6 精霊王
2020.10/8 更新分 1/1
妖魅の首魁を討ち倒し、森の穢れを浄化した魔女エマの一行は、いよいよ精霊王と対面を果たすことになった。
魔女エマの魔術でもとの位置まで転移して、改めて徒歩で森を突き進む。その間、ニケアの花弁を胸に押し抱いたフィリアは、ずっとぐしぐしと鼻をすすっていた。
「そら、しゃっきりせんかい。精霊王は、もう目の前じゃぞ」
「はい……精霊王さんも、人間の姿をしておられるのですか?」
「馬鹿を抜かすな。どうして精霊王ともあろう存在が、人間なんぞの姿に身をやつさなければならんのじゃ」
怒った声で言いながら、魔女エマはずかずかと歩を進めていく。
「精霊王とは、この地に満ちる精霊の力の根源じゃ。その力すら感知できぬようであれば、魔術の世界に生きることなどすっぱりあきらめるべきじゃろうな」
フィリアはとぼとぼと歩きながら、返事をしようとしなかった。
最後尾を歩いているジェラは、その姿をとても心配そうに見つめている。
そうして先頭を歩いていた魔女エマは足を止めると、前方に杖を突き出した。
「到着じゃ。精霊王に、おぬしの資質を問うてみるがよい」
フィリアはぼんやりと面を上げた。
赤く泣きはらしたその目が、やがて大きく見開かれていく。
一行の眼前に現れたのは、1本の大樹であった。
しかし、途方もない大きさである。その幹は、人間が10人がかりでも囲えないほどの太さを有しており、こんもりと重なった枝葉などは、天蓋のように空を覆ってしまっていた。
だが、その場は光に満ちている。枝葉の隙間から差し込む木漏れ日が、それこそ光の精霊のように世界を彩っていた。
息を呑むほどに、美しい光景である。
フィリアは夢遊病者のごとき足取りで、魔女エマのかたわらまでふらふらと進み出た。
「これが……精霊王さんなのですか……?」
「うむ。これが精霊王であるのじゃ」
フィリアの目は、大きく見開かれたままである。
やがてその目は、再び涙をこぼすことになった。
「なんだか……すごいです」
「うむ? 何がすごいのじゃ?」
「わかりません。言葉でうまく説明することができないのです。でも……これが精霊の力というものであるのですね」
フィリアは涙に濡れた顔で、魔女エマに笑いかけた。
魔女エマは、「ふん」と鼻を鳴らす。
「さっぱり要領を得んの。我に破門されることを恐れて、適当なことを述べたてておるだけなのではないのか?」
「そんなことはありません。もちろんわたしなんて、精霊王さんのお力にただ圧倒されているだけなのでしょうけれど……このお力を正しく感じ取れるようになりたいと、心の底からそのように思います」
魔女エマは小さく肩をすくめつつ、ジェラのほうを振り返った。
「では、ジェラの傷を癒やすとするかの。さっさと傷口を見せてみい」
「はい。ありがとうございます」
ジェラは魔女エマに背を向けて、緑に覆われた地面に膝をついた。
そうして黒い毛皮の外套を脱ぎ捨て、黒い長衣をはだけると、白い右肩に刻みつけられた傷口があらわになる。
魔女エマは無言で、杖の先端を傷口に近づけた。
とたんに、杖の先端からこぼれ落ちた玉虫色の輝きが、右肩の傷口に浸透していく。
しばらくして魔女エマが杖を下ろすと、赤黒い傷口は跡形もなく消え去っていた。
「すごいですねー。これも精霊王さんのお力ということですか」
「うむ。この地は世界でもっとも魔力に満ちあふれた場所のひとつであるからな。この地が瘴気に覆われてしまっては、石の都にとっても大きな災いとなろう」
「石の都はこの際どうでもいいですけれど、こんな清浄な地が瘴気に覆われてしまうなんて、そんなことは絶対に許せませんね!」
頬にあふれた涙をぬぐいながら、フィリアはにこりと笑った。
その笑顔を横目で見やりつつ、魔女エマは杖をフィリアに突きつける。
「それで、おぬしはいつまでそのようなものを、後生大事に抱え込んでおるつもりなのじゃ?」
「え? ニケアの花のことですか? これはどうにかして、弔ってあげたいと考えていたのですけれど……」
「あやつは魂を返したわけではないし、人間が精霊を弔うことなどできようはずもない。散った力は、精霊王に返すがよい」
フィリアはきゅっと眉を寄せながら、魔女エマの姿を見つめ返した。
「それが、魔術の世界の習わしであるのですか?」
「それが、魔術の世界の習わしであるのじゃ」
フィリアは握った拳をもう1度胸にかき抱いてから、決然とした面持ちで精霊王たる大樹に向きなおった。
そうしてそちらに手を差しのべて、握った拳をゆっくり開くと――どこからか吹いたゆるやかな風が、細かく千切れた水色の花弁を宙にさらった。
「あ……」
驚くフィリアの目の前で、水色の花弁はひらひらと躍り、木々の向こうへと消え去っていく。
フィリアはぐっと歯を食いしばってから、そちらに向かってぶんぶんと手を振った。
「さようならー! いつか立派な魔術師になって戻ってきますから、そのときはまたおしゃべりしてくださいねー!」
「ふん。おぬしの声は精霊に届かぬと、なんべん言うたら理解できるのじゃ?」
「いいんです! 気持ちの問題なのですから!」
魔女エマを振り返り、フィリアは無邪気な笑顔をこしらえた。
ただその目もとには、またうっすらと涙が浮かんでしまっている。
「立派な魔術師になりたいというわたしの気持ちは、いっそう強まることになりました! これからも、ごしどーごべんたつのほど、よろしくお願いいたしますね、お師匠さん!」
「ふん。いつまでおぬしが笑っていられるものか、見ものじゃな」
魔女エマはにやりと笑ってから、その手の杖を頭上に振りかざした。
「それでは、帰るとするかの。今日こそは、秘薬の調合を片付けねばな」
「えー? わたしの修行をしてくださるのではないのですか?」
「じゃから、魔力を感知できるようになるまでは、修行もへったくれもないと言うておるじゃろうが。ものを覚えぬ脳髄じゃな」
魔女エマはさっさときびすを返し、ジェラもそれに追従する。
それを追いかけようとしたフィリアは、ふっと背後を振り返った。
精霊王たる大樹は、さきほどまでと変わらぬ様子で、静かにどっしりとたたずんでいる。ただその根もとには、小さな水色の色彩がぽつんと、新たに宿されたようだった。




