人生の先輩たち
銭湯を語る上で欠かすことが出来ないのが、尊敬すべき、そして愛すべき人生の先輩たちである。
まあ一言で言ってしまうならただのおっちゃん、じいちゃんたちな訳であるが、僕は銭湯に行くたびに彼らに人生の在り方というものを教わっているような気がしてならないのだ。
まず初めに、何故かは分からないけれど彼らは銭湯が大好きである。
基本的にどの時間帯に銭湯へ行っても、彼らは当たり前のような顔をしてそこにいる。若者は基本的に夕方以降に集中して来ることが多いけれど、おっちゃん、じいちゃんは朝であろうと昼であろうと、まあ関係なく銭湯に来る(ということは、僕も割と若いくせに昼間から銭湯に行っているということではある)。これはつまり、彼らにとって銭湯は生活の一部であり、常に生活の中に存在しているということなのではないだろうか。
そして彼らは、些細なことを気にする必要なんてないことを教えてくれる。
前のエピソードで上裸のまま銭湯から出て行ったおっさんの話を書いたけれど、あれだって良く考えたら、まあ最悪下を履いていればいいのである。多分通報はされない。
とある日曜日の午前中に銭湯に行ったときの話であるが、僕が浴場に入ってみると予想通りガラガラで、一人の白髪のじいちゃんがゆっくりと体を洗っていた。
僕がさっと体を洗って湯船に浸かっていると、じいちゃんは髪を洗い始めた。しかし鏡をあまり見ていなかったのか、耳のあたりについたシャンプーが残ってしまった。そしてじいちゃんは泡が付いた頭のまま湯船に入った。
僕は言うべきか言わないべきか長い間迷っていたのだが、結局言えなかった。情けない話である。
しかしよく考えてみると、湯船から上がってからお湯をかぶったら取れるかも知れないし、脱衣所で髪を拭くのだから最終的には泡なんてどこかで取れるのだ。そう考えてみると、言うべきか否かで迷っていた自分なんて、バカバカしいということが良く分かる。
おっちゃん、じいちゃんたちは銭湯に入りながら、「ただその時」を感じているように見える。シャワーのお湯の勢い、体をこする感触、湯の気持ちよさ。そこには過去も未来もなく、今この瞬間だけが存在している。
自分もあんな風に、今この瞬間を味わいながら生きていけたらいいなあ、と思うのだが、現実は仕事に追われて生きる毎日で、過去の失敗を思い返したり、先のことの心配ばかり考えてしまう。銭湯という所は、人生の達人とも言うべき人たちから、肌で感じて学ぶことが出来る場所でもあるのだ。




