1 嵐の前
2020.10/9 更新分 1/1
「うぬぬぬぬ……」
魔女エマの住処の厨房にて、フィリアはひとりでうなり声をあげていた。
かまどとして使われている石板の前に屈み込み、その下に設置された水晶の塊を見つめている。その顔には、かつてないほどに真剣な表情が浮かべられていた。
そして、そんなフィリアの姿を、厨房の入り口から魔女エマとジェラが覗いている。フィリアの奇矯なる行いに、主従は困惑の色を隠せずにいた。
「のう、ジェラよ。あやつはいったい、何をうなっておるのかのう」
「はい。私にも皆目見当がつきません」
「まさか、厨房と厠を取り違えているわけではなかろうな?」
「まさか、いくらフィリア様でもそこまで迂闊ではないと……信じたいところであるのですが……」
「うむ。あやつは信頼に値しない存在であるから、ちと不安じゃのう」
「不安ですね」
「頭蓋と脳髄の隙間に虫でもわいてしまったのかのう。どうせあやつの脳髄など石ころぐらいの大きさしかないのじゃろうから、虫でも何でもわき放題じゃ」
「そのように恐ろしい病魔が存在するのですか?」
「知らん。しかし、あやつならありえそうじゃ」
「ありえそうですね」
「うむ。苦しんで死ぬ前に我らの手で楽にしてやるのが、慈悲というものかのう」
「しかしそれでは、私たちの魂が穢れてしまうのではないでしょうか?」
「いや。あやつもあれで、我と主従の誓約を交わした身であるのじゃ。弟子の苦しみを取り除いてやるというのも、師匠の役割なのであろうよ」
「エマ様の慈悲深さには、胸が打ち震える思いです」
「では、やるか」
「はい。どのように始末をつけましょう?」
「そうじゃな。なるべく苦しまぬよう、おぬしの爪で咽喉笛を掻き切ってやるがよい」
「いえいえ、エマ様の魔術であれば、一瞬で魂を返すこともかないましょう」
「いやいや、このような些事で魔力を無駄につかうことはできん」
「いえいえ、お弟子の一大事であるのですから、些事ではないように思います」
「いやいや、あんな不肖の弟子のために魔力を使うのはまっぴらじゃ」
「それを言うなら、私だってフィリア様の血などで手を汚したくはありません」
「ではいっそ、縄でも使ってくびり殺すか」
「それは妙案です。でも、それでは苦しみ抜いた上で魂を返すことになるのではないでしょうか」
「かまわんじゃろう。あやつがいくら苦しんだところで、我の胸はこれっぽっちも痛まんわい」
「ちょっとー!」と、フィリアが猛然と身を起こした。
「あのですねー、どうしておふたりはわたしを抹殺する手段を嬉々として考案しておられるのでしょうか??」
「嬉々としてなどはおらん。苦渋の決断じゃ」
「いーえ! 完全に楽しんでいました! 笑いを噛み殺している気配がひしひしと伝わってきましたもの!」
そのように述べたててから、フィリアは「もー!」と腕を組んだ。
「おかげで、集中が乱れちゃったじゃないですかー! もう少しで火の魔術を発動できたかもしれないのにー!」
「やっぱりおぬしは、そのようにたわけたことを考えて、糞詰まりの兎みたいにうなっておったのじゃな」
小馬鹿にしきった面持ちで、魔女エマはそのように言い捨てた。
「いまだ精霊の声を聞くこともできぬおぬしに、魔術を発動できるわけがなかろうが? やっぱり頭に虫でもわいておるのではないか?」
「でもでも、わたし、精霊王さんのお力に触れることができましたから! この勢いで、魔術の才能が一気に花開く可能性もあるのではないでしょうか?」
「ない。微塵もない。天地がひっくり返ろうとも、ない」
「あうう、一刀両断の滅多切りですー」
「当たり前じゃろ。それが、この世の摂理というものじゃ。魔術の道に、近道などは存在せぬと心得よ」
「でもでも、わたしは1日も早く立派な魔術師になりたいのですー! 何か、その手立てを伝授してくださいませんかー?」
「手立てと言われてものう」
そこで魔女エマは、ぽんと手を打った。
「おお、ひとつ思いついたぞ」
「何でしょう!? ぜひぜひご伝授くださいませ!」
「いや、しかし……おぬしにこのような荒行を課すのは、さすがの我でも胸が痛んでしまうのう」
「どのような荒行でも、わたしは乗り越えてみせましょう! 炎に飛び込めというのなら飛び込みます! 池の水を飲み干せというのなら飲み干します!」
「そのような真似をしても、意味はあるまい。おぬしはまず、魔力に感応しやすい肉体というものを手にしなければならないのじゃ。ましてやおぬしは、不浄の存在に囲まれて育った、石の都の住人であったのじゃからな。まずはその身を清浄に保ち、不浄の存在を遠ざけるべきであろう」
しかつめらしい表情で、魔女エマはそのように言葉を重ねた。
「その手始めとして、まずは俗世の食事を遠ざけてみてはどうじゃろうかな」
「俗世の食事……と申しますと……?」
「肉や魚や山菜のことじゃ。それらの食事を遠ざけて、『魔女の正餐』のみを食しておれば、その身の不浄が薄まるやもしれん」
フィリアは、木造りの床にがっくり突っ伏した。
「それで……立派な魔術師になれるのでしたら……見事、やりとげてみせましょう……」
「泣くほどにつらいか」
「泣くほどにつらいです……」
「おお、本当に泣いておるわ。見よ見よ、ジェラ。まるで幼子のようじゃのう」
「エマ様、おたわむれが過ぎるのではないでしょうか。さすがに私も胸が痛くなってきてしまいました」
「かまわんじゃろ。普段はこちらがさんざん頭を悩まされておるのじゃから、せめてもの意趣返しじゃ」
魔女エマは、べーっと舌を出した。
その間も、フィリアはぽたぽたと床に涙をこぼしている。
「それでは、さきほどの朝食が、わたしが口にする最後の食事となるわけですね……従者さん、美味なる食事をありがとうございました……わたしが魂を返すその日まで、あの味を忘れることはないでしょう……」
「あ、いえ、フィリア様」
「兎の肉の炙り焼き、美味しゅうございました……川魚と山菜の汁物料理、美味しゅうございました……石の都で口にしたどのような料理よりも、従者さんの作ってくださった食事は美味でした……」
「ですから、その」
「これからは、『魔女の正餐』を美味だと思えるように、励みます……きっとそのときこそ、わたしは魔術師として開花することができるのでしょう……それを思えば、このていどの苦難は……ぐすん……何ほどのものでもございません……」
ジェラはおもいきり眉を下げながら、すがるように魔女エマを見つめた。
魔女エマは燃えるような赤髪をわしゃわしゃとかき回しつつ、溜め息をつく。
「あー……いまのは、冗談じゃ」
「……はい、何でしょうか、お師匠さま?」
「我らが口にしておるのは俗世の食事じゃが、いずれもジェラが正しき作法でこしらえた食事であるのじゃ。それを口にして身が穢れることなど、ありえんわい」
「……では、さきほどのお言葉は……?」
「じゃから、冗談じゃ。そもそも我らとて、数十年前までは野に生きる民として、ああした食事を食べ続けておったのじゃぞ? それで身が穢れるなら、こうして魔術を体得することもできなかろうが?」
フィリアは力なく顔をあげて、涙に濡れた瞳で魔女エマを見つめた。
「わたしは……これで悲願がかなうのならと、決死の思いで覚悟を固めたのですけれど……」
「大仰じゃの。ちょっと考えれば、冗談じゃとわかるじゃろうに」
「それに……お師匠さんがお師匠さんとして、わたしに進むべき道を示してくださったことが……心から嬉しかったのです……」
「そ、そのような目で我を見るな! なんじゃ、ジェラまで! また我に謝罪を要求しようという心づもりか!?」
そのとき、どこからともなくコンコンという軽妙な音色が響きわたった。
使い魔か客人のどちらかが、入室を求める合図である。
虚空に目をやった魔女エマは小首を傾げてから、フィリアに向きなおった。
「ともあれ、おぬしが魔術を体得するには、魔力に感応しやすい肉体を作りあげるしかないのじゃ。まずは、精霊の存在を感知できるように、お次は精霊に自分の意思を伝えられるように、じゃな」
コンコン。
「はあ……申し訳ありませんけれど、いまはまだお師匠さんのお言葉がうまく理解できません……さきほどの衝撃が、わたしの心を木っ端微塵にしてしまいましたもので……」
コンコン。コンコン。
「じゃから、大仰じゃというのに! おぬしとて、普段は軽口ばかり叩いておるではないか! どうして我ばかりが責めたてられなければならないのじゃ!」
コンコン。コンコン。コンコン。
「確かにわたしは軽口ばかりを叩いておりますけれど、お師匠さんを傷つけようなどと考えたことは、1度としてありませんでした……それでも、これまでのわたしがお師匠さんを傷つけるような言葉を吐いてしまっていたのなら、心からのお詫びを申し上げさせていただきます……」
コンコンコン。コンコンコン。
「な、なんじゃ、殊勝なことを言いだしおって! 遠回しに、我を責めておるのじゃろうが?」
コンコンコン! コンコンコン!
「あの……お客人に返事をしてあげないのですか? 気が散って、お師匠さんをうまく責めたてられないのですが」
「やっぱり責めたてておったのじゃな!」
魔女エマが、憤慨した様子でわめき声をあげる。
その間も、外界からの呼びかけは執拗に続いていた。
「どうされました、エマ様? これはいったい、誰が入室を願っているのでしょう?」
ジェラもいぶかしげに問いかけると、魔女エマはまた虚空をにらみつけた。
「南の果てのうつけ者が、使い魔などを寄越してきおったのじゃ。このような礼儀知らずに入室を許す気にはなれんな」
「南の果てというと、《火の山の魔女》ですか。従者ではなく使い魔などを寄越すとは、確かに礼を失した行いでありますね」
すると、フィリアが弾かれたような勢いで立ち上がった。
「南の魔女さんからの使い魔さんですか? わたし、お会いしてみたいですー!」
「なんじゃ、いきなり元気になりおって。このような礼儀知らずは、相手にする価値もないわ」
「でもでも、急を要するお話かもしれないじゃないですか! それより何より、わたしは色んな魔女さんとお近づきになりたいのです!」
フィリアは長衣の袖で顔中の涙をぬぐうと、魔女エマににっこりと笑いかけた。
「わたしのご機嫌を回復させる、絶好の機会ですよー! 可愛い可愛い一番弟子の心を深く深く傷つけた一件をうやむやにできるなら、お師匠さんにとっても願ったりではないですかー?」
「その言い分には微塵も賛同できんが、しかしこうまでやかましくされては迷惑きわまりないの」
魔女エマは鼻のあたりに皺を寄せながら、くるりときびすを返した。
「よかろう。礼儀知らずに礼儀を叩き込んでくれるわ。おぬしたちも、こちらの部屋で控えるがよい」
「はーい! うやむや成功、おめでとうございます!」
「やかましいわ! ……ジェラ、いちおう用心しておくのじゃぞ」
厨房から魔女エマの部屋に戻ったジェラは、「はい」とうなずきつつ、フィリアに寄り添った。その長身をきょとんと見上げてから、フィリアは「ああ」と破顔する。
「そっかそっか。南や北の魔女さんは、わたしを疎ましく思っているかもしれないというお話でしたねー」
「はい。使い魔ごときがエマ様の結界で悪さをすることはできませんが、いちおうの用心です」
魔女エマは長椅子に腰を落とし、壁の蔓草が差し出した杖を握りしめる。
そうしてフィリアとジェラが長椅子のかたわらに並ぶのを待ってから、魔女エマは「入れ」と宣言した。
それと同時に、けたたましい羽音が振り注いでくる。
黒くて巨大な、蝙蝠である。その蝙蝠は部屋中をばさばさと飛び交ってから、3名の眼前に着地した。
『ずいぶんもったいぶってくれたねえ、《針の森の魔女》! この世でもっとも偉大なる魔術師からの使いを締め出すなんて、アンタもずいぶん偉くなったもんじゃないか!』
「おぬし……」と、魔女エマはいっそう険悪な顔になった。
「おぬしは《火の山の魔女》ではなく、あやつの従僕じゃな。どうして従僕ごときが使い魔を使役して、我と言葉を交わしておるのじゃ。礼儀を知らぬにもほどがあろう」
『舌足らずな声で、しゃらくさいことを言ってんじゃないよ! アンタは黙って、アタシの大事なご主人からのお言葉を拝聴してりゃあいいのさ!』
蝙蝠は敷物に足をついたまま、威嚇するように翼をはためかせる。
蝙蝠としては、これといっておかしなところのない姿であるが――その蝙蝠は頭の天辺に羽飾りのごとく真紅の羽を1枚だけぴんと生やしており、その瞳には明確なる知性と悪意を宿していたのだった。




