7 最後の選択
2020.11/19 更新分 1/1
魔女エマとフィリアを背中に乗せた黒狼ジェラは、建物の扉を飛び出すなり、石敷きの道を左手に駆けた。
闇の中を疾駆する黒狼の背で、魔女エマは自分たちが後にした巨大なる建造物のほうを、ちらりと見やる。
「ふん。察するところ、これは聖堂か何かじゃろうな。石の都を魔なるものから守るために造られた聖堂が、邪神教団なんぞのねぐらにされておったとは、つくづく笑えん話じゃわい」
フィリアは答えずに、ただ魔女エマの小さな身体をひしと抱きしめていた。
そしてしまいには、頭巾をかぶった魔女エマの頭に頬ずりをし始める。
「ああ、本当にお師匠さんなのですねー。この温もりは、10日ぶりですー」
「気色悪いことを抜かすでない。おぬしなんぞと肌を重ねた覚えはないぞ」
「心で、温もりを感じているのです! 10日間も離ればなれであったのですから、わたしの魂は餓死寸前なのですよー!」
「仕事のさなかに、たわけたことを言うでない。そら、王宮とやらが見えてきおったぞ」
行く手に、闇よりも黒い建造物の影が立ちはだかった。
その入り口では、かがり火が焚かれており、複数の兵士たちが扉を守っている。魔女エマたちは何の明かりも手にしていなかったので、まだこちらの接近には気づいていない様子であった。
「鋼の剣を携えた兵士というのは、厄介じゃな。ジェラよ、どうにかして建物の中に忍び込むのじゃ」
得たりと、ジェラは方向を転じた。
建物の横手にもかがり火が灯されているが、兵士の姿はない。そうと見て取って、ジェラはおもいきり跳躍した。
建物の2階に設えられた露台に、音もなく着地する。そこには火も灯されておらず、人間の気配もなかった。
「東の殿とは、こちらで間違いなかろうが……ずいぶん静まりかえっておるようじゃな」
「ひょっとしたら、もう就寝のお時間なのですかねー。わたしはずーっと暗い牢獄に閉じ込められていて、時間の感覚がわやくちゃなのですけれども」
「少なくとも、おぬしという邪魔者を捕らえた祝いの宴を開いている様子はないようじゃな」
ぼそぼそと言葉を交わす両名を乗せたまま、ジェラは露台と建物を繋ぐ扉に近づいた。
扉には錠も掛けられておらず、ジェラが頭で押すだけであっさりと開いてしまう。その向こうもまた、人気のない暗がりであった。
「さて、このだだっ広い建物の中から王姉どもを捜し出すのは、たいそう骨が折れそうなところじゃが……」
と、魔女エマは闇の向こうを透かし見た。
「幸い、道しるべが残されておるようじゃ。ジェラよ、右手に進むがよい」
そこは、石造りの回廊であった。
魔女エマの指示通りにジェラが歩を進めると、やがて行く手にぼんやりとした光が見えてくる。
ジェラは足を止めようとしたが、魔女エマは「かまわん」と言い捨てた。
「あれが、道しるべじゃ。我々は、それを辿るだけでよい」
その光の正体は、壁に設置された灯篭であった。
そして、その灯篭の下で甲冑姿の守衛が倒れ伏している。口の端から泡を噴き、浅くせわしない呼吸を繰り返していた。
「おー、毒の吹き矢でやられてしまったようですねー。アデリール先生と同じ手口ですー」
「魔力の枯渇したこの王都では、毒に頼るしかなかろうからな。そら、あちらでも兵士めが倒れておるぞ」
ジェラはひたひたと、石造りの回廊を突き進んでいった。
やがて行き着いたのは、立派な彫刻の施された扉の前である。その扉の前では、2名の兵士たちが折り重なっていた。
「どうやらここが、王姉どもの寝所であるようじゃな」
ジェラが頭で押すと、扉はまた抵抗なく開かれた。
その向こうは従者の控える次の間であり、やはり2名の人間が倒れ伏している。それは兵士ではなく、年若き侍女たちであった。
最後の扉は、押しても開かない。
ジェラが主人を振り仰ぐと、魔女エマは襟巻きの下でふてぶてしく笑ったようだった。
「かまわぬから、力ずくで突破せよ。兵士どもが集まってきたら、その時はその時じゃ」
ジェラはひとつうなずくと、背後の扉をくぐって回廊にまで後退した。
そして、助走をつけて次の間に飛び込み、正面の扉に右前肢を叩きつけると、扉の蝶番は硬い音色とともに弾け飛んだ。
たちまち、女人の悲鳴が響く。
部屋の奥には天蓋つきの巨大な寝台があり、そこで2名の女人がおたがいに取りすがっていた。
夜着を纏ったベルディカと、壮年の貴婦人である。
そして、その両名の前に黒ずくめの男が立ちはだかっていた。
「どうやら、間に合ったようじゃの。このようなやり口で王家の人間を殺めようとは、ずいぶん乱暴な話じゃな」
頭巾つきの外套で人相を隠したその男は、うろんげに魔女エマたちを振り返った。
その手には、ねっとりとした紫色に照り輝く短剣が握られている。
「あなたがたは……何者でございましょう……?」
「我は、《針の森の魔女》じゃ。こやつは従者で、こやつは不肖の弟子じゃな」
すると、寝台の上で震えていたベルディカが、金切り声をほとばしらせた。
「フィリア! やっぱりあなたの仕業だったのね! 玉座のために、わたくしや母様まで殺めようだなんて……なんて恐ろしい人間なの!」
「あ、いえいえ、それは誤解なのですよー」
「釈明は、そこの不埒者を片付けてからじゃ。まあ、さしたる手間でもないがの」
言いざまに、魔女エマは左手を振り払った。
そこから投じられた銀色のきらめきが、男の右腕に降りかかる。それは髪の毛のように細い銀の針であり、手首を刺し貫かれた男はうめき声をあげて短剣を取り落とすことになった。
次の瞬間にはジェラが地を蹴って、男に襲いかかる。
男は仰向けに倒れ込み、ジェラはその両腕を前肢で踏みつけた。
「終了じゃ。さて、釈明させていただこうかの」
魔女エマは、フィリアとともに床に降り立った。
その金色の目が、寝台の上の貴婦人たちをねめつける。
「我はこのフィリアを弟子として預かることになった、《針の森の魔女》じゃ。おぬしらが、王姉とその息女じゃな?」
「い……いったい、何だというの!? 衛兵! 衛兵たちは、何をやっているのよ!」
ベルディカが、また錯乱して声をあげる。
その手に抱きすくめられた母親は、青い顔でがたがたと震えるばかりであった。
「前王らを毒殺し、おぬしらをも殺めようとしたのは、このフィリアではない。そこで這いつくばっとる邪神教団やらいう輩じゃ。聖堂と思しき建物においては、こやつの仲間どもが10名ばかり転がっておるぞ」
「い、いい加減なことを言わないで! 何が邪神教団よ! すべてあなたの差し金なのでしょう、フィリア? 恨みのある父親や兄たちばかりでなく、なんのゆかりもなかったわたくしたちまで殺めようとするなんて――!」
「なんのゆかりもないことはなかろう。まあ、同じ血族でありながら、この齢まで顔をあわせたこともなかったというのなら、確かに他人も同然であろうがな」
皮肉っぽい声で言いながら、魔女エマは木の杖をベルディカたちに突きつけた。
「まあ、あちらではアデリールやらいう騎士めが悔恨の涙を流しておる。すべての真実はその者の口から語られるであろうよ。……それはともかく、おぬしたちに告げておくことがある」
「な、何よ! 衛兵たちが来たら、あなたたちなんて――!」
「異国の民のように言葉の通じん娘じゃの。これでは、埒が明かんわい」
そのようにつぶやいてから、魔女エマはいきなり木の杖で床を叩いた。
「聞けい、王姉とその娘よ! おぬしらは、これから西の王国を統治する立場であるのじゃろうが!? これしきの騒ぎで我を失っておっては、国を治めることなどとうていかなわぬぞ!」
10歳児ていどの肉体でありながら、それは気迫に満ちみちた怒声であった。
ベルディカは咽喉を鳴らして、母親の身体にすがりつく。国王代理にして王姉たる母親は、唇まで青くなってしまっていた。
「この世の行く末は、石の都の住人たるおぬしたちに委ねられた。しかし、おぬしらだけでは心もとないゆえに、魔術師たる我々がこのように尽力する羽目になっておるのじゃ。邪神教団やらいう不逞の輩に前王を奪われたことを、おぬしたちは大いに恥じ入るがいい」
いくぶん声の調子を落として、魔女エマはそのように言葉を重ねた。
すると、ジェラに押さえつけられている男が低く笑い声をたてる。
「無駄でございますよ、魔女殿……石の都は、人間を頽廃させるのです。その醜き女人どもが、その証左でございます。あなたがどれだけ情理を尽くそうとも、その浅ましき女人どもを改心させることはかないますまい……」
「ふん。改心させる気なんぞないわい。我はただ、おぬしのような不逞の輩に足をすくわれるなと忠告しておるだけじゃ」
魔女エマは、熾火のように燃える目で男を見下ろした。
「おぬしらは、自分の負った絶望を世界になすりつけようとしておるに過ぎん。そのように浅ましき思いで大神の眠りを妨げようなどとは、言語道断じゃ」
「いいえ……わたくしどもは、世界を浄化するために……」
「それは、人の子の為すわざではない。そして、おぬしたちの妄念こそが、この世界を穢そうとしておるのじゃ」
魔女エマは、断固たる声で男の言葉を断ち切った。
「しょせんおぬしらなど、石の都の爪弾きものよ。石の都の法によって、断罪されるがよい」
「いいえ……わたしどもは、決して石の都などに屈しはしません……」
頭巾から覗く男の口もとが、邪悪な笑みをたたえた。
そして次の瞬間、その口から大量の鮮血が噴きこぼれる。
ベルディカとその母親は、断末魔のような悲鳴をあげた。
男は邪悪な笑みをたたえたまま、息絶えていた。
「自害したか。おぬしらの魂は、闇に堕ちるしかないのじゃろうな」
感情を殺した声でつぶやき、魔女エマはベルディカたちに向きなおった。
「さて、我々ものんびりはしておられんが……その前に、最初で最後の魔術を披露してみせようかの」
「え? 魔力の枯渇した王都で、魔術は使えないでしょう?」
フィリアが不思議そうに問うと、魔女エマは「ふん」と鼻を鳴らした。
「魔力の枯渇した北の地においても、我らは転移の術式を行使したじゃろうが? たとえ精霊はおらずとも、己の魔力を振り絞れば、ひとつぐらいの魔術は成せるのじゃ」
そう言って、魔女エマは杖を頭上に振り上げた。
その頬や手足に刻まれた魔女の刻印が、衣服を透かして輝き始める。この世ならぬ光景に、ベルディカたちはまた悲鳴を振り絞った。
魔女エマは、ゆっくりと杖を振り下ろす。
すると、その先端がなぞった空間に光の線が引かれた。
光の線は中心から膨らんでいき、やがて小さな門を形づくる。
そうしてそこから吐き出されたのは――黒い木材と水晶で作られた、細長い箱であった。
聖剣が収められた、『封印の匣』である。
魔女エマが「解」の呪文を口にすると、『封印の匣』はくしゃりと崩落した。
それを見届けて、魔女エマは「ふう」と息をつく。刻印の光が消えると同時に、光の門も閉ざされていた。
「おぬしも、封印を解くがよい。そして、聖剣を正統なる所有者に返すのじゃ」
「え? はい、承知いたしましたー」
フィリアが聖剣を拾いあげて、「解」の呪文を唱えると、柄の部分に巻かれた色とりどりの紐が弾け散った。
フィリアが「どうぞ」と聖剣を捧げようとすると、ベルディカたちは「ひっ」と後ずさってしまう。しかたなく、フィリアは聖剣を彼女たちの足もとに置くことになった。
「この聖剣は、おぬしらの知らぬところで、幾度となく世界を救ってきた。今後はおぬしたちが正統な所有者として、この世界を守り抜くのじゃ」
そのように宣言してから、魔女エマは肩をすくめる。
「まあ、石の都に閉じこもっておる限り、魔なるものに襲われることはなかろうがな。しかし、この聖剣こそが、おぬしたちの栄華の証であろう。このたび、大きな災厄に見舞われたのは、この聖剣が然るべき場所から持ち出されたゆえかもしれん。この聖剣こそが王国を守るのだと信じ、奉るがよい」
それだけ言って、魔女エマはジェラの背に飛び乗った。
そして、高い位置からフィリアを見下ろす。
「さて、おぬしの心は定まったのか?」
「はい? なんのお話でありましょう?」
「大たわけ。おぬしは何のために、このような場まで出向いてきたのじゃ?」
魔女エマは、すっと目を細めた。
しかし口もとを隠しているために、笑っているのか怒っているのかも判然としない。
「いずれの道を選ぶとしても、我々はこの世界を守らなければならんのじゃ。石の都の住人としてその使命を果たすのか、魔術の世界の人間としてその使命を果たすのか、決断せい」
「やだなー。そんなの最初から決まってるって言ってるじゃないですかー」
フィリアは、にこりと微笑んだ。
「わたしは、魔術の世界の人間として生きます! 石の都に、わたしの居場所は存在しません!」
「……これが、決断を下す最後の機会であるのじゃぞ?」
「最初でも最後でも、わたしの気持ちに変わりはありません!」
フィリアはジェラの背によじのぼり、寝台で震えているベルディカたちを振り返った。
「それでは、おさらばです! これからは、邪神教団というものにお気をつけくださいねー!」
そのとき、回廊のほうから喧噪の気配が接近してきた。
ようやく王宮の衛兵たちが、異変に気付いたのだ。
「では、帰るぞ」
「はーい! 従者さん、どうぞよろしくお願いいたします!」
衛兵たちが、寝所になだれこんでくる。
それと同時に、ジェラは窓から身を躍らせていた。
「お、王姉殿下、これはいったい……?」
衛兵たちは腰の刀に手をかけて、寝台を取り囲む。その足もとでは、不気味な笑みをたたえた遺骸が一体、転がっているばかりである。
王姉は死人のように青ざめたまま、何も答えることができなかった。
すると、ベルディカがその手をもぎ離して、無造作に置かれていた聖剣を抱え込んだ。
「上等じゃない……わたくしは、次代の王妃となるのよ! 何者にも、決してわたくしたちの安寧を脅かさせたりはしないわ!」
「ベ、ベルディカ姫……?」
「うるさいわね! いいから、聖堂に誰かを向かわせなさい! そいつらが、前王殺しの大罪人よ! フィリアのやつは……」
と、ベルディカはその手の聖剣をぎゅっと抱きすくめた。
「……あんな野蛮人には、最初から王妃なんてつとまらなかったのよ。辺境の地で、魔術でも何でも好きにしたらいいじゃない」
「……ベルディカ姫?」
「うるさいったら! いいから、聖堂の大罪人どもを捕縛しなさい! ひとりでも逃がしたら承知しないからね!」
そんな風にわめきたててから、ベルディカは窓のほうに目をやった。
しかしその向こうは闇の帳に閉ざされており、何の気配も残されていなかった。




