4 狩人の集落
2020.10/26 更新分 1/1
「聞け、《青の民》の狩人たちよ! 我は西の俗世を守るために聖域を離れた魔術師、エマ=ドルファ=ヴァルリエートじゃ!」
ジェラの背から岩場に降り立った魔女エマは、よく通る声でそのように宣言した。
断崖にへばりついた青き狩人たちは、不動にして無言である。
「そしてこの娘は、我が不肖の弟子たるフィリアなる者じゃ! こやつは確かに石の都で生を受けた不浄の存在じゃが、現在では我と主従の誓約を交わし、魔術師としての修行に励んでおる! かつての故郷も、家族も、神も、すべてを捨て去った上で、肉体と魂から不浄を払おうとしておるのじゃ! この者を敵と見なすならば、まず主人である我に刀を向けるがよかろう!」
そこで魔女エマが口をつぐむと、魔女ラクーシャが東の言葉で長々と語らった。
その末に、魔女エマのほうを振り返る。
「西の言葉、解する人間、少ない、思われます。私、東の言葉、訳しました」
「ふん。我の真意が正確に伝わるといいのじゃがの」
魔女エマがそのように答えたとき、狩人のひとりがぶんぶんと右腕を振り回し始めた。
その手には、何か紐状の道具が握られている。真ん中の幅広の部分に石を収めた、それは投石具であった。
狩人が右腕を振り下ろすと、人間の拳ぐらいの大きさをした石が飛来してくる。
ジェラはすかさずフィリアの襟首に牙を立て、横合いに飛びすさった。
いままでフィリアの立っていた場所を通り過ぎて、石は逆側の断崖に激突する。
「び、びっくりしたー! 従者さん、ありがとうございますー!」
「…………」
「あ、そっか。いまは会話ができないのでしたね。のちほどあらためて、お礼を言わせていただきますー」
フィリアの笑顔を横目でねめつけてから、魔女エマは「ふん」と鼻を鳴らした。
「これは、我の言葉を正確に理解した上での狼藉であるのかの」
「はい。残念ながら、そのようです」
「では、弟子を害されそうになった主人として、我が報いを与えねばならんの」
魔女エマは唇を吊り上げて、金色の目を光らせた。
その手が外套の内側をまさぐろうとしたとき、案内役の狩人が「待つ」と声をあげる。
「あの者たち、眷族。族長筋として、私、責任、果たす」
「ほう。いったいどのような形で、責任を果たそうというのかのう」
狩人の少女は、口笛を吹き鳴らした。
その合図に従って、右肩の大鷲が宙に舞い上がる。
断崖の狩人たちは、しばしその姿に目を奪われた。
その間に、狩人の少女は岩場を疾駆する。瞬く間に、彼女は狩人たちの足もとに到達していた。
かなりの勾配である断崖を、狩人の少女はそのままの勢いで駆けのぼった。
慌てて振り返った狩人のひとりの手を、右足で蹴り払う。その手で断崖にへばりついていた狩人は、砂塵を巻き上げつつ滑落していった。
残る狩人は、3名である。
そのうちの2名は、自ら断崖の下にすべり降り始めた。
最後の1名はその場であらがおうと考えたようだが、そのときにはすでに、狩人の少女は彼よりも高い位置まで断崖を駆けのぼっていた。
くるりときびすを返した狩人の少女は、岩盤を蹴って跳躍し、その場に居残っていた男の顔面を蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた男は背中から地面に落ち、狩人の少女はひらりと舞い降りた。
そこには、3名の狩人が待ち受けている。最初に滑落した男も、痛手を受けた様子もなく立ちはだかっていた。
誰も刀を抜こうとはしない。
投石具を携えていた男も、それを地面に放り出していた。
しかし、狩人の少女を取り囲んでいる男たちは、全員が長身であった。もっとも小柄である男でも、狩人の少女よりも頭ひとつ分は大きいようである。
狩人の少女はそれでも怯むことなく、手近な男に飛びかかった。
のばされた両腕をかいくぐり、その横面に掌打を叩き込む。
男はそれで、呆気なく昏倒した。
残りの2名は、前後から狩人の少女につかみかかる。
いったん屈んだ狩人の少女は、地面を蹴って空中に舞い上がった。
そうして前側から迫っていた男の顎を下から蹴り抜くと、空中で身をよじり、後方の男のこめかみを蹴る。
男たちは順番に倒れ伏し、それぞれ苦悶のうめき声をあげた。
そこに、狩人の少女の凛とした声音がかぶせられる。
やはり感情を殺した声音であったが、そこには並々ならぬ気迫がみなぎっていた。
その言葉を聞いていた魔女ラクーシャが、一行を振り返る。
「魔女の一行、族長筋たる自分、案内してきた。それ、害を為す、族長筋への無礼である。……彼女、そのように言っています」
「ふん。荒っぽいやり口じゃ。あれでは我に粛清されたほうが、よほど安楽じゃったろうな」
「えー? お師匠さんは魔術を使えないのでしょう? あんなお強そうな狩人さんたちを粛清するすべなどあるのでしょうか?」
フィリアが不思議そうに問いかけると、魔女エマは「ふふん」と鼻を鳴らした。
「我らはあらゆる薬草と毒草の扱いに長けておる。たとえ聖域の狩人らが相手であっても、一瞬で眠らせることなど容易いわい」
「ほうほう。ならばさきほどの熊さんたちも眠らせてしまえばよろしかったのでは?」
「たわけ。聖域に外界の存在を持ち込むのは、なるべく控えるべきであるのじゃ。我の調合した毒薬には、この地では採れぬ毒草もたんと使われておるのじゃからな」
「ふむふむ! それでもお師匠さんは、わたしを守るためには毒薬を使うもやむなしと考えてくださったのですね!」
フィリアが笑みくずれながら顔を近づけようとすると、魔女エマは手の甲でそれを押しのけた。
「おぬしなんぞのためではなく、我の誇りを守るためじゃ。我の弟子に害を為すというのは、我への敵対行為に他ならないのじゃからな」
「つまり、わたしとお師匠さんは一心同体ということですね!」
「ええい、その気色悪い笑みを引っ込めんか!」
そうして魔女エマがわめき散らしたとき、狩人の少女が戻ってきた。
その後ろから、4名の狩人たちも追従している。完全に昏倒してしまった1名は、左右から仲間に抱えられていた。
「無礼、謝罪する。許し、もらえるか?」
そのように述べたのは、狩人の少女であった。後ろの4名も無表情であるが、どこか悄然とした様子である。
「ふん。おぬしらが石の都の住人を忌避する心情は、よくわかる。我とて、おぬしらの同胞なのじゃからな。しかし、その同胞たる我の言葉は、どうか軽んじないでほしいものじゃぞ」
「私、同感。この者たち、浅慮」
そのように言いたててから、狩人の少女はとても静かな目で魔女エマを見つめた。
「ただし、族長の言葉、絶対。族長、その者、敵、見なしたら、私、刀、抜く」
「うむ。そのような行く末が訪れぬことを祈るばかりじゃな」
「では、案内、再開する」
狩人の少女は一礼し、何事もなかったかのように歩き始めた。
一行がそれを追いかけると、4名の狩人たちもとぼとぼとついてくる。どうやらそのように命じられているらしい。すらりと背の高い狩人たちが悄然としているさまは、どこか哀れげであった。
それから、一刻ばかりも歩いたのちだろうか。延々と続いていた岩場の道も、ようやく終わりを迎えた。
切り立った断崖はじょじょに低くなっていき、また黒みがかった針葉樹林に視界が閉ざされる。その中に足を踏み入れて、さらに半刻ばかりも歩くと、ついに聖域の民の集落であった。
フィリアは「うわあ」と顔を輝かせながら、視線を巡らせる。
そこは、ごく原始的な様式で築かれた集落であった。寄せ集めた木を蔓草でくくった、家屋とも呼び難いものが密集している。それらの家屋ならぬ家屋に囲まれた空間の中央が広場になっており、そこで大勢の聖域の民たちがそれぞれの仕事に励んでいたのだった。
ある者は毛皮をなめし、ある者は熊の肉を干し、ある者は平たい石の上で豆を挽いている。それらの人々は誰もが青色の髪と肌をしており、頬や手の甲に灰色の紋様を刻まれていた。
「ここ、待つ」と言い置いて、狩人の少女は集落に踏み入っていく。4名の狩人たちも、その後に続いた。
やがて一行の存在に気づいた人々が、仕事の手を止めて振り返る。
誰もが、仮面のような無表情であった。
それが、東の一族の習わしであったのだ。
背の高い男たちや、やや小柄な女たち。さらに小さな幼子など、さまざまである。ただ、あまり年を取った人間はいないようだった。
「ふむふむ。やっぱり幼子というのは可愛いものですねー。にこりともしないのが惜しいところですけれども、みんな東の魔女さんみたいにその内には熱い情念を秘めているのかと思うと、微笑ましく感じてしまいますー」
「はい。恐縮です」
「でもでも、やっぱり魔術師の一族とは思えない暮らしぶりでありますねー。これが、眠れる大地と一体化するということなのですかー」
「はい。その通りです。……他に何か、気づきましたか?」
「他に何か? そうですねー……あ、些細なことですけど、ひとつだけ! 殿方はすらりとした御方が多いのに、幼子たちはみーんなちっちゃいみたいですね」
そんな風に述べてから、フィリアは「うむむ?」と首を傾げた。
「それに、なんというか……年を召された御方ほど背が高く、若い御方ほど小柄であられるような……ここまでわたしたちを案内してくれたあの御方も、わたしよりちょっぴり小さいぐらいでしたものね。東の民というのは男女問わず、総じて長身であると聞き及んでいるのですが、これからぐんぐんと成長されていくということなのでしょうか?」
「いえ。聖域の民、肉体、縮んでいます。大地、生命力、捧げているゆえです」
「えー! それじゃあそのうち、みーんなちっちゃくなっちゃうのですか?」
「たわけ」と、魔女エマが口をはさんだ。
「この世に生を受けた人間の肉体が縮むことはない。ただ、代を重ねるごとに小さな子が産まれていく、ということじゃ。東の一族はもともと長身であるので、まだこのていどで済んでおるがな」
「ほへー。でもでも、お師匠さんが大人の姿に変化されるときは、すらりと背の高いお姿でありますよねー。あれはあくまで、お師匠さんの理想像なのです?」
「大たわけ。我は聖域で生まれた2代目の世代であるのじゃから、それほど肉体が縮む道理はないわい」
「あー、そっかそっか。お師匠さんは、数十年前に聖域を出て魔術師になられたのですものね。ということは、この場にいる誰よりも年を召しておられるということですかー」
すると魔女エマは、「いや……」と眉をひそめた。
「あの者などは、我よりも齢を重ねておるようじゃな。聖域でそこまで長きの生を得るとは、なかなかのものじゃ」
魔女エマの視線を追うと、狩人の少女が老女の手を引いてこちらに歩み寄ってくる姿が見えた。
その老女は、驚くほどに背が高い。左右をはさんだ男たちと同じぐらいの長身である。そして、その細面には老樹のように皺が寄っていたが、背筋は真っ直ぐのばされており、頭も毅然ともたげられていた。




