第112話 世界ときみなら、きみを選ぶ
「シリヤ」僕は囁いた。「この街に来たとき、きみが言っていたことを実行してくれ」
「えっと……」シリヤは言った。「私が言ったことって、つまり……」
そう。
僕達がダンプダールへ到着したときに、シリヤが言っていたことだ。
『私がちょっと魔法を使えば、全部崩落してきて一網打尽にできますね」
つまり。
僕は、この村を潰せ、と命令しているのだ。
リネアを救うために、僕はこの村を犠牲にすることを決めた。
キルステーナからの信号もあった。
住民たちの避難は完了しているはずだ。
「頼む。全責任は僕が取る。僕を信じて」
シリヤは息を呑む。
迷っているのだろう。
だが、それは一瞬だった。
「あなたを信じます。いきますよ!」
シリヤが杖を天に向ける。
彼女の体から、純白の光がほとばしった。
それは彼女の魂そのものを燃焼させるかのような、あまりにも激しく、美しい光の奔流だ。
スヴェレも、黒いローブの男たちも、いまから何が起こるのだろうか、と身構えている。
どのような攻撃が来るのか……。
魔術を打ち消すには、どうすればよいか……。
だが、そんなことは考えても無駄だ。
「落ちろ!」とシリヤが叫んだ。
それが合図だった。
シリヤの杖から、凝縮された光が射出された。
それは世界のすべてを白く染めるような、爆発的な白色だった。
向かう先は、谷の上層。
そこを穿つ。
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!
凄まじい轟音と振動が、僕たちの足元を揺るがした。
岩壁が、ぱらぱらと崩れ落ち始めた。
地割れが走り、大地が崩れていく。
僕たちが立っている地面も崩落していく。
「飛翔!」とシリヤが唱える。
彼女の最後の魔力が、僕とシリヤ、そしてリネアを宙に浮かせる。
浮いた僕たちは、かろうじて残っていた岸壁へと降り立つ。
シリヤが激しく呼吸をする。
魔力的に限界なのだろう。
眼下で、ダンプダールのすべてが濁流のような土砂に巻き込まれていく。
宿屋も、湯治場も、木々も、岩も、何もかも……。
すべてが等しく、破壊されていく。
これは、僕が起こした現象だ。
僕が壊したんだ。
リネアを守るために……。
落ち行くスヴェレを、僕は見ていた。
彼は瓦礫に飛び移り、しがみつき……。
しかし、無駄だと悟ったのだろう。
手を離した。
そして、自由落下をはじめる。
スヴェレは僕を見ていた。
僕も、彼を見ていた。
その瞳に、天秤が見えた。
スヴェレもまた、何者かによって、精神のバランスを狂わされていたのだ。
そうでもなければ、こんなことは実行しないだろう。
中立派であるファルク公爵の妻を殺し、その子息までも危険に追い込み……。
いったい、誰が、何の目的で……。
スヴェレは微笑んでいた。
『兄さん、ごめんなさい』と口が動いたのがわかった。
「スヴェレ!」
僕は叫んだが、遅かった。
スヴェレは落ちていき、何も見えなくなった。
「旦那様」リネアが、か細い声で言った。「良かったのですか」
「ああ」
「弟君を……」
「ああ。良いんだ。きみが生きているなら、それで」
「本当に、良かったのですか」
「良いんだよ」
僕は倒れているリネアの髪を撫でた。
「僕は、世界ときみなら、きみを選ぶ」
「旦那様。一生をかけて、お供します。地獄でも、どこまでも……」
それは、まるで……。
生涯をともにする約束のような、そんな風にも聞こえた。
◇◇◇
シリヤの魔力が回復するのを待って、僕達は『飛翔』を小刻みに使いつつ、かろうじて残っている崖沿いの道を進んだ。
目指すは、大浴場の地下に隠されているという避難通路だ。
そこを抜ければ、谷の外へと脱出できるはずだった。
大浴場跡地は、奇跡的に半壊で済んでいた。
堅牢な岩盤に固定されていたおかげだろう。
僕はリネアを支えるようにして歩いた。
リネアの体は細く、小さい。
いままで守られてきた分、今後は僕が彼女を守らなければならないのだ、と強く感じた。
「どこかに地下道があるはずなんだが……」
「あそこです」とリネアが指で示す。
このあたりの地図を、リネアは完璧に記憶しているのだろう。
地下道は完全な闇だった。
シリヤが杖先に灯した小さな光だけが頼りだ。
壁からは絶えず水が滴り落ち、足元はぬかるんでいる。
「しかし無茶な作戦です」と先導するシリヤが言った。「たしかに、あの状況を覆す最善の一手です。しかし、一歩間違えれば死んでましたよ」
「だけど、あれ以外にリネアを救う方法はなかった」
「そのとおりですけど」シリヤは言った。「普通、あんな作戦、思いつきませんよ。さすがです。天才軍師ですね」
「この作戦を考えていたのはきみだ」
「いや、あれは、ただの冗談です。まあ、たしかに魔法を使えばこんな集落一発で潰せるなぁ、くらいは思ってましたけど……」
まさか、あの冗談が僕達を救うことになるとは皮肉なものだった。
「今回の件は犠牲が大きすぎた。こんな作戦を取らざるを得なくなる前に、他の手を打っておくべきだった」
「アーリングさんにしては、珍しく後手を引いていましたね」
「ああ。まさか……スヴェレが……つまり宮廷派が、ファルク伯爵の子を狙うとは思ってなかった。あるとしても、僕達だけを狙うような奇襲だと考えていた。それならいくらでもやりようはあった」
一体、スヴェレを操った人物は何を考えているのだろうか?
僕達は、やがて外の光を見つけた。
そこからは朝日が漏れ出ている。
「アーリング様!」とキルステーナが穴の外から手を振る。「こちらです!」
僕たちは互いの無事を喜び合い、安堵のため息をついた。
だが、その束の間の平穏を破るように複数の馬蹄の音が近づいてくる。
僕たちの視線の先、谷へと続く唯一の街道から、一団の騎馬隊が現れた。
先頭を駆けるのは……ファルク伯爵だ。
彼は馬を降りると、震える足で僕たちの元へと歩み寄ってきた。
そして、信じられないものを見るかのような、呆然とした声で問いかけた。
「アーリング、殿……? ……いったい、何を……なさったのです……?」
僕は彼に説明をしなければならない。
この崩落だけではない。
彼の妻の最後を……。
そう思っていたときだった。
さらに、ファルク伯爵の背後から騎馬隊が現れた。
その先頭にいるのは……。
僕の父、グレンフェル公爵だった。




