1 意外なお誘い
2020.11/20 更新分 1/1
「うむ。またぞろ妖魅が現れたようじゃの」
秘薬の調合に励んでいた魔女エマがふいに手を止めてそのようにつぶやくと、フィリアは「えー!」と不平の声をあげた。
「またですかー? これでもう、3日連続じゃないですかー!」
「ふん。邪神教団の輩どもが、必死にあがいておるのじゃろう。しょせんは無駄なあがきじゃがな」
蔓草が運んできた外套を纏い、ねじくれた木の杖を振りかざすと、魔女エマは妖艶なる大人の姿に、ジェラは顔だけが狼の姿に変じた。
「では、行くか。くれぐれも、卓の上の秘薬には触れるのでないぞ?」
「はいはーい。いってらっしゃいませー」
ぷっと頬をふくらませながら、フィリアは主人と従者の姿を見送った。ふたりの姿は光の門の向こうに消えて、フィリアだけが魔女エマの住処に取り残される。
「ちぇー!」と大きな声をあげながら、フィリアは魔女エマ愛用の長椅子に寝転がった。
フィリアたちが王都から帰還して、すでにひと月ていどが経過している。その間、西の領地には毎日のように妖魅が出現して、そのたびにフィリアは留守番をおおせつかっていたのだった。
「そりゃあ聖剣がなかったら、わたしなんて魔術も使えない役立たずですもんねー。置いてけぼりにされるのが当然ですよねー」
長椅子にひっくり返ったまま、フィリアは誰にともなく文句を言いたてた。
魔女エマたちはひとたび妖魅の退治で家を空けると、半日から数日は戻ってこないのだ。このひと月、フィリアは余人と会話をしている時間よりも独り言を口にしている時間のほうが長いぐらいかもしれなかった。
「もー! 邪神教団の連中は、いったい何を考えているのでしょー? お師匠さんたちは邪神を倒せるぐらい凄い力をお持ちなのですから、いまさら妖魅なんて呼び出しても太刀打ちできるわけないじゃないですかー!」
聞くところによると、東や南の領地においても、同じような騒ぎが巻き起こっているようだった。つい先日、魔女ラクーシャと魔女ドルガの使い魔がやってきて、そのように報告し合っていたのである。
『行った先に待ち受けてるのは、ちっぽけな妖魅野郎ばかりだけどな。だけど、石の都の住人どもの被害は甚大だ』
『はい。先日、東の辺境の町、壊滅しました。妖魅、疫病、もたらしたためです』
『こっちでは、田畑が泥沼に呑み込まれてたな。領民どもが生きのびても、あれじゃあ領地を捨てるしかねえ』
魔力が残存する辺境の地においては、妖魅が自然に発生してもおかしくはない。しかし、このひと月の間に出現した妖魅はまるで石の都に戦を仕掛けているかのごとく、さまざまな被害を与えているようだった。
『そもそも、こんな次から次へと妖魅が湧くなんて、普通の話じゃねーしな。またあの邪神教団とかいうくそったれどもが、悪さをしてるんだろうよ』
『はい。もしかしたら、狙い、私たちかもしれません。このような騒動、長く続けば、秘薬、尽きてしまいます』
『そいつを見計らって、また邪神やら何やらを覚醒させようって目論見か。ふん、くそったれどもが考えそうな悪巧みだぜ』
「しかし、妖魅が湧いたからには退治せぬわけにもいかぬしな。妖魅を退治しつつ、邪神教団の根城を探る他なかろう」
魔女エマたちは、そのように語らっていた。
しかし、こうまで毎日討伐の作業に駆り出されては、そのような時間を捻出することも難しかろう。秘薬の調合もおろそかにはできないし、そもそも邪神教団の居場所を探る手段も確立できていないのである。
邪神教団が厄介なのは、そのひとりひとりがただの人間に過ぎないことであった。
外道の手管によって魔術を行使するすべは持っているようだが、それはいずれも大地の魔力を利用した魔術であり、魔女たちのようにその身に魔力を帯びているわけではない。よって、魔女たちがどれだけ探索の手をのばしても、なかなか居場所を探ることはかなわないのである。
「邪神教団さえいなかったら、わたしはお師匠さんたちと楽しく和やかに暮らせるのになー。どうにかして、あの厄介なお人たちを殲滅する手段はないものですかねー」
フィリアがそのようにぼやいたとき、どこからともなくコンコンと戸板でも叩くような音色が響いた。
何者かが、入室を乞うているのだ。フィリアは瞳を輝かせながら、ぴょこりと起きあがった。
「わーい、お客さんですねー! 誰だかわからないけど、ぞんぶんにおしゃべりしていただきましょー!」
フィリアはいそいそと、長椅子の後ろ側にある壁のほうに近づいていった。
その壁に、人間の拳ぐらいの大きさをした、うろのような穴が空いている。この場所を訪れた者と言葉を交わすための細工である。主人と従者の留守中に、他の魔女たちが使い魔をよこす可能性もあったので、留守番をするフィリアのためにこのような細工が施されることになったのだ。
「はいはーい! どちら様でしょうかー?」
フィリアはその小さな穴に顔を寄せて、元気いっぱいに言葉を届けた。
すると――穴の向こうから人間の腕が生えのびて、フィリアの胸ぐらをわしづかみにしてきた。
「きゃー! ど、どうして腕なんて出てくるのですかー? この穴は、言葉しか出し入れできないはずですよー!」
「そう騒がないでちょうだい……あなたに頼みたい話があって出向いてきたのよぉ、フィリア……」
穴の向こうから、くぐもった声が聞こえてくる。
そして、フィリアの胸ぐらをつかんでいるのはほっそりとした少女の指先であり、その手の甲には魔女の刻印が刻みつけられていた。
「おー、そのお声とこのお手は、外道の魔女さんでありますねー。わたしに何のご用事でありましょうかー?」
「だから、頼みたい話があるんだってばぁ……ちょっとこちらに出てきてもらえるかしらぁ……?」
「いえいえ、わたしにこの家を出るすべはないのですよー。危ないからって、お師匠さんが出る方法を教えてくれなかったのですー」
フィリアがそのように答えると、外道の魔女キョウラは「そうでしょうねぇ……」と含み笑いをした。
「でも、あなたはこうしてわたしに触れられているから、いまならわたしの術式で外に出ることがかなうのよぉ……あなたは『フィリアは外に出る』と口にするだけでいいわぁ……簡単な話でしょう……?」
「なるほどなるほどー。さては以前もこのようにして、東のお弟子さんを家から連れ出したのですねー」
「いいから、早くしてもらえるかしらぁ……? こうしている間にも、わたしの魔力は削られてしまっているのよぉ……」
壁から生えた腕に胸もとをつかまれたまま、フィリアは「ふーむ」と考え込んだ。
「それは魅惑的なお誘いなのですが、わたしはお師匠さんのお許しもないままに、あなたと仲良くすることは許されない身の上なのですよねー」
「だったら、この世界が滅んでしまってもいいというの……? このままだと、またあの連中はとんでもない方法でこの世を穢してしまうわよぉ……?」
「それでしたら、お師匠さんや他の魔女さんたちに、きちんと助力を乞うべきではないでしょうか?」
「それができたら、最初からしているわよぉ……いまのわたしが頼れるのは、あなただけなの……」
「うーむ! このひと月、無力感に苛まれていたわたしには、なんとも甘美なお言葉でありますねー!」
眉を下げながら、フィリアは思案した。
「でもでも、ひとつだけお聞かせください。これは何かの罠だったりはしないですよねー? 外道の魔女さんも北の魔女さんみたいに、邪神教団に誑かされてしまったりはしておりませんよねー?」
「当たり前じゃない……わたしがあんな連中に誑かされるなんて、そんなことがありえると思っているのかしらぁ……?」
フィリアの胸もとをつかむ指先に、ぎりっと力が込められた。
「そうですか」と、フィリアは笑う。
「わたしには読心のすべもありませんけれど、外道の魔女さんのお怒りはひしひしと伝わってまいりました! 邪神教団を殲滅したいと願う外道の魔女さんの志に、お変わりはないようですねー」
「なかなか食えない娘ねぇ……信用できたなら、とっとと出てきてもらえないかしらぁ……?」
「はいはーい。でもでも、きっとお師匠さんが戻ってきたら、お怒りになられると思うのですよねー。そのときは、一緒に謝っていただけますかー?」
「なんでもいいから、早くしてちょうだい……こんなことで、魔力を無駄遣いしたくないのよぉ……」
「はーい、承知いたしました! フィリア、家から出ますですー!」
その瞬間、フィリアの視界が暗黒に閉ざされた。
肉体がぐにゃぐにゃと歪んでいくような感覚が、フィリアの五体に走り抜ける。
「うえー、気持ち悪いですー!」
そのようにわめいたとき、フィリアの視界に光が蘇った。
とはいえ、昼なお暗き森の中である。フィリアは『針の森』の冷たい地面にへたり込んでおり、その正面に魔女キョウラと従者のヘルが立ちはだかっていた。
「どうもどうも、おひさしぶりですねー。外道の魔女さんとお会いするのは、ふた月ぶりぐらいでありましょうか?」
「ええ、そちらも元気そうねぇ、フィリア……」
朱色の髪と暗赤色の瞳を持つ外道の魔女キョウラは、悠然と微笑んでいた。本日は、赤と黒のけばけばしい装束の上に、黒い毛皮の外套を纏っている。
従者のヘルも、以前に見た通りの姿であった。瞳と唇だけが赤く、髪や肌は雪のように白い。その身に纏った長衣や外套までもが、目の覚めるような純白である。
「でも、のんびり挨拶をしている暇はないのよぉ……こうしている間にも、邪神教団の悪巧みは着々と進行してしまっているでしょうからねぇ……」
「はあ。ですが、わたしは聖剣を王国にお返ししてしまったので、完全無欠に無力なのですよー? 外道の魔女さんが聖剣の力をあてにされていたのなら、心よりお詫びを申しあげまする!」
「ああ、それなら承知しているわよぉ……まあ確かに、聖剣というのは王国の象徴なのだからねぇ……ちょっともったいないけれど、王国に返すのが正しい行いなのだろうと思うわぁ……」
「ふむふむ。察するに、外道の魔女さんはまた覗き見をしておられたのですね?」
「それはそうよぉ……あなたが西の王になるというのも一興だったけれど、そうしたら、こんな風に力を借りることもできなかったのでしょうから……わたしとしては、あなたが魔術の世界に留まってくれたことを祝福するべきなのでしょうねぇ……」
「うむむ?」と、フィリアは首を傾げることになった。
「外道の魔女さんは、ずいぶん詳細までわきまえておられるのですね。あんな王都のど真ん中で、そんなくっきり覗き見することができるのです?」
「それにはまあ、ちょっとした秘密があるのだけれどねぇ……」
魔女キョウラは、くすくすと愉快そうに忍び笑いをもらした。
「お詫びのしるしに、ここで打ち明けちゃおうかしらぁ……わたしはねぇ、魔女の従者たちの目を通して、すべてを見聞きしていたのよぉ……」
「従者さんたちの、目を通して?」
「うん、そうよぉ……北の魔女を退治する際に、従者たちはこのヘルと存在を結合されたでしょう……? それで4人は、魂の根っこが結び合わされることになったから……ヘルを通して、その目や耳がとらえたものを、こちらで感知できるようになったのよぉ……」
「ほへー。それじゃあわたしたちばかりでなく、東や南の魔女さんたちのご様子も筒抜けであられたわけですかー」
「うふふ……こんなことが知られたら、わたしはますますあの魔女たちに忌み嫌われてしまうでしょうねぇ……まあ、そろそろ魂の結びつきがほどけてきちゃったから、この便利な術式もあと数日限りのことでしょうねぇ……」
そんな風に言ってから、魔女キョウラは朱色の長い髪をゆったりとかきあげた。
「だから、あなたがあの魔道具の首飾りを西の魔女に返した場面も見届けているわよぉ……あんなものを身につけていたら、こうしてあなたと密談することもできなかったから、わたしは正直ほっとしたわぁ……」
「あー、あれは便利な魔道具でありましたねー。知らないところで覗き見と盗み聞きをされていた身としては、忸怩たる思いでしたけれどー」
「そうねぇ……でも、あなたの姿を覗き見していた西の魔女は、わたしに覗き見されていたのだから、釣り合いは取れているのじゃないかしら……?」
「これっぽっちも取れていません! わたしは二重に覗き見されているし、外道の魔女さんは誰にも覗き見されていないじゃないですかー!」
フィリアがむくれた顔で声をあげると、魔女キョウラはいっそう愉快そうに微笑んだ。
「さあ、それじゃあ楽しいおしゃべりはこれぐらいにして、そろそろ出発しようかしらぁ……くどいようだけど、あまり時間は残されていないのよぉ……」
「ちょっとお待ちを! 聖剣なしで、わたしはどのようにお力を貸せばよいのでしょう? 聖剣を持っていないわたしなんて、無邪気さと誠実さだけが取り柄の無力な小娘に過ぎないのですよー?」
「そんな、謙遜することはないわぁ……あなたには、剣士としての力量と、これまで妖魅を退治してきた経験があるじゃない……そうじゃなければ、わたしだって助力を求めたりはしないわぁ……」
「でもでも、それもやっぱり聖剣ありきのお話でしょう?」
魔女キョウラは妖しく微笑みながら、その手の杖を振り上げた。
虚空に光の線が走り、そこから1本の長剣が吐き出される。それをつかみ取った魔女キョウラは、「はい……」とフィリアに差し出した。
「えーと、これは鋼の長剣でありましょうか?」
「ええ、そうよぉ……苦労をして、石の都から調達してきたの……」
「ふむふむ。わたしに剣を見る目などは備わっておりませんが、これはなかなかの業物であるようですね。でもでも、あのように規格外の力を発現できるのは、やはり王国の宝たる聖剣だけなのでしょう?」
「それはもちろん、そうなのでしょうねぇ……でも、石の都の文明の結晶である鋼の剣には、もともと魔なるものを滅ぼすための力が秘められているものなのよぉ……その剣は、わたしの魔術で聖なる力を覚醒させたから、あなたが扱っていた宝剣の半分ぐらいの力は引き出せているはずねぇ……」
「えー! 魔術というのは、魔なる力なのでしょう? その術式で、聖なる力を引き出すことなんて可能なのですかー?」
「可能よぉ……掟や習わしに縛られない、外道の魔女だったらねぇ……」
薄く笑いながら、魔女キョウラはその手の杖を頭上に放り上げた。
そうしてそれが再び手に握られた時には、杖が長剣に変じている。
「おやおや。そちらは、魔剣でありましょうか?」
「そう、察しがいいわねぇ……最初の1本はあなたにへし折られてしまったから、新しいものを鍛えあげたのよぉ……わたしだけじゃなく、ヘルの分もねぇ……」
ヘルは無言のまま、白革の外套の前をはだけた。
くびれた腰に帯が巻かれており、そこに革鞘の長剣が吊るされている。その柄や鞘までもが、純白であった。
「これから出向こうとしている場所は、魔力が枯渇してしまっているの……でも、この魔剣には精霊たちの怨念が封じ込められているから、その怨念が尽きるまでは、魔力の枯渇した場所でも力を発揮することができるのよぉ……」
魔女キョウラは、赤い唇を吊り上げた。
異様に発達した犬歯が、フィリアを挑発するように照り輝く。
「これで、理解できたでしょう……? 魔力の枯渇した場所では、掟に縛られた魔女たちも無力なのよぉ……そこで使命を果たせるのは、外道の魔術を行使するわたしたちと、鋼の武器を扱えるあなただけ……邪神教団の野望を打ち砕くために、力を貸してくれるわよねぇ、フィリア……?」




