11 決死の戦い
2020.10/19 更新分 1/1
「作戦、変更、必要です」
迫り来る邪神の眷族の異形を見上げながら、魔女ラクーシャがそのように声をあげた。
「魔力の増加、厄介ですが、それ以上に、3体に分裂、厄介です。昨日の作戦、通用しない、思われます」
昨日の作戦とは、魔女エマ、フィリア、ジェラ、カーラの4名が囮となって邪神の眷族を引きつけ、その間に魔女ラクーシャとロムロムが守護の術式の補強に専念する、というものであった。
「そのために、あやつはわざわざ3体に分裂したのじゃろう。あやつの魔力にあらがえるのは、我とおぬしと愚鈍なる兎の3名のみと判じ、その全員を個別に相手取ろうという目論見なのじゃろうよ」
「はい。そうすれば、守護の術式、補強する猶予、ありません。他の妖魅、術式、打ち破り、人間の精気、吸われてしまうでしょう」
「では、こちらも逃げ回るのではなく、正面から相手取る他あるまいな」
魔女エマが不敵につぶやくと、カーラが「ちょっと待ちなよ!」とわめきたてた。
「アンタたち、アタシのご主人の忠告を忘れたのかよ? アイツは2日前の時点で、アンタたちと五分っていう見込みだったんだよ? それでアイツの魔力が5割増しだってんなら、ますます分が悪くなっちまうじゃないか!」
「うむ。勝算は三分といったところかの。相討ち覚悟でも勝てる見込みは薄かろう」
「だったら――!」
「案ずるな。それはあくまで、総力戦でやりあった際の見込みじゃ」
地べたを這いずる蜈蚣の妖魅どもを焼き払いながら、魔女エマは面白くもなさそうに笑った。
「まあ、おぬしたちは大いに案ずるべきなのかのう。おぬしたちが決死の覚悟を固めぬ限り、この戦いに勝ちの目はないのじゃ」
「いったい何だってんだよ! もったいぶってる場合じゃないだろ! 邪神の眷族はもう鼻先に迫ってるんだからさ!」
「何もややこしい話ではないわい。向こうが3体に分かれたのならば、こちらも同じ数に分かれて迎え撃つ、というだけの話じゃ」
押し寄せる妖魅を聖剣で斬り払いつつ、フィリアは「ふむむ?」と小首を傾げる。
「でもでも、それではけっきょく総力戦ですよね? 全員一緒で迎え撃つのと、何が異なるのでしょう?」
「こちらの戦力を均等に分ければ、勝算が薄いことに変わりはない。じゃから、あえて戦力を偏らせるのじゃ」
魔女エマの金色の瞳が、己の放つ炎を映して激しく燃えさかった。
「我と東の魔女が手を携えれば、3体に分裂した邪神の眷族の1体を滅殺するのは難しくない。ただしそれには、相応の時間がかかろう。その間、残りの2体をおぬしたちが引きつけておくのじゃ」
一瞬だけ、その場が静寂に包まれた。
それをすぐさま破ったのは、カーラである。
「なるほどね。アタシら従者とくそったれな弟子野郎の4人だけで、2体もの邪神の眷族を相手取れってわけかい。まったく、愉快な作戦を思いついてくれるもんだよ」
「うむ。なおかつ、我と東の魔女が最初の1体を滅殺するまで、魂を返すことはまかりならん。それではけっきょく我らが2体を同時に相手取ることになり、勝ち目が薄くなってしまうからな」
「ははん!」と、カーラはせせら笑った。
「上等だよ! だけど、アンタたちこそきっちり始末をつけられるんだろうね?」
「1・5倍の魔力を身につけた邪神の眷族が、3体に分かれておるのじゃ。では、その1体ずつは昨晩の半分ていどの魔力しか携えておらんという計算になる。ならば、我らが後れを取ることはない」
「ふふん。吐いた唾を飲み込むんじゃないよ?」
言いざまに、カーラはその手の鎚鉾を口にくわえた。
次の瞬間、その姿が3色の輝き――赤、黄、緑の輝きに包まれる。
やがてその光が消えたとき、そこには1羽の巨大なる鳥が翼を広げていた。
「うわあ、南の従者さんの正体は、雷王鳥であったのですね!」
フィリアが弾んだ声をあげると、カーラは『ふふん』とまんざらでもないように鼻を鳴らした。
雷王鳥は竜亀と同じように、半ば伝説上の存在とされている聖獣である。その身は真紅の羽毛に包まれており、ところどころに黄と緑の羽毛が混じっている。とりわけ頭頂部の冠羽は、輝くような美しさであった。
『ひたすら逃げ回れって話なら、どうってことないさ! ひと晩中だって逃げ回ってやるよ!』
「うむ。しかし昨晩と同様に、行く先々で妖魅を相手取ることになろう。決してぬかるのではないぞ?」
『ふん! そいつを蹴散らすには、相方が必要だね』
ふわりと空中に羽ばたいたカーラは、足先の立派な鉤爪でロムロムの両肩をわしづかみにした。
「ふわあ」と驚きの声をあげるロムロムの身体が、軽々と空中に持ち上げられる。その姿を見て、フィリアは再び「うわあ」と感嘆の声をあげた。
「いいないいなー! わたしもお空を飛んでみたいですー!」
『ふん! 不浄の聖剣を振り回すくそったれな兎野郎を持ち運ぶなんて、御免だね!』
「では、邪神の眷族を退けた後に、お願いいたします!」
はしゃぐフィリアをよそに、魔女ラクーシャは真剣な眼差しで自分の従者を見つめていた。
「あなたたち、もっとも危険です。生命、落とさないこと、祈っています」
「お、おまかせください。僕たちがやられてしまったら、ご主人たちまで危険にさらされてしまうのですから、生命にかえても使命を果たすのです」
「ですから、生命、落とさないこと、あなたたち、使命です」
感情を見せない主人に向かって、ロムロムはふにゃりと笑い返した。
「了解したのです。ご主人も、どうか気をつけてほしいのです」
「おぬしたちもじゃぞ。決死の覚悟が必要であろうが、決して死してはならぬのじゃ」
魔女エマがじろりとねめつけると、フィリアよりも早くジェラが『承知しました』と応じた。
『この足が折れ砕けるまで、走り続けてみせましょう。お弟子様、妖魅の討伐はおまかせいたします』
「はいはーい! それに関しては、おまかせくださいませ!」
「では、行くのじゃ。おたがいの位置を把握しつつ、別々の方向に進むのじゃぞ」
魔女エマの声を合図に、ジェラは地を蹴り、カーラは宙に舞い上がった。
ジェラのくわえた鎚鉾から鬼火が生まれいで、それがぴったりと並走している。夜目がきかないフィリアへの配慮である。邪神の眷族の接近を待っている間に、地上はすっかり夜の闇に包まれてしまっていたのだ。
ジェラの逞しい首を左腕で抱え込みつつ、フィリアは「むふう」とおかしな声をあげた。
「この作戦なら、3体の邪神の眷族を各個撃破できるのではないでしょうか? 南の魔女さんの出番がなくなっちゃうかもしれませんねー」
『私は、そうは思いません。エマ様はあのように仰っていましたが、最初の1体を退治するだけでも莫大な魔力を削られてしまうはずです』
黒い矢のように地を走りながら、ジェラはそのようにつぶやいた。
左右に追いすがる妖魅どもは、フィリアが聖剣で薙ぎ払っていく。
『それに、最初の1体を退治した後は、守護の術式の補強も必要となりましょう。我々は、夜が明けるまで逃げ回る覚悟を固めておくべきかと思われます』
「はーい、了解であります! ……ふむふむ、邪神の眷族もこちらの動きに気づいたみたいですねー。3体のうちの1体が、こちらに接近してきたようですよー」
『では、いま少し力を絞ります』
地を駆けるジェラの速度が、ぐんと上昇した。
「うひゃー」と楽しげな声をあげながら、フィリアは聖剣を振りかざす。横合いの闇から飛び出した妖魅が、それで真っ二つに寸断された。
『フィリア様、行く手に大きな魔力を感じます。これを放置しては守護の術式が危ういので、討伐をお願いいたします』
「はいはい、承知つかまつりました!」
建物の間を通っていた路地を飛び出すと、眼前に蟷螂の妖魅が出現した。
ジェラは駆けてきた勢いのままに、跳躍する。目の前に迫った妖魅の首を、フィリアは聖剣のひと振りで断ち斬った。
妖魅は断末魔をあげる間もなく、消滅する。
ジェラの背で、フィリアは「よーしよし」と満足げな声をあげた。
「あれぐらいの妖魅だったら、わたしたちだけで難なく倒せるようになってしまいましたねー。これはなかなかの成長っぷりではないでしょうか?」
『……フィリア様がふるっているのは、我々が禁忌とする不浄の武器ですけれどね』
「あー、そうでしたそうでした。いつかは魔術師としての力でこれぐらいお役に立ちたいものですー。……うわおう!」
フィリアの奇っ怪なわめき声に、ジェラはびくりと背を震わせる。
『な、何事でしょうか? 奇声を発するのはおつつしみください』
「いや、いま小さな蛾みたいな妖魅が横から飛びかかってきたのです。邪神の眷族にはまだ追いつかれていませんけれど、攻撃の射程内に入ってしまったみたいですねー」
『そうですか……それは厄介ですね』
「いえいえ、これぐらいなら対応可能ですー。従者さんのお背中はきっちりお守りいたしますので、ご安心を!」
『ですが、あちこちに小さからぬ妖魅の気配が出現しているのです。このままですと、いずれすべての逃げ道をふさがれてしまうやもしれません』
そうしてジェラは、意を決したように言葉を継いだ。
『もっとも手薄だと思われる場所を突破します。それでも複数の妖魅が待ちかまえているはずですので、くれぐれもご用心を』
「はいはい。了解で――」
と、フィリアは途中で言葉を呑み込むことになった。
凄まじい勢いで地を駆けていたジェラが、横転したのだ。
フィリアは「うきゃー!」と叫びながら、ジェラの首を抱きすくめた。
何度か地面を転がってから、ふたりの身体は家屋の壁に叩きつけられる。
「あいたたた……だ、大丈夫ですかー、従者さん?」
『申し訳ありません……地中から這い出した妖魅に、足を噛み破られてしまったようです……』
「え? 従者さんは、そういう気配を避けながら走っているというお話ではありませんでしたか?」
『そのつもりであったのですが……邪神の眷族が、なんらかの手管を使ったのでしょう。気配も何もない場所から、妖魅が出現したのです』
ジェラは、ふらふらと身を起こした。
『さあ、お乗りください……同じ場所に留まるのは、危険です……』
「でもでも、地中から這い出してきたってことは、あの蜈蚣みたいな妖魅でしょう? あの妖魅は毒を持っているというお話ではありませんでしたか?」
『そうだとしても、私たちのやるべきことに変わりはありません……私は、使命を全うしてみせましょう……』
「駄目です」と、フィリアは立ち上がった。
「お師匠さんから、解毒とか癒やしとかの秘薬をお預かりしているのですよね? まずは、それでお身体を治してください!」
『そのような猶予はありません……解毒の秘薬が効果を表すには、短からぬ時間が必要となるのです……邪神の眷族は、もうすぐそこまで迫っているのですよ……?』
「少しぐらいの時間は稼げます。わたしは不浄の聖剣の使い手なのですからね!」
フィリアは兎の顔で陽気に笑った。
「従者さんの毒が抜けたら、大急ぎで逃げ出しましょう! まだまだ先は長いのですから、万全を期すべきかと思われます!」
ジェラはしばらく無念そうにうめいていたが、やがて人間の姿に変じた。
そうして懐から硝子の瓶を取り出し、その中身を口にしようとしたところで、ハッとしたように身を強張らせる。
「変化の術式が、解けています……これには、エマ様のお力が必要であるはずなのに……」
ジェラは、その顔までもが美麗なる人間の顔に戻っていたのだった。
その白い面に、節くれだった赤い血の筋が浮かび始める。
ジェラは悲鳴まじりの声をあげて、その場にうずくまってしまった。
「じゅ、従者さん、大丈夫ですか?」
闇に向かって聖剣をかまえていたフィリアが、慌ててそちらを振り返る。
街路に這いつくばったジェラの肉体は、みしみしと音をたてながら、再び黒き狼へと変じていった。
『今度は、人化の術式が……この毒は、私の魔力を喰らっているのか……?』
「ど、どういうことでしょう? これまでとは違う毒ということでしょうか?」
『いや……あの毒に犯された人間は、眠りの魔術を弾き返すという話でした……ならば、私の身に宿った魔力に、強い拒絶を示している可能性が……』
そこまで言って、ジェラは『げふっ』と血の塊を吐いた。
『申し訳ありません……どうかフィリア様だけでも、使命を……』
「駄目ですってばー! 従者さんって案外、すぐに気弱になるところがありますよね!」
フィリアはその場に屈み込み、街路に転がっていた硝子瓶を拾いあげた。
「だいたい、わたしの足で邪神の眷族から逃げきれるわけがないでしょう? お師匠さんから託された使命を果たすには、わたしたちふたりの力が必要なのです! さ、このお薬をお飲みください!」
『しかし……もしもこの毒が魔力に拒絶を示しているのなら……解毒の秘薬を口にすることで、より危険な事態を迎える可能性も……』
「では、秘薬を口にせずに助かる見込みがあるのでしょうか?」
『それは……ないかと思われます……』
「では、飲むべきです。わたしが従者さんのお立場でしたら、迷わず飲みほします」
フィリアはその手の硝子瓶をジェラの口もとに突きつけた。
その瞳には、フィリアらしからぬ真剣な光が宿っている。
それを力なく見上げていたジェラは、やがてのろのろと口を開いた。
「それでいいのです」と、フィリアは硝子瓶の中身をジェラの口に投じた。
ジェラの大きな身体が、びくんと痙攣する。
ジェラは悲痛な声をあげ、鋭い爪で街路を掻きむしった。
「こらえてください! 従者さんは生き抜かないといけないのです! それがお師匠さんから託された使命なのですよ!」
フィリアは立ち上がり、頭上の闇をにらみすえた。
「なんとしてでも、使命を果たしましょう! わたしもなけなしの力を振り絞る所存です!」
天空は、暗黒に包まれている。
しかしそれは夜の闇ではなく、邪神の眷族の禍々しき巨体であった。




