第148話 眠り姫
「私は……アーリング、お前が世界を滅ぼすことに賭けるとしよう」
父の言葉は意味がわからなかった。
この期に及んで時間稼ぎか……?
気を抜いてはいけない。
僕は剣を構え直した。
「私の『女神』に会わせてやろう」
そう言って、父は部屋の隅にある扉へと歩きはじめた。
罠か、とも思うが……。
僕は父の後を追うことにした。
リネアについてきてもらい、他の者には残ってもらうことにした。
◇◇◇
扉の向こうは長い下り階段になっていた。
一段降りるごとに気温が下がっていくのがわかる。
吐く息が白い。
肌を刺すような冷気が、地下の底から這い上がってきていた。
やがて、僕たちは一つの広大な空間へとたどり着いた。
「……ここは」
思わず声が漏れた。
そこは石造りの礼拝堂のような場所だった。
だが、信仰の対象となる神像はない。
壁には無数の氷柱が垂れ下がり、床は霜で白く覆われている。
氷の部屋だ。
部屋の最奥、一段高くなった祭壇のような場所に、巨大な『十字架』が立っていた。
そして、その十字架の足元に一つの『棺』が安置されている。
静謐で、そしてあまりにも冷たい、地下の墓所。
「お墓ですか?」
僕の問いに、父は答えなかった。
父は、その棺の元へと歩み寄っていく。
僕たちも恐る恐る棺へと近づく。
棺の上部はガラスのように透き通っており、中の様子をはっきりと見ることができる。
僕は、その中を覗き込んだ。
―――心臓が、止まるかと思った。
そこには一人の女性が眠っていた。
透き通るような白い肌。
長く美しい髪。
まるで、つい先ほど眠りについたかのような、穏やかな表情。
氷漬けにされ、時を止められたその女性の顔を、僕は知っていた。
「母さん……?」
「ああ、そうだ」父は言った。「お前の母親、リズィだ」
「じゃあ、地上にあった墓は……」
「あそこには、何もない」そして父はリネアを見た。「似ているだろう?」
「……はい」
「リズィとリヴは双子だった。幼い頃に引き離されてはいたが……」
僕の母と、リネアの母が、双子……。
突然の事実に思考が追いつかない。
そうなると、僕とリネアは……。
「アーリング。リズィは生きている」
「え?」
思考が空転する。
生きている?
この氷の中で?
「『ネードフリシン』」父は言った。「聖女アルマが知っていた、失われた太古の魔術だ。対象の時間を完全に停止させ、永劫の眠りにつかせる『深層凍結』。グローアに術を開発してもらい、これを行使し、維持するためだけに、私は国中の魔力を吸い上げ、このクラール湖に集め続けてきたのだ」
言葉が出なかった。
「病だった」父の声が苦渋に歪む。「魔力欠乏症。リズィにとって、この世界の魔力はあまりに少なすぎた」
父は僕を見た。
「私は、世界ではなく愛を選んだ」
その言葉に、鳥肌が立った。
ぞっとした。
「……天秤のギフトは、父上のギフトなのですか?」
「いかにも」父は言った。「世界を滅ぼすなど、常人では不可能だ。自らに天秤のギフトを使用し、リズィを救うために、私は私自身の『心』のバランスを崩した」
まさか、ギフトを自分自身に使用するとは……。
「かつての私は、お前たちが知るような冷酷な男ではなかった。愚直で、正義感が強く……そして、あまりにも優しすぎた。自分で言うのもおかしな話だがな」
父は自嘲気味に笑う。
「だから、私は『天秤』を使った。私の持つ良心を対価として差し出し、代わりに、非情な心を手に入れたのだ」
父のその覚悟を聞いて、一瞬、息ができなかった。
「この世界のまま、リズィを目覚めさせると、命は十分と持たない。だが……世界を魔に染めることで、リズィの病は完治する」
だからこその、大魔術。
世界を魔力で満たし、人間の生活を困難にしてでも、妻を救いたかった。
「アーリングよ。世界と、愛。お前は、どちらを選ぶ?」
肉親として、父の気持ちはよくわかる。
もし、同じ状況であれば……。
リネアが同じ病に倒れたとき、僕は同じ選択をしてしまうかもしれない。
だが。
けれども。
それでも僕は――
――――――――――――――――――
【★あとがき★】
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