03.己の身体
大和がひたすら太陽に向かって歩き続けてから早1時間経とうとしていたことだった。
「うーん、俺ってこんなに体力あったっけか? 汗一つかきやしねえし」
走っているわけでもなく、カンカン照りの日中でもないが、1時間も歩き詰めにもかかわらず疲れもしなければ汗一つもかかない己の体に疑問符を浮かべる。大和は決して貧弱と言うほどではないが、特別身体能力に優れると云う訳でもない。極普通の学生なのだ。
「キャラクタースペックがそのまま反映されてるのか? いや、現実的に考えてありえん。てか、そんな発想すること自体が俺もいわゆるゲーム脳ってやつに侵されているんかな?」
彼が途方もない疑問を考え続けるのはひとえに、歩き続けるのに飽きたからだ。荒野を当てもなく歩き続ける己の状況に変化を求めているのだ。
「だけど、非現実的って言ったらまさに今の状況にも言えるしなあ」
大和の姿を確認すると、青空戦記において一番長く着用している防具である黒と赤の甲冑である。足先から指先、頭部に至るまで完璧に覆われた黒い甲冑で、間接部や胸のプレート、ヘルメット部に赤いラインが走っており、見ようによっては不気味に映る。
全属性魔法ダメージ軽減、物理攻撃ダメージ軽減、フィールドによるネガティブダメージの無効化、バッドステータスの自然治癒などなどの効果を持つ最高級の防具である。加えて言えば、ヘルメットであるものの装備者がそれを意識することはない。外からだと中の人の顔は完全に見えないが、中からはまるでヘルメットなど被っていないかのように全包囲の様子が見えるようになっている。
実際、彼は最初ヘルメットを被っていないものだと思っており、頭を掻こうとしたときに初めて気づいたのだった。
大和は己の身体のことも不思議で仕方がないが、彼自身、この疑問の答えが欲しいわけではない。ようは暇つぶしなのである。そう考えると、彼はかなりの暢気で図太い性格の持ち主である。
「にしても、さすがに暑くなってきたなあ。疲れてはいないけど、なんか飲みもん欲しくなってきた」
夜明けから1時間経てば、太陽も高くなり、刺すような日差しを感じるようになってくる。荒野であることを考えれば、昼間になれば気温はかなり暑くなるだろうと云うことは簡単に予想がつく。そもそも彼は起きてから何も口にしておらず、空腹はまだ我慢できるが、喉の渇きは無視できないものになっていた。
「いつもなら今頃、ご飯と味噌汁を食べて麦茶をがぶ飲みしてるはずだしなあ。せめて水くらいないものか……。うおっ!?」
右手の掌に感じる冷たい感触に大和は思わず奇声を上げてしまう。
「な、なんだあ~!? 俺こんなもん持ってたっけか?」
彼が手にしているのは透明な液体に満たされたガラスの瓶であった。それもビール瓶のような形状で、なにやら細かい装飾が施されたものである。掌から感じる冷たさから鑑みるとたった今冷蔵庫から取り出したかのように中身が冷えていることが窺える。
「いい加減にしてくれよ~。これ以上訳わからん現象は自重してくれ……」
彼が不思議がるのも無理はない。彼は確かについさっきまで何も手にしていなかったし、こんな瓶にも見覚えはない。そして、気がついたら瓶を持っていた。まったく記憶にない瓶を。
「まてまて、俺。落ち着くんだ。これは神の思し召しに違いない。途方に暮れた俺を神様が不憫に思い、恵みとして……。すぐ近くに精神科のある病院があったら速攻で駆け込みたい」
大和は自分の精神がおかしくなっているんじゃないかと一抹の不安を抱きながら、改めていつの間にか手にしていた瓶を観察してみた。
「普通のガラスの瓶にしかみえんな。中に入ってんのは水かな?」
瓶に注目するとふと大和の脳裏にある単語が浮かんできた。
「【ラーベル湖の深宙水】? なんだって、青空戦記のスタミナ回復アイテムの名前が出てくるんだ? まあ、ゲームの中でみたアイテムと似てるって言っちゃあ似てるけどさあ」
それは大和もゲームでよく使用したアイテムだ。魔法は必要MP量がなければ使用できないのと同じように、必要スタミナ量がなければあらゆる行動制限がかかるシステムを青空戦記では採用されていた。剣士である大和はそれこそ大量のスタミナ回復アイテムをアイテムボックスの中に貯蓄していた。
「まさか本当にゲームの中と同じってことなのか? にしては青空戦記にこんな荒野のマップなんてなかったけどなあ」
青空戦記のマップのほとんどが山岳マップか海や湖などの自然豊かなものがほとんどであった。不毛な大地と云えるものは凍土くらいしかなかったものだ。
「本当に訳わかめ、だな。まあ、ちょうど喉も渇いてきたところだし、飲んでみっか」
得体の知れない液体をこんな状況下で飲もうとする彼はある意味大物かもしれない。実のところでは只単に警戒心や緊張感に疲れてしまって、あまり深く考えずに行動してしまっているだけである。彼は瓶の蓋-コルクなどではなく、瓶の材質と同じガラスの蓋ーを開け、ヘルメットの顎の辺りをはずし、迷うことなく瓶の中身を呷った。
「ゴキュッゴキュッ…。普通のミネラルウォーターの味だな。まあ、水道水とミネラルウォーターの違いもわからん水音痴だけれども」
一気に飲み干した瓶を片手に満足そうに大和は頷く。そもそもそれが本当にそれがスタミナ回復アイテムであったとしても、疲れを感じていない今の彼が飲んだところで意味がないのは明白である。しかし、喉を潤すことができた大和は少しだけ、気が楽になった。が、中身のなくなった瓶が彼の手の中で消滅していったのを見て、再び呆然とした。
「……俺はもう何が起きようと驚かねえ。今の俺ならどんな奇想天外だって受け入れてみせるぜ」
意味のない鼓舞で自身の精神の安定を図った。あまり効果があるようには見えないが。
「整理してみるか、俺が喉が渇いた水が欲しいと思ったら、ゲーム内の、たぶん俺のキャラクターが所持しているアイテムっぽいのが出てきた。で、使用したら消滅した。・・・訳わからん」
あまりの非常識な現象に如何に図太い大和も辟易した。しかし、立ち直りも速い彼は、すぐに次の行動へ移した。
「とりあえず、他のアイテムも取り出せるか試してみるか。そうだなあ、【迎滅剣オヴァーニャ】」
すると、彼の手に黒い刀身に緑色に文様が浮かぶグラディウスが現れた。それは彼が青空戦記の中で使用していた【迎滅剣オヴァーニャ】と寸分違いない剣であった。青空戦記の中で剣コレクターであった彼はその形状を事細かに覚えていた。
「間違いねえ。正真正銘のオヴァーニャだコレ」
彼はゲームの中で見慣れたその剣を注意深く、舐めるように観察し、刀身に触れたりしていた。彼はゲームの中のアイテムを実際に触れているのだと確信し、興奮した。
「ヒャッホー!! テンション上がってきたぜ~! 俺はもう満足だぞ~!」
誰にも届かぬ歓声は荒野の空に消えていった。しばらくして、落ち着きを取り戻した大和は他のゲームの中の要素がないか模索し始めた。
「とはいっても青空戦記のゲームシステムってあんまり多くないからなあ。スキルも補助系なものがほとんどだし」
う~ん、と悩んだ大和はゲーム内でよく使用していたスキルを使ってみることにした。
「《時感加速》」
それは感知演算速度を上昇させ、まるでまわりがスローになったように感じることができるスキルであり、近距離戦闘の多い彼がよく使っていたスキルの一つである。しかし、まわりに動くものがない荒野ではその効果を感じ取ることは難しい。
「チョイスを間違えた。もっと分かりやすいもので試してみるか。《武器属性添加・炎》」
大和の持っていた【迎滅剣オヴァーニャ】が熱を帯び、陽炎を生み出していた。
軽く振るうと、棒花火のように赤い光の帯を引いた。近くのサボテンを切りつけてみると、切り口から炎が上がり、瞬く間に炭化していった。残ったのは僅かな燃え残りだけだった。
「ゲームの中だとそんなに気にならなかったけど、結構危ないなこのスキル」
スキルを解除しながら、そう愚痴る。だが、これでゲーム内で使用できたスキルも問題なく使えることがわかり、少々不安が和らいだ。ゲームの中のものであろうと見慣れた現象があると云うだけでも彼の精神安定に大きく貢献した。
「そうだ。現実にあったら是非見てみたい剣があったんだよなあ」
それは青空戦記において幾多ある剣の中でも最も美麗と称された剣が彼のコレクションの中にある。彼は【迎滅剣オヴァーニャ】をしまおうと右往左往したが、戻れと念じればアイテムボックス内に戻ることをさらに発見してから、とある剣を取り出そうとした。
「【白銀剣リフィース】」
しかし、その呼び声は荒野に空しく響くだけでなんの効果も現さなかった。
「ん? おかしいな? 白銀剣リフィース ……んん? あ、もしかしてアイテムボックスに入っているアイテムと【変幻の鞘】に入っているアイテムとで取り出し方が違うんかな?」
そう言って大和は甲冑の腰に帯びている鞘を見た。装飾も何もない真っ白なそれには剣は収まってはおらず、ただ薄い隙間があるだけだった。
大和のようなヘビープレイヤーは常時アイテムボックスの中をポーションに代表される消費アイテムで占領されている。それ以外のジャンルのアイテムを大量に持ち運べるようにするには、アイテムボックスの要領を増やすか、あるいは別にアイテムを入れておけるアイテムを保持しておく必要がある。
そのようなアイテムの一つに【変幻の鞘】というアイテムがある。これは剣に分類されるアイテムしか入れることができないが、ほぼ無限の要領を持つ。剣コレクターであり、状況に応じて様々な剣を使い分ける大和には必須のアイテムである。
「ああっと、アイテムボックスのアイテムは念じれば出てくるけど、こっちはどうすればいいのか」
大和がそう言いながら【変幻の鞘】に触れると、いつの間にか鞘には剣が収まり、その剣の柄の装飾に合う意匠が鞘に浮かび上がっていた。
「……なるほど、触れて剣を抜けってことか」
もはや驚くことを放棄したやりなげな口調であった。
彼は出現した剣の柄を掴み、抜剣した。
「おお、これが【白銀剣リフィース】か。確かに美術品のように美しいな」
ゲーム内でも初めて手にしたときは感動していたものだが、今改めてみてその時よりも深い感動を覚えた。
全体が真っ白としか言いようのなく、光が当たるとキラキラと光の粒子が舞っているように見える。刀身は両刃の西洋剣で剣の部類ではバスタードソードと呼ばれる種類のもので、柄には雪の結晶のような装飾が施されていて大変美しい。
そして何より、とっても冷たく、空気が急激に冷やされて、刀身から白い靄が流れ出ている。
【白銀剣リフィース】は常時氷属性の魔法が発動しており、剣を振るうことで氷塊を飛ばすこともできるBランクの武器である。
「ちょうどいい。これから暑くなりそうだし、これで打ち水効果のような何かが得られるだろ」
打ち水とは全く関係がないが、確かに持っているだけで暑さを凌げそうではある。意気揚々と重くなりがちであった歩みが軽やかになり、大和は前を向く。
「さてさて、まあ、これで野犬とかが出ても大丈夫そうだな。さすがに何の身を守るものもない状態だと怖いからな」
野犬どころか、熊だろうが、獅子だろうが容易く倒すことができる過剰防衛装備である。
ふと、大和の視界にもやもやとしたものが映り、彼はそれに注目した。
「砂嵐? それにしては風が舞ってそうでもないな。まるで何かに砂を巻き上げられているような……。もしかして人!?」
大和は喜色を浮かべ、その方向へと走り出す。やはり、人間がいるかどうかは彼にとって安心のバロメーターとしては破格であった。
一分一秒が惜しいと言わんばかりに、肉体のステータスで電光石火の速さで駈けて行った。黒い甲冑に身を包み、魔法の宿った剣を片手に走る姿は獰猛な肉食獣を彷彿とさせた。
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