第122話 『危険な配合』
「どうも、はじめまして、アーリング兄様。ヴィヒレァと申します」
僕の前に立っているのは、車椅子に乗ったひとりの少女だった。
車椅子は、地面からわずかに浮遊している。
魔術によるものだろう。
ボブカットの黒髪に、翡翠色の瞳。
そして深い緑色のローブを着ている。
リネアがナイフを構え、僕の前に出た。
突然現れたヴィヒレァと名乗る魔術師に警戒しているのだろう。
「戦うつもりはありませんよ。ボク、攻撃魔術って使えないんです。才能がないんですよね」
「……結婚をやめておいたほうが良いというのは、どういう意味でしょうか?」とリネアが尋ねた。
「ボク、人間の相性を見ることができる魔術を開発しまして。それによりますと、あなたとアーリング兄様は『危険な配合』だと出てます」
「危険な配合とは、なんですか?」とさらにリネアが尋ねる。
「えっとですね、お二人の間に生まれる子は、すごい才能の子が生まれる可能性も高いのですが、それと共に、遺伝的な疾患を持つ子も生まれやすくなるんですよ」
リネアは黙った。
僕にはリネアがどのような表情をしているのかはわからなかった。
ただ、ぎゅっと、スカートの裾を固く握りしめている。
僕はリネアの手を握った。
リネアがこちらを向く。
いつもどおりの無表情だ。
でも、僕には彼女が動揺しているように見えた。
大丈夫だ。
危険な配合だかなんだか知らないけれど。
僕は、きみのことを愛している。
それだけは何も変わらない。
さて、僕の気持ちが伝わったのかどうかはわからないが、リネアは少し落ち着きを取り戻しているようだった。
「きみは、どこから現れたの?」僕は尋ねた。「敵……ではないんだよね? お兄様って、どういう意味?」
「ボクは空から来ました」とヴィヒレァは上空を指で示す。「フィヨーラ王女が、幼児退行されたと聞いたので、どんなもんかと様子を見てみようと思いまして。ボクが訪れて、すぐに幼児退行されたとのことでしたから、心配になったんですよ。当然、敵意なんてありません。あるわけがないじゃないですか」
この離宮は、そこまでセキュリティが高くないのだろう。
王城の中心部であれば、空からの飛来にも備えた魔力検知システムが作動しているはずだ。
つまり、いまのフィヨーラには政治的な利用価値がないということでもある。
「お兄様というのは……」ヴィヒレァは僕を見た。「言葉通りの意味です」
「僕には妹はいないと思うけれど」と僕は言った。
「それがですね、最近、妹になりまして」と言った。「詳しくは公爵から聞いてください。ボクね、もともとはスヴェレさんと結婚する予定だったみたいなんですよ。それが、まあ……なんというか……死んだじゃないですか」
僕は、その言葉に怯んだ。
死んだというか、僕が殺したのだ。
弟の婚約者か……。
僕は恨まれているのだろうか。
「ま、いろいろあって、グレンフェル公爵家の養女となったわけです。そういうわけで、よろしくおねがいしますね、兄様」
「ああ、よろしく……」で良いのだろうか?
侍女たちを見ると、ヴィヒレァに怪訝な目を向けている。
警戒しているのだろう。
実際、彼女が犯人なのかどうかはわからないが、ヴィヒレァが訪れた翌日にフィヨーラは幼児退行を起こしているのだ。
もっとも怪しい人物であることは間違いない。
僕は彼女の真意を確かめる必要があった。
スヴェレの死を、悪意なく口にするその無神経さ。
フィヨーラ王女の幼児退行との、あまりにも出来すぎたタイミング。
そして、僕とリネアの関係性に対する、不気味な指摘。
「ヴィヒレァさん。少し、君の心を視させてもらってもいいかな?」
僕は自分の右目にそっと手を当てた。
「僕のギフトで君を『診断』させてもらいたい」
「はい? ああ、構いませんよ。どうぞ」
彼女は、あっさりと何の警戒もなく頷いた。
「では、失礼するよ」
僕は意識を集中させた。
―――発動、『神の瞳』。
僕の視界が変容する。
現実の色彩が失われ、彼女の魂が持つ本質的な情報が流れ込んでくる。
(……なんだ、これは)
彼女の魂は淀みなく輝いていた。
スヴェレの死を悲しむ『哀』もなければ、僕を動揺させようとする『害意』もない。
ただ、純粋な『事実』として認識しているだけ。
フィヨーラ王女の幼児退行についても、彼女の魂には一点の『罪悪感』もなかった。
そして、彼女の本質は……紛れもなく『善』だった。
世界をよくしたい、人々を幸せにしたい。
そういう、真っ直ぐな心が視えた。
「なんだか、照れますね」とヴィヒレァは顔を少し赤く染めた。「心の奥底、体の隅々まで見られているようです」
「そこまでは視ていない」と僕は答えた。
「それで、何かボクの精神におかしなところでもありましたか?」
「……いや。何も。君は、本当に『純粋』な人なんだな」
「そう言われると恥ずかしいですね」と微笑む。
「養女ということは……ご両親は?」
「ええ、幼い頃に捨てられまして。でも、魔術の才能があったから、アカデミーに推薦で入れてもらえましてね。まあ、シリヤさんほどじゃないですけれど」
捨てられた、などということも全く気にしている風ではない。
実に飄々としていて、精神的な安定性を感じさせられる。
いままで僕の周囲にはいなかったタイプの人間だ。
◇◇◇
「お兄様っ! まだですの!?」
不意に、フィヨーラの甲高い声が響いた。
「フィー、退屈ですわ! おままごとの続きをいたしましょう!」
彼女はそう言って僕の腕にまとわりつき、ぐいぐいと引っ張ってくる。
「も、申し訳ございません、アーリング様!」
侍女のエスリキラが慌てて駆け寄ってくる。
「さあ、姫様。アーリング様もお疲れです。一度、お部屋にお戻りになって、冷たい果物でもいただきませんこと?」
「いやですの! フィーは、お兄様と遊ぶのです!」
「……では、皆様で離宮の談話室へお戻りいただくということで、いかがでしょうか」
エスリキラが頭を下げて提案する。
「そうしましょうか」と僕も同調しておいた。
僕はフィヨーラに引きずられるようにして、離宮の建物へと戻った。
◇◇◇
白亜の回廊を抜け、豪奢な調度品が並ぶ談話室へとたどり着く。
そこには聖女キルステーナが待っていた。
「アーリング様! おかえりなさいませ!」
僕の姿を認めた彼女は、ぱあっと顔を輝かせ、駆け寄ってきた。
そして、ごく自然な仕草で僕の腕にそっと触れる。
「フィヨーラ様のお相手、大変でしたでしょう。お疲れ様です」
そのときだった。
「……ああ、なるほど」とヴィヒレァが言った。
ヴィヒレァは、僕とキルステーナを、じっと見比べている。
「キルステーナさん、でしたか」
「え? は、はい」
キルステーナが戸惑ったような顔をして、ちらりと僕を見た。
ヴィヒレァは、そんな彼女の困惑など意にも介していないようだ。
「あなたと兄様も、なかなかに『危険な配合』ですね。結婚されるのは、やめておいたほうがよろしいかと」




