第111話 リネアを救うために
轟音と振動。
床に到着する間際に、シリヤが僕達の身をふわりと浮かせてくれた。
ほとんど衝撃もなく地面に落下する。
「皆さん、ご無事ですか?」とシリヤが言った。
隣に落ちたキルステーナも問題なさそうだ。
僕が抱いていたマティも、怯えてはいるけれども怪我はない。
「私、本当に役立たずでごめんなさい……」とキルステーナが言った。
「いまは謝っている場合じゃない。みんなが全力を出している。適材適所だよ。今後、キルステーナさんの聖なる力、皆を治す力が必要になるときが必ず来る」
話をしている場合でもない。
最善の手を打たなければならない。
「一旦、大浴場へ退こう。集落の人々もそこに向かっているはずだ」
そう、大浴場は要塞にもなっている。地下へ逃げる道もある。
僕達は大浴場へ向かって駆けていた。
そして、僕は走りながら思考を巡らせる。
まず、皆を安全な場所に移動させ、時間を稼ぎたい。
まもなくファルク伯爵がダンプダールに来るはずだ。
そうなれば、ファルク伯爵は私兵を連れているであろうから、形成は逆転する。
だが、それはいつなのか?
夜明けか?
それまでリネアが持つわけがない。
追手も来るだろう……。
これ以上、この集落の人々を傷つけたくない。
どうすればいい?
頭のなかでいくつもの作戦が考えられ、問題点を発見し、それを修正する。
「シリヤ、魔力はどれくらい残ってる?」
「えっと……大魔術なら一回と少し。中程度の魔術なら二、三回は打てます」
僕の脳裏に、ある作戦が閃いていた。
しかし、本当にその手を打っても良いのかどうか、というのが微妙なラインだ。
他に手はないのか、といろいろ考えるけれども、考えれば考えるほど、その作戦しかないように思えてくる。
思考を巡らせ、必死に走っていた、まさにその時だった。
―――ズキンッ!
突如、右目に杭を打ち込まれたかのような、激しい痛みが走った。
同時に、視界がノイズ混じりに歪み、現実の風景がぐにゃりと捻じ曲がる。
「ぐっ……ぁ……!?」
思わず足がもつれ、その場に膝をつく。
「アーリングさん!?」
シリヤが驚いて駆け寄ってくる。
だが、僕の耳にはもう、彼女の声は届いていなかった。
右目が、勝手に。
僕の意思とは無関係に、【神の瞳】が暴走するように起動したのだ。
現実の視界に割り込むように、別の光景がフラッシュバックする。
(なんだ……これは……!?)
視えている。
リネアだ。
彼女は圧倒的な数の敵を相手に、たった一人で戦い続けている。
だが、その身体は満身創痍だった。メイド服は血で汚れ、無数の切り傷から血が流れ落ちている。
呼吸は荒く、足元もおぼつかない。
彼女の魂の輝きが、風前の灯火のように揺らめいている。
消えかけている……!
そして、その彼女に止めを刺さんと剣を振り上げる、弟スヴェレの狂気に満ちた顔。
禍々しい黒いオーラが、彼の生命力を削りながら人外の力を与えている。
僕のこの瞳は、もともとリネアのものだ。
彼女の命の危機に反応したということなのか……。
遠い日の記憶が、鮮烈に蘇る。
横たわる母の姿。
何もできなかった幼い僕。
また、守れないのか。
僕の一番大切な人を、また、この手で……!
悲しみも、怒りも、後悔も、すべてが凪ぐ。
感情というものが、僕の中から完全に抜け落ちた。
代わりに訪れたのは静寂だった。
思考が、異常なまでにクリアになる。
リネアを救うためには、世界を壊すしかない。
目的は、ただ一つ。
『リネアを生かす』。
そのためならば、どんな犠牲も厭わない。
「アーリング様……?」
キルステーナが心配そうに僕の肩に触れた。
僕はゆっくりと立ち上がった。
僕の右目に映る色彩は……灰色に変わっていた。
「キルステーナ」
「はい……」
「マティを頼む。大浴場の地下道へ向かってくれ。皆の避難の手配も頼む。そして、全員が避難を終えたら、火花を上げてくれないか」
「アーリング様は、どうされるんですか?」
「僕とシリヤは戻ってリネアを助ける」
「……わかりました」キルステーナは真剣な表情だった。「ただ、リネアさんは、アーリング様に逃げてほしい、と思っているでしょうけれど」
「大丈夫。絶対に勝つ」
僕の言葉に、キルステーナはうなずき、マティを抱いた。
「必ず、生きて帰ってください」
◇◇◇
僕とシリヤは戦場へと駆けた。
背後の夜明け前の空が、一瞬だけ明るく光った。
キルステーナの火花が上がったのだ。避難は終了したということだ。
あの宿屋は炎上している。
戦いの場は外へ移っていた。
リネアは地面に倒れ伏している。
リネアを取り囲むように、黒いローブの男が四人いた。
全員が剣を構え、いつでもリネアの命を断つことができる状態だった。
そして、その背後にスヴェレの姿があった。
戻ってきた僕を見て、スヴェレは嘲笑った。
「バカめ! こんな女、見捨てて逃げれば良いものを! わざわざ戻ってくるとはな!」
「旦那様……」とリネアがうめく。「どうして……」
猶予はない。
いつリネアが殺されてもおかしくない状態だ。
会話をしている暇はない。
「シリヤ」僕は囁いた。「この街に来たとき、きみが言っていたことを実行してくれ」




