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第146話 スィグネ・リサンドが娘、天才魔術師、シリヤ・リサンド

 僕たちはクラール湖へ到着した。

 そこは、かつて母が愛した、美しい湖……のはずだった。


 だが、たどり着いたその場所は、僕の記憶にある穏やかな風景とは似ても似つかない。


 湖畔にそびえ立つ、巨大な送電施設。

 そこから、天を衝くような太い紫色の光の柱が、轟音と共に立ち上っていた。

 その禍々しい輝きは、湖面にも映り込み、水面そのものが怪しく脈動している。


 大気そのものが震えていた。

 肌にピリピリとした痛みが走るほどの魔力濃度だ。


 その紫色の光の源――施設へと続く一本道を塞ぐように、二人の女性が立っていた。


「グローアさん、アルマさん」僕は言った。「そこを退いてください」


「それは不可能だ」グローアが答える。


「父上は、何をしようとしているのですか? この光はなんです?」


「答える義理はないが……まあいい」グローアは空を見上げた。「美しいだろう? あの施設では、私の組み上げた大魔術が進行している。集めた魔力を圧縮し、世界に拡散させる。そうすることで、世界は魔に満ちる」


「そんなことをしたら……人間が生きていけません」とシリヤが言った。「魔術師ならまだしも、普通の人は……」


「世界と愛を『天秤』にかけ、愛が勝った。それだけのことだ」とグローアは言った。「さて、アーリング。私もお前のことは嫌いじゃない。ここから大人しく立ち去り、リムグレーペで、友人たちと仲良く終末の世界を生きるのをおすすめするよ。まあ、世界の秩序は崩壊するだろうが、それなりに楽しく過ごせるだろう」


「僕は、父を止めます」


「それはできない」グローアは微笑んだ。「お前たちに残された時間は、あと三十分を切っている。そして、私がここにいるのだから」


「……また時を止めるつもりですか」と僕はきいた。


「いや、あれは使えない。あの魔術は、野外では使えないんだ。まあ、あんな魔術がなくとも、いまの私に、お前たちが敵うはずがない。命を落としたくなければ……。少しでも長生きしたければ、ここから去れ」


 グローアの隣に立つ聖アルマが、ふわぁ、とあくびをする。


「話が長い……」とアルマ。


「話し合いで、なんとかなりませんか」と僕は言った。


「三十分間、話し合うか?」とグローアが言った。


 それは事実上の交渉不成立だった。


「旦那様。戦うしかないかと」とリネアが言う。


 僕は深く息を吐いた。

 グローアとも、アルマとも、戦いたくはない。


 しかし、世界のために、いまは進まなければならない。


 だから、僕は冗談みたいなセリフを言うことにした。


「行くぞ! 僕たちの手で、世界を救おう!」


 世界を救うだなんて、そんなセリフを口にすることになるとは、思ってもいなかった。


◇◇◇


 グローアは薄く微笑み、ふわりと宙に浮く。

 そして、指揮棒を振るように軽く指先を動かした。

 たった、それだけの動作。


 直後、世界が赤く染まった。


 轟音。

 空が、落ちてきた。


 比喩ではない。

 上空に展開された無数の魔法陣から、視界を埋め尽くすほどの巨大な炎の塊が降り注いできたのだ。

 それが、数え切れないほどの数で迫ってくる。


「実にバカげた魔術です!」とシリヤは叫ぶ。


 シリヤは即座に杖を掲げ、多重の防御結界を展開した。

 展開された氷の壁が、僕たちの頭上を覆う。


 だが、炎の雨が接触した瞬間、それらは溶かされはじめる。

 熱波が結界の隙間から漏れ出し、肌を焼く。

 シリヤの顔色が蒼白になる。


「まずーい!」とシリヤ。


「させません!」


 キルステーナが前に出た。

 彼女が両手を空に突き上げると、黄金の光が噴出し、軋むシリヤの結界を内側から補強するように覆い尽くす。


 聖女の祈りが障壁となり、かろうじて炎塊を受け止めた。

 だが、衝撃は止まらない。


「……持ってくれぇ!」シリヤが叫ぶように言った。「これほどの規模の大魔術、論理的に考えて続くはずがありません! いくら天才とはいえ、個人が保有できる魔力容量を遥かに超えています。すぐにガス欠を起こすはずです。そこで反撃に転じましょう!」


 そうだ。

 たとえ天才魔術師でも、魔力は有限だ。

 これだけの出力を維持し続けることなど、不可能なはずだ。


 ―――だが。


 一分が過ぎ、二分が過ぎても。

 空を埋め尽くす炎の雨は、止むどころか、その勢いを増していった。


「なぜ……」シリヤが絶望に染まった声を漏らす。「なぜ、魔力が尽きないのですか……? 計算が、合いません……!」


 遥か上空。

 悠然と浮かぶグローアが僕たちを見下ろしていた。


「ガス欠なんて、起こり得ないのさ」グローアは言った。「あの光……世界に満ちていく魔力が、私に流れ込んでいる。だから、いまの私の魔力は無尽蔵だ」


 無尽蔵。

 文字通りの、無限の魔力。

 弾切れのない大砲を、ゼロ距離で撃ち込まれているようなものだ。


「そんな……論理的に、詰みです……」


 シリヤの杖を持つ手が震えていた。


 僕は……そのシリヤの手を掴んだ。


 シリヤが、はっと、こちらを見る。


「シリヤ。諦めるな」僕は言った。


「しかし! あれほどの魔術を前に、私はどうすれば!」


「シリヤ。きみは天才だよ」僕は言った。「グローアを超える、天才魔術師だ」


 そうだ。

 きみは、スィグネの子でもあり……グローアの子でもあるんだから。


 シリヤは笑った。


「はい。そうでした。私は、天才なんでした」


 表情に力が戻ってくる。

 シリヤは杖を握り直した。


「私は、スィグネ・リサンドが娘、天才魔術師、シリヤ・リサンド!」


 彼女がそう宣言した瞬間、大気が震えた。


 シリヤの身体が、ふわりと浮き上がる。

 彼女は防御結界を解いた。

 無防備な姿を晒し、両手を大きく広げる。


「来い、この世界に満ちる魔よ!」


 それは、魔力への命令だった。


 すると……紫色の光――膨大な魔力が、奔流となってシリヤの身体へと流れ込み始めたのだ。

 拒絶はない。

 まるで、本来あるべき場所へ帰るかのように、その力はシリヤに馴染んでいるようだった。


 シリヤの瞳が、グローアと同じ、鮮烈な真紅に輝いた。

 彼女の背後にもまた、無数の魔法陣が展開される。

 その構成、術式、魔力配列。

 すべてが、グローアのものと瓜二つだった。


 いや、違う。

 より洗練され、より最適化された――進化系だ。


 シリヤが杖を振り下ろす。


 放たれたのは、グローアの放ったそれと全く同じ、巨大な炎の塊だった。

 だが、その密度はグローアを凌駕している。


 ドォォォォォォォンッ!!!


 空中で、二つの太陽が衝突したかのような閃光が走った。

 音さえも消し飛ぶ衝撃。

 グローアの炎が、シリヤの炎によって相殺され、食い尽くされていく。


 これで勝てる――そう確信した、その瞬間だった。


「『止まれ』」というアルマの声。

 スッ、と。

 音もなく、光の膜がグローアの前に現れた。


 シリヤの放った渾身の炎が、その薄い膜に触れた瞬間、あっけなく消失した。


「な……っ!?」


 シリヤが目を見開き、呆然とする。


 そこには、聖女アルマが立っていた。

 気だるげに、やる気なさそうに……。



――――――――――――――――――

【★あとがき★】

新作はじめました!

興味があったら読んでみてください。


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