれているのが、外からもはっきりと見えた。
窓の側の結露の端が、短く白く、立った。立った縁は、結露の薄い水の端の形ではもうなかった。縁の上に、ごく細い氷の線が、ひとつだけ、ほぼ縦に、走っていた。線の長さは、二ミリほどだった。
ベッドの脇の小さな机の上に置かれていた、紙のコップの水の端にも、同じ幅の線が、ひとつ、走った。
二つの線は、私の指先の上の、二ミリの線と、ほぼ同じ幅だった。
しかし、走り方は、私のものとは、他の方角だった。
私の指先の上では、水滴は、丸い形の縁の上で、立っていた。
ここでは、水の端の上で、線は、内側へ向けて、引きずられていた。
その者の握り込みの方角へ、結露も、紙のコップの水の端も、短く引きずられていた。
向けられた縁の白さをその者は毛布の中から、見ていなかった。
見ないまま、彼は、自分の握り込んだ手の中の温度を、自分で、できるだけ内側へ押し込もうとしていた。
押し込めば、押し込むほど、毛布の外側の、結露の端と、コップの水の端が少し引かれた。
その対応をその者はたぶん自分では、まだ結びつけられず、そのことに今一番深く揺れていた。
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「あなたは」
口を開いた。
私は相手が一番聞きたくない名の方へ、自分から手を伸ばしていた。
「悪鬼ではありません」
口にした瞬間、その名が、その室の空気の中で、別の姿を持って立ち上がるのを私は自分ではっきりと見た。
口にしては、いけなかった名だった。
その者は私の言葉をすぐに、別の位置へ、入れ替えた。
悪鬼ではない。
悪鬼と呼ばれた者。
入れ替えた位置からその者はもう外へ、出てこなかった。
つかんだ名をその者は私に向けてもう口にはしなかった。
口にしない代わりに、毛布の中の握り込みの深さの方が、さらに、深くなった。
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その日、その室を出るまで、その者の毛布の中の手を、最後まで、見ることができなかった。
見せなかったというのではない。
見せたくないというのとも少し違った。
その者はその日、自分の手を、誰にももう伸ばせる場所に、置けなくなっていた。
置けなくなった手の中の温度の方が、その室の中の、結露と、紙のコップの水の端を、引き続き少し引きずっていた。
引きずりが止まる時を、その日、その場では、待てなかった。
待てなかった。
私にはもう差し出せる言葉が、なかった。
私は手元の紙に、自分の名と、機関の連絡先と、私自身の連絡先と、他の窓口を丁寧に書いた。
書き終えた紙を、ベッドの脇の小さな机の上に、軽く、置いた。
置いた紙の端をその者は見なかった。
見ないままその者は低くこう言った。
「私のところへ二度といらっしゃらないでください」
声は、震えなかった。
その一言の中に、刃は、ひとつも、混じっていなかった。
混じっていなかったことの方が、私を、一番、深く、削った。
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廊下に出た時、私は自分の指先が、軽く、震えていることに、気づいた。
震えは、二ミリの線の幅とは、別の幅だった。
その幅の中で、その者が求めていたものからもう目を逸らせなくなった。
自分の手記は、誰かの手を、開かせるだけでは、ない。
開かせる方の手と、閉じさせる方の手は、今同じひとつの文の上に、両方とも、置かれていた。
開いた手には、私はもう一度向き合うことができた。
閉じた手には、伸ばせる方角を用意できなかった。
そのことだけが、廊下の冷えの中に残った。
そこで私はその者が私のところへ何を求めて来てくださっていたのかを見た。
私の手記には、その証拠の側の言葉は、書かれていなかった。
その者は救いを求めていたのではない。
自分が悪鬼ではない証拠の方を、求めていた。




