第147話 キルステーナの守りたい世界
シリヤの魔術を打ち消した聖女アルマが立っていた。
気だるげに、やる気なさそうに、あくびを噛み殺しながら。
「……騒がしい」
彼女が、ぱちんと指を鳴らした。
その瞬間、シリヤの背後に展開されていた無数の魔法陣が砕け散り、光の粒子となって霧散する。
上空を覆っていたグローアの炎雲も消滅した。
後に残ったのは静寂だった。
風の音すら聞こえない、完全なる無音の世界。
シリヤが杖を構え直そうとする。
だが……。
「……魔力が、練れない……!?」
彼女の声が震えている。
それは魔術師にとって手足を奪われたに等しい。
上空にいたグローアもまた、支えを失ったかのようにふわりと地上へ舞い降りた。
「おいおい、ここら一帯から魔力を奪って、どうするつもりだ。私も魔術が使えないじゃないか」
「飽きた」アルマは、短くそう言った。「ところで、なぜ私達は戦っているんだったか?」
その問いに、僕たちの思考が停止した。
あまりにも場違いにすぎる質問だった。
「グレンフェルを王にするためだろう」とグローアが答えた。
「ああ、そうだったか」アルマは興味なさそうに呟いた。「王というか、魔王だな……まあ、実に些事だ」
些事。
彼女は、世界が滅ぼうとしている状況を、取るに足らないことだと言い放ったのだ。
人間とは異なるスケールの生物だということか……。
「世界が滅ぼうが、魔に満ちようが、私には関係がない」
アルマの視線が、ようやく僕たちの方を向く。
だが、そこに敵意はない。
あるのは、圧倒的な『無関心』だった。
道端の石ころを見るような、冷たく、透き通った瞳。
「クリスティーナ、なぜ世界が滅ぶと困るのだ?」とアルマが尋ねた。
クリスティーナと呼ばれたキルステーナは、きょろきょろと周囲を見て、手をあげた。
「私はキルステーナですけど、えっと、そりゃ、世界に魔が満ちれば、多くの人が生きていけなくなります。魔獣が増えるでしょうし、都市機能を維持できないと思います」
「人間の都合だな」アルマは言った。「そもそも、世界は太古、魔に満ちていた。それを人々が自分の使いやすいように改造していっただけのこと。原始の世界に戻るだけの話だ。なぜ止める?」
「それは……!」
「多少不便になるだけだ」とアルマは言った。「あるいは、適応できない種が淘汰されるだけ。自然の摂理だろう?」
反論できない。
論理的には、彼女の言う通りなのかもしれない。
だが。
「それでも、僕達は生きています。この世界で、必死に」
「アーリングさんの言うとおりです!」とキルステーナが言った。「太古のことは知りません! 摂理とか、淘汰とか、そんな難しいこともわかりません!」
アルマは面白そうにキルステーナを見た。
「でも、この世界で、私たちは出会い、恋をして、温もりを知りました! 私は、この不完全な世界が大好きなんです!」
アルマの瞳が、わずかに揺れる。
キルステーナは止まらない。
彼女は、さらに一歩踏み込み、あろうことか、伝説の聖女アルマに両手を広げて飛びついた。
「っ……!?」
アルマが息を呑む。
キルステーナは、アルマの華奢な身体を、ぎゅっと力いっぱい抱きしめた。
「温かいでしょう?」
キルステーナが、アルマを抱きしめたまま叫ぶ。
「これが今の世界です! あなたが『些事』だと言った、私たちの世界の温もりです!」
アルマの手が、行き場を失ったように空を彷徨う。
超越者である彼女にとって、これほどまでに無防備に、無遠慮に、そして熱烈に触れられたことなど、かつてなかったのだろう。
「クリスティーナ、離せ。汚れる」
「キルステーナですけど、離しません!」さらに強く抱きつく。「あなたが、この温もりを認めてくれるまで! 私たち人間が、必死に生きて、愛し合っているこの世界の価値を、わかってくれるまで!」
アルマは困惑したように眉をひそめた。
そして、ゆっくりと彷徨わせていた手を下ろし、キルステーナの背中にそっと触れた。
「……熱いな」ぽつりとアルマが呟いた。「お前たちは、こんなにも熱苦しい体で、生きているのか」
「はい! 熱苦しくて、泥臭くて、時々嫌なこともあって……でも、とっても幸せなんです!」
キルステーナが、顔を上げて満面の笑みを見せる。
アルマは、しばらくの間、キルステーナの顔をじっと見つめていた。
やがて、ふっと小さく笑った。
「……幸せ、か」
アルマはキルステーナの身体を優しく引き剥がすと、塔へと続く道を塞いでいた身体を横にずらした。
道が開かれた。
「この世界に救う価値があるのか、私には判断がつかない」とアルマは言った。「我が娘、クリスティーナの熱意に免じて、通してやろう」
キルステーナですけど……とキルステーナが言っていたが無視されていた。
「残された時間は少ない。最後は、お前が決めるが良い、アーリング」
彼女はそう言って、広場の隅にある瓦礫の上に腰掛けた。
僕はグローアを見た。
グローアは小さくうなずいて、口を開いた。
「アーリング。世界は美しい。だが、愛は、もっと美しい。私に言えるのは、それだけだ」
わかるような、わからないような話だった。
世界を選ぶのか、愛を選ぶのか……。
そのテーマが、いろいろな人の口から、繰り返し語られているような気がする。
「……急ごう」
僕は短く答え、仲間たちを振り返った。
「グレンフェルは湖の底にいる。そこまで送ってやるよ」とグローアが言った。
そして、グローアは、ひらりと手を振った。
すると、僕たちの足元に漆黒の魔法陣が浮かび上がった。
禍々しくも、どこか懐かしい魔力の色だった。
視界が黒く染まる。
浮遊感と、内臓が裏返るような転移の感覚。
僕たちは、その瞬間、世界から切り離された。
◇◇◇
―――ザザザ……。
耳に届いたのは、重く、鈍い水の音だった。
ひやりとした空気が肌を刺す。
僕たちは広大な空間に立っていた。
「ここは……」とシリヤがつぶやいた。「地下……ですか」
そこは巨大なドーム状の空間だった。
天井も、壁も、すべてが透明なクリスタルガラスで覆われている。
その向こう側に広がっているのは―――深淵なる湖の水だった。
暗く、青い水の中に、湖底の藻や魚の影が揺らめいている。
遥か頭上から差し込む僅かな月光が、水を通してゆらゆらと床に幾何学模様を描いていた。
まるで、巨大な水槽の中に閉じ込められたような感覚。
水圧を魔術的な障壁だけで支えているのだ。
空間の中央には、巨大な紫色の結晶塊が鎮座していた。
壁や天井から繋がっているケーブルが、その結晶に魔力を送り込んでいるようだった。
そして、その結晶の前に立っている男が、こちらに振り返った。
「父上」僕は言った。「あなたの負けです。もう、終わりにしましょう」
「私の負けか」そう言って、父は微笑んだ。「それではアーリング、最後のお願いだ。あと三十分だけ待ってくれないか?」
「待つわけがありません」とリネアがナイフを構える。
僕は剣を構えた。
父上のことだ。
まだ、なにかしらの策を持っているに違いない。
父は紫色の結晶を見て、そして言った。
「実は、私には、もう打てる手がない」
まさか。
いや、そう言って、僕達を油断させるつもりか。
「だから、私は……アーリング、お前が世界を滅ぼすことに賭けるとしよう」
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【★あとがき★】
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