5 竜と大牛
2020.10/7 更新分 1/1
森の樹木を薙ぎ倒しながら、その妖魅は魔女エマたちの前に立ちはだかった。
途方もなく巨大な妖魅である。何本もの樹木がねじれあって結合し、そのおぞましい巨体を作りあげている。その形状は、巨大な角と4本の足を持つ、大牛さながらの姿であった。
「うわあ、ちょっとした家ぐらいの大きさですね! お師匠さん、本当に大丈夫なのですかー?」
「我を、誰だと思っておるのじゃ?」
魔女エマは頭上に杖を掲げると、それを手の先でくるくると旋回させた。
巨大な竜巻が生まれいで、それが天空でのたうち回る。それはまるで、巨大な蛇――否、伝説に聞く竜そのものの姿であった。
「これだけ見晴らしがよくなっても、日の光のひとつも差し込まぬか。このあたりはどっぷりと瘴気に包まれておるようじゃな」
吹き荒れる暴風の中に、嘲笑をはらんだ魔女エマの声が響いた。
「このようなものは、綺麗さっぱり浄化してくれよう。もといた闇に返るがよいぞ、妖魅よ」
魔女エマが、大きく杖を振り払った。
それに呼応して、暴風の竜が樹怪の大牛に躍りかかる。
一行のたたずむ場所は台風の目のごとき静けさを保っていたが、その周囲では次々と樹木が薙ぎ倒され、ちぎれた枝葉が宙に舞い、この世の終わりのごとき様相を現出させていた。
「ふわあ、森さんがめちゃくちゃですけど、これ、大丈夫なのですかー?」
フィリアの問いに「はい」と答えたのは、水色の髪の精霊であった。
「瘴気さえ根絶させれば、この地には精霊王の力が満ちます。数日の内には森の実りが蘇ることでしょう」
「そうですかー。精霊王さんっていうのは、すごいお力を持っておられるのですねー!」
「はい。精霊王ですので」
そのとき、ジェラが片腕でフィリアの肩を押さえつけつつ、右手側に向きなおった。
「妖魅の気配が近づいています。フィリア様、ご用心ください」
「はいー。わたし、お邪魔じゃないですか?」
「はい。この位置であれば、エマ様からお借りした魔道具の力で――」
その瞬間、背後の樹木から垂れていた蔓草が、ジェラの首に巻きついた。
フィリアを残して、ジェラの身体が空中に吊り上げられる。
すかさず魔女エマが杖を振りかざすと、疾風の刃が蔓草を寸断し、ジェラの身体は地面に落ちた。
「木っ端妖魅はそこら中に潜んでおるのじゃから、油断するでない。そら、そこそこの力を持つ妖魅めも近づいておるぞ」
「は、はい。申し訳ありません」
ジェラが立ち上がり、フィリアのもとに駆けつけようとした。
しかし、それよりも早く出現した妖魅が、凄まじい勢いでフィリアに跳びかかった。
鋭いくちばしを持つ、鴉のごとき形状をした歩く樹怪である。
魔女エマは舌打ちして、再び杖を振り払った。
妖魅の身体は横から寸断され、翼の役を果たしていた葉が宙に弾け散る。
しかし、翼と胴体の下半分を失いながら、妖魅はなかなか消滅しなかった。
その鋭いくちばしが、フィリアの鼻先に迫る。
「きゃー!」と大きな悲鳴をあげて、フィリアは地面に倒れ込んだ。
しかし、自分の意思で倒れたわけではない。すぐ隣にたたずんでいた精霊が、横からフィリアに体当たりをしたのだ。
地面にひっくり返ったまま、フィリアは「ふいー」と息をついた。
「あ、ありがとうございますー。お目々をほじくられるかと思っちゃいましたー」
「はい。お怪我がないようで、何よりです」
フィリアの上にのしかかった精霊は、ぼんやりとした声でそう応じた。
そのぼんやりとした顔を見上げながら、フィリアは「あは」と笑い声をもらす。
「やっぱり精霊さん、いい香りですねー。わたし、ニケアの花の香りって大好きなんですー」
「そうですか」と応じながら、精霊は動こうとしなかった。
そこに駆けつけたジェラが、右手に握りしめた魔道具を振り下ろす。
精霊は激しく痙攣し、そのままぐったりとフィリアにもたれかかってきた。
「じゅ、従者さん? 精霊さんに、何をしたのですか?」
「精霊には何もしていません。妖魅を退治しただけです。……お怪我はありませんか、フィリア様?」
ジェラは切迫した面持ちで、フィリアの身体を引きずり起こした。
フィリアにもたれかかっていた精霊は、ごろりと地面に放り出される。
その胸もとには、赤い血のしみが広がっていた。
さきほどの妖魅のくちばしが、精霊の背中から胸までを刺し貫いていたのだ。
「せ、精霊さん! 大丈夫ですか!?」
フィリアはジェラの手を振り払って、精霊に取りすがった。
精霊はかぼそい声で、「大丈夫ではありません」と答える。
「どうして、こんな……精霊さんまで、わたしのことを庇う必要なんてなかったんですよー!」
「いいえ。《針の森の魔女》の同胞をお守りするのは、わたしの役割です。《針の森の魔女》は、精霊王をお救いしてくださるのですから……その恩義に報いなければなりません」
そのように語る口からも、赤い血の糸が滴った。
「も、もう喋らないでください! どんな傷でも、きっとお師匠さんが治してくれますから!」
「いいえ。この身は、もう限界です。あなたをお守りすることができて、わたしは……」
精霊の肉体が、白い光に包まれた。
その眩さに、フィリアは思わずまぶたを閉ざし――そして、次にまぶたを開いたとき、すでに精霊の姿はなかった。
地面に残されていたのは、無残に散乱したニケアの花の花弁のみである。
フィリアは呆然とした面持ちで、水色の花弁をすくいあげた。
そこに、おぞましい断末魔が響きわたる。
暴風の竜が、樹怪の大牛を粉々に打ち砕いたのだ。
魔女エマは「やれやれ」と首筋をさすりながら、フィリアたちのほうに向きなおった。
「思ったよりは、しぶとい妖魅じゃったの。そちらは大事なかろうな?」
「はい。こちらは無事ですが、ただフィリア様が……」
ジェラは困惑しきった面持ちで、フィリアのかたわらに屈み込んでいる。
魔女エマは「うむ?」と小首を傾げつつ、そちらに近づいた。
「おぬしは、何をやっておるのじゃ?」
地面にへたり込んだフィリアは、ゆっくりと魔女エマの姿を見上げた。
その目から、滝のような涙があふれかえる。
「おししょうしゃん……せいれいしゃんが、しんじゃいました……」
「な、何をいきなり泣いておるのじゃ。そやつは、自分の仕事を果たしただけじゃろうが」
「でもでも、せいれいしゃんがしんじゃったんですよー!? わたし、もっともっとおしゃべりしかったのにー!」
フィリアはその手の花弁を胸にかき抱くと、幼子のように「あーん!」と泣きじゃくった。
魔女エマは、ぎょっとした様子で小さな身体をのけぞらせる。
「あ、あのなあ、あやつは人間の形をしていたが、あくまで精霊であったのじゃ。精霊というのは個体ごとに魂があるわけではないのじゃから、そのように嘆き悲しむ必要は――」
「でもでもー! せいれいさんはいなくなっちゃったじゃないですかー!」
魔女エマは溜め息をつきながら、杖の先端で頭をかいた。
そして、その杖の先端を、こつんとフィリアの頭にのせる。
「もう1度言う。そやつは死んだわけではなく、精霊としてもとの姿に戻っただけのことであるのじゃ。その力はこの森に満ち、新たな芽吹きの助けとなる。そうしていずれは、また人間の姿を取ることもあろう」
フィリアはぐしぐしと鼻をすすりながら、涙のあふれる瞳で魔女エマを見つめた。
魔女エマは怒っているかのように眉をひそめながら、杖の先端を左右に動かす。
「あやつの存在を感知したければ、魔術師として精進せい。我に言えるのは、それだけじゃ」
「はい……しょーじんしましゅ……」
フィリアは嗚咽をこらえながら、その手の花弁をぎゅっと握りしめた。
魔女エマの杖はフィリアが立ち上がれるようになるまで、いつまでもその髪を撫で続けていた。




