第123話 今晩からは、避妊しましょう
「うわーん。アーリング様、私、あの人嫌いですぅ……」とキルステーナが僕に抱きついてくる。
ヴィヒレァに『危険な配合』と言われた直後、キルステーナは急に涙を流し始めた。
ぼろぼろと。
大人の女性が急に泣きはじめるというのは、なかなかにホラーである。
僕とリネアは、キルステーナを連れて小部屋へと移動していた。
「よしよし」僕はキルステーナの背中を撫でる。
フィヨーラのようにキルステーナも幼児退行しているのでは、と思えるほどだ。
まあ、キルステーナの場合は実質的な精神は14歳程度ということなのだろう。
「あの女、邪魔ですね」とリネアが言った。「どう暗殺されますか?」
「こらこら。人の義妹を勝手に殺さないよ」
「えっと、事故に見せかけるのが良いと思います」とキルステーナが言う。
「怖い話をしないよ」
困った二人だ。
冗談なのだろうけれども……。
さすがに冗談だよな?
「『危険な配合』だかなんだか知らないけどさ、まあ、どれくらい統計的に正しいのかもわからないし。それに、遺伝的な疾患が生まれやすいって話だったけれど、通常の場合とどれくらい差があるのか、みたいなデータもわからないしね。人生設計の考慮に入れないといけないほどの差があるのかどうか……」
僕はリネアを見た。
彼女は相変わらずの無表情だ。
「旦那様」いつになく小さな声のように思えた。「今晩からは、避妊しましょう」
「急に何を……昼間だよ?」
「きゃぁ」とキルステーナ。「そんな、毎晩されているんですか?」
「それは良いじゃないか」
聞かなかったことにしてくれよ!
「とりあえず、この話は、またあとで……」こんなところでする話ではない。「今後の方針を決めよう。いろいろやることはあるよね……」
ざっと頭のなかで考える。
フィヨーラの件を、テレヴォに伝えるかどうか考える。
父上から、ヴィヒレァの件について話を聞きたい。
シリヤにもヴィヒレァという魔術師を知っているかなどを聞きたい。
あと、元国王の診断もしなければならない。
やることはたくさんあった。
仕事だらけだ。
「優先順位としては、ハーラル様じゃないですか?」キルステーナが言う。「あの、ヴィヒレァとかいう女が、いつ、国王様を幼児化させるかわかりませんし」
まだヴィヒレァがフィヨーラを用事退行させた、という証拠はないのだが……。
キルステーナのなかでは、ヴィヒレァは完全に敵と認識されているらしかった。
「そうだね。まずは元国王様と面会しないとね……」
◇◇◇
僕たちは、元国王ハーラル七世が『保護』されている、もうひとつの離宮へと向かうことにした。
王城の敷地内だが、そこはフィヨーラのいた離宮から、少し離れた区画にある。
僕の隣にはキルステーナ、そして少し後ろにリネアがつづく。
さらに、車椅子のヴィヒレァも一緒だった。
元国王に会いに行くという話をすると、ヴィヒレァもついてくることになったのだ。
白亜の回廊を進んでいく。
キルステーナは、ヴィヒレァの車椅子をちらりと見てから、僕の腕にぎゅっとしがみついてくる。
よほどヴィヒレァのことが嫌なのだろう。
やがて国王陛下の私室にたどり着く。
扉の前で、一人の年配の侍女が僕たちを待っていた。
彼女は僕の顔を見ると、深々と頭を下げた。
「アーリング様。お待ちしておりました。陛下も……いえ、元陛下も、あなた様がお見えになるのを、ずっとお待ちかねでございました」
「僕を待っていたのですか……?」
「はい。相談されたいことがあるようです」
侍女はそう言って、黙った。
部屋に通してくれるわけでもなく。
ただ、黙って、彼女は僕の目を、じっと見ていた。
「あの……どうかされましたか?」と僕は尋ねた。
それに対し、侍女は口を開きかけ……やめた。
何かを言おうとしているが、しかし、言わないほうが良い、と判断したのだろう。
「アーリング様。どうか、元陛下をよろしくおねがいします」
言い切ったその瞳は潤んでいる。
涙をこらえているのだ。
なぜ、侍女は涙を流す必要があるのか……。
さっぱりわからない。
侍女が退き、扉を開けてくれる。
そこは広い部屋だったが、中央にベッドが置いてあった。
そのベッドの背は起き上がっていて、初老の男がベッドに体を預け、座っている形だった。
僕の記憶にある、威厳に満ちた国王とは似ても似つかない。
すっかりやつれ、生気というものが感じられない。
だが、開いた瞳は強い意志を持っているように見えた。
テレヴォに似ている。
いや、テレヴォが、父に似たのか……。
「……アーリング君、来てくれたか」
「はい。お久しぶりでございます」
「堅苦しい挨拶は抜きにしよう。君には、感謝してもしきれない」
元国王――ハーラル七世は穏やかに微笑んだ。
「まず、テレヴォを……あの子を救い出してくれて、本当にありがとう。そして、あの子を玉座に導いてくれたこと、心から感謝する」
「僕は、ただ、できることをしたまでです」
「その『できること』を、誰もできなかったのだよ」
彼はベッドの上で、ゆっくりと僕に頭を下げた。
一国の王であった男。
いままで頭を下げたことなどあるのだろうか。
僕は言葉を失う。
「君のおかげで、私も……私自身を取り戻すことができた。アーリング君。改めて、礼を言う」
「やはり、操られていたのですか?」
「そのようだ。スティッレハウンのミズール侯爵しかり、フィヨーラにまで……。私の用意させたアクセサリーが、人々の心を捻じ曲げていたらしい。罪深いものだな」
「ハーラル様も、被害者です」
「加害者でもある」元国王は言った。
僕は何も言葉を返せなかった。
しかし……。
ここまで衰弱されているのは、どうしてなのだろうか。
「……ところで」ハーラル七世は悪戯っぽく片目を瞑った。「テレヴォとは、どうなのだ? あの子と結婚して、君が王になってくれるのが一番なのだがね」
「ご冗談を」
「冗談ではないぞ。元国王として、最後の願いだ。あの子の伴侶となり、支えてやってくれないか」
「それは……」
「断った場合は国家反逆罪として死刑だ」
「そんな……」
「冗談だ」
まったくもって笑えない冗談だった。
「アーリング君。私を『診断』してもらうことはできるか?」
「はい。おまかせください」
僕は彼の前に進み出て、その手に触れた。
―――発動、『神の瞳』。
僕の視界に彼の魂の姿が映し出される。
視えたのは『天秤』だった。
しかし、もともと歪んでいたであろう天秤が、完全な『平衡』を取り戻していた。
安定した状態だと言える。
ハーラルに術をかけていた黒幕が、手を引いたのだろうか……。
他には何も視えなかった。
ただ、完全に凪いでいる。
それは、まるで高僧のような落ち着きようだった。
「どうだったかね」
僕が『診断』を終えるのを待って、彼が静かに尋ねてきた。
「魂は正常です。もう、何ものにも操られてはいません」
「そうか」
彼は、僕の言葉に安堵したように深く息を吐いた。
「やはり、私は操られていたのだな。……薄々、気づいてはいた。自分の意志ではない『何か』が、私にフィヨーラを憎ませ、テレヴォを疑わせようとしている、と。だが、抗えなかった」
僕は、ずっと国王の体調が気になっていた。
精神は健康だ。
しかし、肉体は?
「アーリング君」ハーラルは言った。「最後に、君に一つだけ頼みがある」
「はい。どのようなものでしょうか」
ハーラルは微笑み、言った。
「私を殺してくれないか?」




