第115話 お前に姉がいるとしたら、どうする?
――僕は【神の瞳】を発動させ、父の魂の奥底を覗き込んだ。
瞬間、僕の視界が変容する。
現実の色彩が失われ、魂の本質だけが青白い光の奔流となって僕の脳内へと流れ込んできた。
父の魂は、巨大だった。
僕が今まで視てきたどの魂よりも、複雑で、深淵で、そして……あまりにも強固な壁に守られている。
だが、父により許可されたのであろう場所だけが見えた。
僕が連想したのは天国だった。
穏やかな田舎の風景だ。
自然が豊かで、空気がきれいで……。
小さな木造の家。
ベッドに、ひとりの女性が横たわっていた。
目をつむり、微動だにしない。
僕の母だった。
父は、母の隣で椅子に座り、頭を撫でていた。
ただ、それだけなのに、父はひどく満たされたような表情をしている。
彼は、ここまで妻のことを愛していたのか。
いままでに一度も、僕は母の話をきいたことがなかった。
やがて、その風景は終わりを迎える。
暗闇へと移動し、そこに白いテーブルが出現した。
そのテーブルの上に、例の天秤が載っている。
片方の天秤には、宝石が載っていた。
白い宝石だ。
僕は、その宝石に見覚えがあった。
母上が身につけていた宝石だ。
それが、天秤のバランスを崩壊させていた。
大きく傾いている、という言葉で表すのもおかしなほどだ。
鉛と空気を比べているかのように、片方に傾いている。
母への愛情が、彼のすべてなのだ。
僕には、そのように見えた。
一体、誰が父に、このギフトを用いたのか……。
わからない。
これだけ精神の強固な父に、干渉できるような人物とは、いったい……。
やがて、視界は暗転する。
僕は現実世界へと回帰した。
◇◇◇
ゆっくりと目を開くと、そこには父の姿があった。
じっと僕を見ている。
「どうだった、アーリング。私はおかしくなっていたか」
どのように答えるか迷ったが、正直に答えることにした。
「天秤が見えました。大きくバランスを崩しているようでした」
「そうか。私も何者かに操られている、というわけか」
「はい。そうなると思います。心当たりはありませんか?」
「さきほども答えたが、ないのだ」父上は答えた。「私に魔術なのか、ギフトなのか……。そういう作用をできるものなど、なかなか考えられん。それこそ、グローアくらいではないか」
「グローアさんが?」
「いや、あくまでも可能性の話だ」
グローアは天秤の能力について知っていると言っていた。
彼女がすべての首謀者などということがあり得るのだろうか?
「聖女アルマはいかがですか?」とリネアが口を挟んだ。
その言葉に、父上は顔をしかめた。
心底うんざりした、という表情である。
リネアの前だと、父上は表情が豊かになる。
「まあ、伝説上の存在が私の精神に干渉しているというのは、面白い話だ」
「実在するのでは?」とリネアが言った。
「リネア、お前は聡すぎる。語りすぎるな。私を困らせたいのか? それとも、怖いのか?」
「……困らせたいのかもしれません」
その言葉に、父上は微笑んでいた。
「リネアよ。お前にだけは言っておく。それ以上はいない。すべてで四人だ」
「四人? 五人では?」とリネアが指摘する。
「ああ、忘れていた。そうそう、五人だ。もう四人だが……」
意味深なことを言っていて間違えることがあるのか、と思った。
いつもそうだけれど、父とリネアは、何について語っているのだろうか?
さっぱりわけがわからない。
「僕には教えていただけないのですか?」
「知らないほうが良いことも、この世界にはたくさんある」と父は言った。
「本当に知らないほうが良いことなのですか?」
「私は、そう思う。リネアもそう思うだろう?」
父の言葉に、リネアは小さくうなずいていた。
父は不意に話を変えた。
「アーリング、政治はどうだ? 楽しいか?」
「いいえ、まったく……」
「テレヴォと結婚するつもりはないのか?」
「いまのところは」
「リネアと結婚するつもりはないのか?」
「僕は……あります」
その答えに、父は満足そうにうなずいていた。
父と子の会話にしては非常にぎこちない気がする。
普通の家庭も、こんなものなのだろうか。
「アーリングよ」父は、いつもの口調で言った。「お前に姉がいるとしたら、どうする?」
「え?」
あまりにも想定外の問いに、僕は何も答えられなかった。
沈黙というよりも、思考が空転している。
言葉を紡げない。
優に五秒間は思考が止まっていただろう。
「あの、どういう質問ですか?」
「姉がいたら、どうする?」と父は同じ質問を繰り返した。
「いえ、どうすると言われても……。えっと、そうですね、嬉しいと思います」
「会いたいか?」
「はい。そうですね、会えるのであれば、会いたいです」
「どうしたものかな……」と父はつぶやいた。
「……それ以上は」とリネアが言った。
「そうだろう? 語りすぎるな、と言いたいだろう」父は面白そうに言った。「お前がやっているのは、こういうことだ。お互いに、語り得ないことについては沈黙しようじゃないか」
「そうですね」リネアはうなずいた。「一時休戦といきましょう」
「そうしよう」
なんだかよくわからないが、二人の間に休戦協定が結ばれたらしかった。
いったい、本当に……どういうことなのだろう?
この二人はよく似ている……。
「最後にひとつ」父上が言った。「アーリング、お前に頼みがある」
「はい、なんでしょうか」
「孫を見せてくれないか?」




