3 青き狩人
2020.10/25 更新分 1/1
「こ……この御方が、魔術師の一族であらせられるのですかー?」
フィリアはそれこそ、邪神の眷族を目の当たりにしたときよりも、大きな驚きにとらわれてしまっていた。それぐらい、それは魔術師という名に似つかわしくない風体であったのである。
まずその人物は、毛皮の外套と装束を纏っていた。地面に伏した大熊と同じ色合いをした、灰褐色の毛皮である。
そして肩には弓と矢筒を背負い、手には石斧を携えている。腰の帯には鞘に収められた短刀を下げており、それだけを見ればまごうことなき狩人の姿であった。
ただし、通りすがりの狩人とは思えない。その人物は、フィリアが知る東の民とも北の民とも異なる風貌をしていた。
すなわち、長くのばしたその髪も、毛皮の装束から覗く顔や手足も、強くきらめく瞳までもが、実に鮮やかな青色をしていたのである。
そして、その頬と手の甲と足の甲には、魔女ラクーシャと同じく灰色の刻印が刻まれていた。
年齢も性別も定かではないが、フィリアよりは背が低く、とても引き締まった身体つきをしている。その顔は、切れあがった目と高い鼻と薄い唇が印象的で、それだけは魔女ラクーシャと同じく東の民の特徴を備えているようだった。
不思議な青色をした髪は後ろで無造作で束ねられており、全身が砂塵で薄汚れている。しかも、これだけ寒さの厳しい土地であるというのに、足先には何も履いていない。足の指は妙に長くて節くれだっており、木登りをするのにずいぶんと便利そうな作りをしているようだった。
「なんというか……人間にお化けになられた従者さんよりも、野獣めいた雰囲気であられますね。こちらが本当に、《青の民》の御方であられるのですか?」
「はい。《青の民》、狩人です」
魔女ラクーシャがそのように答えたとき、一同の足もとに岩石のごとき物体が降ってきた。
それは、大熊に放り投げられたロムロムであった。仰向けに転がされてしまったので、竜の首をのばして地面を押しやり、ごろんと起きあがる。半分まぶたに隠されたその瞳には、とても申し訳なさそうな光が瞬いていた。
ロムロムを投げ飛ばした大熊は、重々しく咽喉を鳴らしながら、茂みから這い出してくる。あちこちに手傷を負っている様子であったが、その双眸には憤激の炎が渦巻いていた。
「ロムロム、守り、得手ですが、攻撃、いささか不得手なので、大熊、仕留める、難しいようですね」
魔女ラクーシャは、落ち着いた眼差しで《青の民》の狩人を振り返った。
青き狩人は仮面のような無表情のまま、指先を口もとに当てて口笛を吹き鳴らす。
すると、針葉樹の梢を縫うようにして、黒い矢のような影が飛来した。
その影が大熊の顔面に躍りかかり、目もとを鉤爪で掻きむしる。
それは巨大な、1羽の鷲であった。
地面に伏せていた大熊は、怒りと苦悶の雄叫びをあげながら、後ろ足で立ち上がる。
その瞬間、青き狩人は大鷲にも劣らぬ俊敏さで大熊の懐に飛び込み、その咽喉もとを石斧で叩き斬った。
その一撃で、大熊の頑健なる首は半分がた寸断され、噴水のごとき鮮血をほとばしらせる。
その血の雨を浴びてしまわないうちに、青き狩人は素早く後方に飛びすさっていた。大鷲は空中で旋回したかと思うと、青き狩人の右肩にふわりと舞い降りる。
「しゅ、しゅごいですねー。あんな大きな熊さんが、一撃ですー」
フィリアが呆然とした声でそう言ったとき、自分の仕事を終えたジェラが帰還してきた。
一同は、あらためて青き狩人に向きなおる。
右肩に大鷲を乗せた青き狩人は、沈着そのものの眼差しで一同を見返していた。
「助勢、ありがとうございます。西の言葉、解しますか?」
魔女ラクーシャがそのように尋ねると、青き狩人はそれとよく似た無感情な声で「少し」と答えた。
「我々、俗世に出た、魔術師です。今日、後継者、選ぶため、聖域、踏み入りました。族長のもと、案内、願えますか?」
青き狩人はひとつうなずいてから、フィリアのほうに視線を向けた。
そして、青い指先を自分の頬に当てる。
「その者、刻印、ない。不思議、思う」
「はい。ですが、こちら、西の魔女、弟子となります」
青き狩人は、青き瞳でフィリアの顔をじっと見つめた。
まだいくぶん毒気を抜かれていたフィリアは、そこでにこーっと破顔する。
「わたしは西の魔女たるお師匠さんの弟子、フィリアと申します! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします!」
青き狩人は小首を傾げてから、再び口笛を吹き鳴らした。
しばらくして、周囲の茂みがガサガサと踏み鳴らされる。そうして姿を現したのは、いずれも青い姿をした狩人たちであった。
「うひゃー、団体さんのご到着ですー」
「黙っとれ。おぬしが不浄の存在と見なされたら、この場で頭の皮を剥がされてしまうのじゃぞ」
魔女エマが、低い声でたしなめた。
新たに現れた狩人の数は、5名である。全員が青い髪と肌をしているが、中には黒や茶色の瞳をしている者もいる。そして、全員が縦に長いすらりとした体型をしていたが、背丈のほうはずいぶんまちまちであった。もっとも小柄であるのは最初に現れた狩人であり、もっとも長身な者はそれよりも頭ふたつ分は大きいようである。
最初の狩人が東の言葉で何かを伝えると、5名の狩人たちは一斉にフィリアの姿を見つめた。
フィリアがにこにこと笑いながらそれを見つめ返していると、やがて興味を失った様子で、あちこちに倒れ伏している大熊のもとに近づいていく。
「大熊、始末、同胞、任せる。私、集落、案内する」
「ありがとうございます。あなた、厚意、感謝します」
魔女ラクーシャが指先を組み合わせて一礼すると、青き狩人も石斧を腰帯に吊るし、同じような礼を返した。
そうしてきびすを返すと、無言のまま林の中に分け入っていく。魔女ラクーシャに目でうながされて、一行もその後を追いかけることになった。
通りすぎざまにフィリアが見てみると、残された狩人たちは大熊の毛皮を剥いで、肉の解体を始めていた。冷えきった大気に湯気があがり、血の臭いが濃くなりまさっていく。
「すごいですねー。みんな立派な狩人さんみたいですー。……それだけに、とうてい魔術師の一族とは思えないのですが、これはわたしの見識が狭いゆえなのでしょうか?」
「うむ。眠れる大地に寄り添うというのは、ああいうことなのじゃ。肉体と魂を清らかに保ちながら、その身の力を大地に捧げる。何もおかしなことはない」
「にゃるほろ。でもでも、みなさん刀をお持ちのようでしたね。鋼というのは、もっとも不浄の存在であるのでしょう?」
すると、フィリアたちの会話を聞いていた魔女ラクーシャが、先頭を歩く青き狩人に東の言葉で何かを語りかけた。
青き狩人は歩きながら横を向き、その腰の刀を鞘から引き抜く。その刀身は、黒光りする石であった。
「あー、そっかそっか、こちらの厨でも、同じような刀を使っておりましたね。無粋な質問をしてしまって、申し訳ありませんでした!」
青き狩人は小さくうなずいてから、石の刀を鞘に戻した。
そうしてしばらくフィリアの顔をじっと見つめてから、前方に向きなおる。
「うむ。おぬしの皮を剥ぐかどうか、決めかねている様子じゃの」
「えー、そんなことないですよー。ねえ、東の魔女さん?」
「すべての道、決めるのは、族長です。彼女、族長の判断、仰ぐつもりなのでしょう」
「おー、あの御方は女性であられたのですかー。そうなのかもなーと思いつつ、ものすごい身のこなしであったので判じかねていたのですよねー」
「聖域の民、男女問わず、10歳から、狩人として、働きます。より強き子、生すためです」
「ほうほう! ではでは、お師匠さんや東の魔女さんたちも、聖域で暮らしていた頃は狩人として働いていたのですか?」
「いえ。魔術師、後継者、選ばれる、幼子です。私、7歳で、聖域、離れました」
「ふむふむ。7歳から魔術師としての修行を開始されたのですかー。……むむ、それでたしか、一人前の魔術師になるには3年ぐらいの修行期間が必要となるのですよね?」
「はい。おおよそですが」
「わかったー! それで一人前の魔術師となったら、肉体が老いることもなくなるのですね? だから魔女のみなさんは、誰もが10歳児ぐらいの外見であられるということですかー!」
青き狩人の少女がこちらを振り返り、東の言葉で短くつぶやいた。
魔女ラクーシャは同じ言葉で返事をしてから、フィリアを振り返る。
「大きな声、大熊、呼び寄せます。なるべく、つつしむよう、忠告されました」
「あ、これは失礼つかまつりました。……で、わたしの考察は的を射ていたのでしょうか?」
「はい、おおむねは。……ただし、老衰、免れること、ありません。ただ、ゆるやか、なるだけです」
「ほうほう。ではではみなさんも、これから少しずつ大人らしい外見になっていくということなのでしょうか?」
「はい。北の魔女、100年以上、生きているので、外見、成長しています。ただし、天命、迎える、まだ先です」
「ふん。あやつは200年でも300年でも生き永らえそうじゃの」
魔女エマがそのように答えたとき、狩人の少女が足を止めた。
またこちらを振り返り、東の言葉で何かを伝える。魔女ラクーシャがそれに答えて、一同に説明した。
「断崖、下ります。それぞれ、従者、乗りましょう」
「こちらでふたりは手狭じゃな。おぬしは竜亀の世話になるがよい」
すかさず身を伏せたジェラの背に、魔女エマは「よっこらしょ」とまたがった。
フィリアは瞳を輝かせながら、ロムロムの甲羅に手をかける。その首や手足には刃物のごとき鋭さを持つ鱗が生えていたが、甲羅のほうは岩盤のように角張っているぐらいであったので、人間が乗るのに不自由はないようだった。
そうしてフィリアと魔女ラクーシャが甲羅にまたがる姿を見届けてから、狩人の少女は前方の茂みに踏み込む。
その姿が、瞬きをする間に消え失せた。
茂みの向こうに、断崖が隠されていたのである。
それは、かなりの傾斜を持つ岩の断崖であった。
狩人の少女が砂塵を巻き上げながら滑落していく姿を見下ろしながら、フィリアは「うひゃー」と声をあげる。
「あの御方は、裸足でしたよね? 足の裏が削れちゃったりはしないのでしょうか?」
「聖域の民、肉体、頑丈です。この地、暮らしていれば、いっそう鍛えられるのでしょう」
ジェラとロムロムも、狩人の少女を追って断崖に身を投じた。
ロムロムは甲羅の腹で滑落しているが、ジェラはその身体能力を活かして駆け下りている。ジェラの場合は、そうでもしないと足の裏を削られてしまうのだろう。ロムロムの甲羅にへばりついたフィリアは、「ひゃっほー!」と雄叫びをあげていた。
断崖の下は、岩場である。
あちこちに雪がかぶさっており、岩の隙間を雪解け水がちょろちょろと流れている。草木の1本も見えず、荒涼とした様相であった。
「この岩場、越えた先、集落であるようです。なお、彼女、族長筋、血族であるようです」
「ふん。そんなもんは、瞳の色で明白じゃわい」
断崖を下りても、魔女エマはジェラの背に乗ったままであった。
その姿を見上げながら、フィリアは「ふみゅみゅ?」と首を傾げる。
「瞳の色で明白とは、どういう意味でありましょう? あの御方は、宝石のように綺麗な碧眼をされておりますよね」
「あやつらは《青の民》なのじゃから、族長筋は青色の瞳をしておる。むろん、現在では族長筋も枝分かれをして、青色ならぬ瞳の分派も生まれておるのじゃろうがな」
「ほうほう。ではでは、《黄の民》でありつつ金色の瞳をしておられるお師匠さんも、かつては族長筋であられたというわけでしょうか?」
「……聖域を出た魔術師に、血筋もへったくれもないわい。どうせ2度とは戻らぬ場所であるのじゃからな」
「あー、お師匠さんの郷愁感をむやみに刺激してしまったのなら、深く陳謝いたしまする」
「やかましいわい! 黙って歩いとれ!」
「あ、その前にもうひとつだけ! あの髪や肌の青色は、さすがに生来のものではないのですよね?」
「当たり前じゃ。聖域の民は、それぞれの一族の聖なる色に、その身を染めあげておるに過ぎん」
「なるほどなるほどー。ではではお師匠さんも、幼き頃には真っ黄色であったのですねー。想像すると、なんだか愉快ですー」
「黙って、あ・る・い・と・れ!」
言葉の拍に乗せて、魔女エマはフィリアの頭を5回小突いた。本日は杖を持参していないので、拳である。
そのとき、狩人の少女が大きく腕を振り払った。止まれ、の合図である。
それと同時に、フィリアの足もとで硬質の音色が炸裂した。頭上から飛来した小さからぬ石が、岩盤を割り砕いたのだ。
狩人の少女は、鋭い声で何かを言いたてる。
その眼差しは、右手側にそそり立った断崖に向けられていた。
断崖に、いくつかの青い人影がへばりついている。
毛皮の外套を纏った、青き狩人たちである。そのうちのひとりが、なんらかの手段で投石してきたのだった。
断崖の狩人たちが大声で何かをまくしたて、狩人の少女も東の言葉でそれに応じる。
その末に、狩人の少女はフィリアたちを振り返ってきた。
「あの者たち、分派の狩人。石の都の住人、立ち入り、許さない、言っている」
「ふむ。いよいよ頭の皮を剥がされてしまいそうじゃの」
魔女エマは動じた様子もなく、ジェラの背から飛び降りた。
しかしその金色の瞳には、燃えるような眼光が宿されていた。




