第16話 帰る者
私は広間の入口の方を見ていた。
入口の縁の氷は、私がここへ落ちてきた時とほとんど同じ白さに見えた。
変わっていたのは、白さではなく、それを見る私の目の方だった。
その白さの中に、井戸端と、布の角と、半端な一文字が重なっていた。
目を外せなかった。
私は入口の縁の前で自分の足の置き場を決められなかった。
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決められないまま私は息を整えた。整えた息の白さは、その日の広間の温度の中で、いつもよりはっきりとした輪郭を持って立った。その輪郭を私は自分の口の方でゆっくりと辿った。
辿ったまま私は振り返った。
振り返った先に魔女はまだ同じ位置に、立っていた。
両方の指先は、今内側に折れていなかった。
戻ったというより、戻すことを諦めた後の手だった。
その手を彼女は私へ伸ばしてはいなかった。
自分の前で、低く開いていた。
岸辺の亀裂で開かれたあの手と、同じ角度だった。
しかし、今の手にはもう私を運ぼうとする温度は乗っていなかった。
その手には、自分の罪の重さだけが静かに置かれていた。
その重さの上に彼女は沈黙を置いた。
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「私は」
私は声を出した。
「あなたのしたことを」
「正しいとは言いません」
魔女は答える前にいつもより浅く頷いた。
「許すとも言いません」
私は続けた。
「許すという姿を私は今の自分の中にまだ用意できていません」
魔女は頷いた。
頷いたあとも、彼女は感謝を口に出さなかった。
救われたという形の顔も、しなかった。
代わりに彼女は罪を、罪のままで、自分の手の中に、保持し続けていた。
その保持の仕方を私は自分ではっきりと見た。
見たまま私は次の言葉をゆっくりと置いた。
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「けれど」
「あなたが私を落とした、その意味を」
「私は無意味にはしません」
そう言いながら私はまだ、彼女を置いていくことに安堵していた。その安堵の方は、口にしなかった。
魔女はその言葉の上で、初めて目を上げた。
上げた目の中に、いつもの広間の白さとは、異なる白さが、短く立った。
その白さはもう止められた生活の白さではない。
止められたものを、別の場所で、形に戻そうとする者の白さの、薄い兆しだった。
兆しを彼女は目の中に、長くは、留めなかった。
留めず、彼女は低く言った。
「ありがとうございます」
言いかけた声は、そこで止まった。
彼女はそれを、自分の救いにはしなかった。
救いにしないまま、さらに低く言った。
「見届けます」
「あなたの側に置かれたままの、その意味を」
その一言を彼女はそれ以上、飾らなかった。
私もまた、飾らせなかった。
飾らせず、私は自分の手を、自分の前でゆっくり開いた。
その手は誰の側にも向けなかった。
開いたままにすることだけを、自分で認めた。
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広間の片隅に、私がこれまで集めた物が置かれていた。
帳面。
壁画を写した薄い紙。
板から零れた氷の粉。
岸辺の亀裂の端の、小さな石。
弟が出かける前の夜、机の上に残していった、書きかけの紙片。
紙片の文字は、半端な角度で止まっていた。
私はそれをゆっくり懐へ戻した。
書かれていない続きを、書ける者は、今もう私しかいなかった。
帳面も手に取った。
帳面の中にあるのは、これまでに私が魔女から聞いたことの、ごく一部だけだ。
書けなかった声。
聞き損ねた沈黙。
名を置かれなかった者の形。
それらをこの広間に置いたままにすれば、私はまた、止める側に立つ。
持ち出す。
そう思った瞬間、戻るという言葉の中から、逃げる形が抜けた。
代わりに、運ぶ形が残った。
その言葉の上に、弟の最後の夜の、戸口の手前の振り返りの声が、短く戻ってきた。
「それでも俺は」
「兄さんにも、届くと、思ってる」
その言葉に私はその夜、応えなかった。
応えなかった言葉を、今机の縁から立ち上げ直そうとしていた。
そうしようとしている自分を認めた瞬間、私は初めて思った。
届かないと、決めたのは、いつも自分だったのかもしれない、と。
その思いの先を、まだひとつの言葉にはしなかった。
言葉にする場所は、ここではない。
別の場所だった。
別の場所は、入口の縁の向こう側の、戻る方角の、もっと先にあった。
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広間の入口の前で私は最後に、振り返った。
魔女はもうこちらを見ていなかった。
見ないまま彼女は自分の床の板へ目を伏せていた。
板の上の線は、今私からははっきりとは、見えなかった。
見えない線の上に彼女は自分の右手を薄く置いていた。
置いた手は、私に向けて、何かを、合図する形ではない。
合図せず、その手は止められた生活の方の白さに、自分の体温を薄く戻そうとしていた。
戻そうとしている手を私はしばらく見た。
見たまま私はもう、彼女に向けて最後の挨拶の言葉を置かなかった。
置かず、私は自分の懐の中の、弟の書きかけの紙片の端を、短く確かめた。
確かめた縁の感触の上で私は自分の足を、入口の縁の方へ向けた。
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入口の縁の白さはもう落ちてきた時の白さではない。
私は自分の手をもう一度開き、そのまま入口の外側へわずかに伸ばす。伸ばした先に、長く凍った通路の薄い光が立っていた。その光の方向に、私の足が一歩、進んだ。
一歩の重さは、落ちてきた時の重さとは、異なる重さだった。
落ちる重さでも、戻る重さでもない。
運ぶ重さだった。
その重さを自分の机の縁まで保ち続けるためには、まず、ここを離れなければならなかった。
離れるという言葉の中にもう逃げる形は混じっていなかった。
代わりに、別の言葉が薄く立ち始めていた。
帰る、だった。
私は帰らなければならなかった。




