第113話 盤上を混乱へいざなう一手
ファルク伯爵につづいて、予想外の父の登場。
僕は、とっさに考えた。
父は何を目的にここへ?
僕やテレヴォを捕らえるために?
戦力は不足している。
リネアは満身創痍、シリヤの魔力も微量しか残っていないだろう。
まともに戦えるのは僕だけだ。
父の精鋭軍を相手に戦うことは不可能。
そうなると、ファルク伯爵の手を借りて……。
いや、それでも戦力差は圧倒的だ。
どうすればいい。
何か打つ手はないのか。
父は馬上から僕を見据えていた。
そして口元を僅かに歪める。
笑っている?
彼は馬から地に降りた。
「ファルク伯爵。ひとまず、現状の把握が第一ではありませんか? 谷が崩落するという一大事。ここは、主義主張は違えども手を取るべきでは?」
「え、えぇ……」伯爵は緊張しているのがわかった。「アーリング殿、ひとまず……どこかで会議を行いましょう」
「そうですね」僕はうなずいた。父の言うことももっともだ。「一旦、近くの村へ戻りましょう」
テアの父、ヴァインベルク侯爵には悪いが、あの隠れ里へ戻らざるを得ない。
他に適当な場所がなかった。
◇◇◇
ファルク伯爵と、父の軍に挟まれる形で、僕達の乗る馬車は進んでいた。
「これから、どうなるんでしょう」とシリヤがつぶやいた。
「わからないけれど、最悪の一歩手前だね」
まさか、敵の大本である父が出張ってくるとは思いもよらなかった。
「最悪じゃないんですね?」
「ああ。僕達を武力で取り押さえることも簡単にできたはずだ。でも、そうはしなかった……」
もしかしたら、ヴァインベルク家所有の隠れ里への道を暴くためか?
いや、その隠れ里にしても、父上であれば見つけるのは難しくないはずだ。
「リネアは、どう思う?」
「そうですね」随分と顔色が良くなっていた。「おそらく、おかしな手を打つでしょう」
「おかしな手?」
「はい。あのお方は、少しでも不利になった際、盤上を混乱へいざなう一手を打ちます。回りくどく、わかりづらい、先の見えない戦いを好みます。長期戦になれば、持ち前の執念深さと思考力で勝ちきれる、という自信があるのでしょう」
「なるほどね」そうなると……。「どちらかというと短期決戦に持ち込んだほうがいいわけだ」
「ええ。しかし、難しいでしょう。こちらも根気よく泥仕合をするしかないかと」
うんざりする話だった。
◇◇◇
隠れ里に戻った僕らは、ヴァインベルク家の所有している、例のオラブの家へ集結していた。
案内されたのは大広間で、パーティーなどを目的としてつくられた部屋のようだった。
現在、この部屋にいる人々は、皆、パーティには似つかわしくない、厳しい顔をしている。
部屋にいるのは、僕たちの陣営からは、僕とリネア、そしてテレヴォ。
一応、今回の件とは無関係だがオラブとテアもいる。
テレヴォには、現在の状況について簡単に説明を終えていた。
そしてファルク伯爵と、護衛の騎士が二名。
僕の父は……ひとりだった。
武力でどうにかする、というつもりはないらしい。
「さて……」
場の進行役を買って出たオラブ侯爵が、咳払いと共に話をはじめた。
「まずは、現状の情報を整理いたしましょう。アーリング殿、ファルク伯爵のご子息、マティ様の容態は……?」
全員の視線が僕に集まる。
僕はゆっくりと頷いた。
「はい。幸い、マティ様ご自身はご無事です。命に別状はありません。私が診る限り、魂にも異常は見られませんでした。治療は成功しています」
その言葉に、部屋の空気がわずかに和らぐ。
だが、それも束の間だった。
オラブ侯爵は、次の、最も残酷な事実を告げるのを躊躇うように、一瞬だけ言葉を詰まらせた。
「……しかし、奥様の……カイサ夫人は……」
「スヴェレの手にかかり、命を落とされました」と僕は報告した。
ファルク伯爵の肩が、びくりと大きく震える。
言いたいことがあるだろう。
だが、いまは、まだそのときではないとわかっているのか、ぐっとこらえているのが見えた。
「谷の崩落についてですが……」僕は続けた。「暴走したスヴェレの軍勢を止めるための、苦渋の決断でした。僕がシリヤに命じました。結果として、僕がスヴェレを殺しました」
隣に座るテレヴォが、僕の手を取った。
気づくと、僕の手は震えていた。
それを見て、テレヴォが心配してくれたのだろう。
「私の妻の死体とともに、自らの弟を生き埋めにしたということか」とファルク伯爵が鋭い口調で問うた。
「申し訳ございません」
それ以上、他に言葉がなかった。
僕はリネアを守るために、その決断をしたのだ。
だから、その報いは受けなければならない。
「――ファルク伯爵」父、グレンフェル公爵が口を開いた。
威厳を帯びた声。
参加している全員に緊張が走る。
そして……父は深々と頭を下げた。
「この度の事件については重ねてお詫びを申し上げる。我が息子、スヴェレの暴走を事前に察知できず、止めることができなかった。監督不行き届きである。大変申し訳無い」
父は顔を上げない。
そのまま謝罪の言葉を続ける。
「失われた命は決して戻らない。伯爵の悲しみを思えば、いかなる補償も、言葉も、虚しく響くことであろう。だが、それでも私は、グレンフェル家の全てを懸けて、伯爵家への償いをさせていただきたい。それが、私にできる唯一のことだ」
父の言葉に、ファルク伯爵は怒りに震えながらも、反論の言葉を見つけられないようだった。
憎しみと、公爵への畏敬と、そして妻を失った悲しみが、彼の心を混乱させている。
「……命は……金では買えんぞ、公爵閣下……!」
絞り出すような、伯爵の悲痛な声。
その言葉を、父は静かに受け止めた。
「そう、命は金では買えない。買えるものなら、とっくの昔に買っている」
ファルク伯爵は、グレンフェル公爵の妻がすでに亡くなっていることに思い至ったのだろう。
そして、今回の事件を引き起こした首謀者とはいえ、息子をも亡くしているのだ。
「崩落したダンプダールについても、復旧を約束する」
そこでオラブは口を挟んだ。
「公爵。息子のしでかしたこととはいえ、監督不行届の責任は重いのではありませんか? 家督をアーリング殿に譲るというのは、いかがか? 私のように、のんびりと余生を過ごすのも悪くないでしょう」
オラブは、今後の政治の展開を有利に進めようとしているのだ。
「近いうちに、アーリングに公爵の座を譲ろうと考えている」と父は言った。
「父上、そんな話、聞いてませんよ」
「言っていないからな」さも当然かのように言い放った。「少し話はそれるが……。スヴェレが、なぜあのような行動を取ったのか。何か、わからないか?」
僕は言うかどうか迷ったが、言うことにした。
父上の反応を見てみたかったからだ。
「天秤……。精神のバランスを崩すようなギフトだと思われますが、それによって著しく不安定になっていたかと思います」
僕に負け、その後、天秤の力で精神を捻じ曲げられ……。
そして、あのような事件を起こしてしまったのだろう。
「そうか……」父上は微塵も驚いていなかった。想定通りということか。「王都は混乱状態にある。他国の術者なのか、あるいは国のなかに首謀者がいるのか……。王も、第一王女も、皆、おかしくなっているようだ」
そんなことを宮廷派が言うのか、と思った。
それを好都合とばかりに、自分の有利なように政治を進めるものとばかり思っていたが。
父は一瞬だけリネアを見た。
にやりと笑ったように、僕には見えた。
そして、父は宣言した。
「グレンフェル公爵家は、テレヴォ様を次期王に推薦しようと考えております」




