◆第九話『繋がれた光』
その名で呼ばれたのは約2年ぶりだった。
頭が真っ白になり、くずおれそうになる。
だが、なんとか拳を握り、正気を保った。
「……てっきりお前みたいな末端には知らされていないと思ってたぜ」
「そんなわけがないだろう。貴様を英雄視する反帝国の輩がどこにいるかもわからんからな。ただ機密情報として扱われていただけだ」
口振りからして本当にごく一部にしか知らされていないのだろう。
シュボスの帝国兵でも、ほんの一握りか。
いや、もしかすると看守長であるデジャンだけという可能性もある。
デジャンが訝るような目を向けてくる。
「ただ、ひとつ疑問がある。お前自ら囚人どもに名乗ることはできたはずだ。だが、お前はずっとそれをしなかった。なぜだ? ここの囚人どもは帝国に逆らった者たちばかりだ。祀り上げられて王の気分を味わえただろうに」
「名乗る必要を感じなかっただけだ」
「本当にそれだけなのか? ん?」
デジャンはそう返してくると、嘲るように顔を崩しはじめた。
「聞いているぞ。貴様は付き従った多くの人間だけでなく、ともに戦った翼竜人を犠牲にして生き残ったとな。なんとも醜い人間だ」
過去の記憶が脳内に蘇っていた。
血と悲鳴で彩られた凄惨な記憶だ。
気づけば息が荒くなっていた。
目に至ってはちかちかと明滅している。
そんなこちらの状況を楽しんでか。
デジャンが欠けた歯をあらわにしながら、にんまりと笑う。
「どうした、言い返さないのか?」
「……言い返すもなにもお前の言うとおりだ。俺はあいつらを……あいつを犠牲にして自分だけが生き残った。薄汚い人間だ」
なぜ自分だけが生きているのか。
報いを受けるべきは自分ではないのか。
そんなことを思ったのは1度や2度ではない。
だが、〝彼女〟が死に際に遺したのだ。
――あなたは生きて、と。
たったそれだけの短い言葉だ。
しかし、いまもなお楔となってこの胸に深く突き刺さっている。
「だからせめて、もう2度とあんなことを繰り返さないためにも、俺は……っ!」
「名前を捨てた! だが、それはどうやら意味がなかったようだな! 結局、貴様は多くの人間を先導するだけしてまた命を捨てさせることになるのだからなっ!」
デジャンの言うとおりだ。
結果的にまた争いを引き起こしてしまった。
やはりこの手で掴むものも、歩く道もすべてが血塗られている。
「だが、残念だったな。今度は貴様も死ぬ運命にある。理由はわからんが、貴様のことは殺すなと言われていた。だが、反乱を起こしたとあれば話はべつだろう。いや、わたしの歯を折っただけでも死に値する!」
ここまで手加減をされていたのは明白だ。
デジャンが本気を出せば、すぐにでも殺されるだろう。
「さあ、終わりだ。ゼノ・クラーラ!」
相手がお喋りなおかげで充分な時間稼ぎはできた。
これでシャラが仲間たちの手錠を解錠できていれば、まだ勝機はある。
その後、帝国を相手にずっと生き延びられるかは難しいかもしれないが、それでも彼らに〝明日の自由〟を贈ることはできる。
――俺の役目はここまでだ。
そう終わりを自覚したときだった。
「本当、なのですか……?」
覚えのある声が聞こえてきた。
見れば、ガリアッドの向こう側――。
階段付近にシャラが立っていた。
フードがとれ、彼女の長い髪があらわになっていた。
強めの風に吹かれ、ゆらゆらと棚引いている。
また彼女の左手首には分厚い腕輪がはめられていた。星刻印の手錠を解除する鍵だ。どうやら無事に手に入れられたようだが――。
「本当にあなたがゼノ・クラーラなのですか?」
もう一度、シャラが問いかけてきた。
彼女には真実を明かさなかったが、もはや言い逃れはできない。後ろめたさを感じつつも、肯定の意を返そうとした、そのとき。
「なんだ、貴様は……? なぜこんなところに女がいる?」
デジャンが目を瞬かせながら疑問を口にした。
だが、すぐに動揺よりも苛立ちが勝ったようだ。
「よくわからんが、まあいい。ここは女が踏み入れていい島ではない。いますぐに殺してやる……!」
「逃げろッ!」
叫ぶが、遅かった。
デジャンがガリアッドの掌から風撃を放った。
放たれた巨大な緑の光球が虚空を突き進み、シャラに衝突する。直前、シャラの身を包み込んだ青い光膜によって、風撃が無数の燐光となって弾け飛んだ。
「なっ、アストラ使いだと……!?」
デジャンが驚愕の声をあげる。
シャラが使ったのは、アストラ最大の特徴でもある防御術だ。
ただ、完全には防げなかったらしい。
シャラは後ろの手すりに背中を強く打ちつけていた。
苦痛に顔を歪め、その場に膝をついている。
もう一度撃たれればシャラの身が危うい。
ゼノはシャラのもとへと急いで駆け出す。
だが、すぐに風撃を撃たれれば距離的にも間に合いそうにない。
「やらせるかよ! こいつは、俺たち大将の女だぞっ!」
階段からヴィンスが飛び出てきた。
先ほどガリアッドに吹き飛ばされて心配していたが、どうやら無事だったらしい。
さらにシュボスに乗り込んだ仲間たちもあとに続いて出てくる。
合計で5人。
全員、すでに手錠が外されているようだ。
体の輪郭が薄く緑に光っている。
彼らは通常ではありえない速度で屋上を駆け回り、風銃でガリアッドを攻撃しはじめる。激しい攻撃だ。しかし、ガリアッドの硬い装甲を突破するには至っていない。
「貴様ら手錠は――そういうことか。その女に手錠を外させたのか! ならば、なおさらそいつを殺さねばならんなぁっ!」
デジャンがヴィンスたちを無視してまたもガリアッドの掌をシャラに向けた。光を増した掌の水晶から緑の球を勢いよく射出する。
「シャラッ!」
ヴィンスたちが敵の気を引いてくれている間、ゼノはガリアッドの脇を抜け、シャラとの距離を縮めていた。だが、それでも間に合うかどうかわからないほど際どい距離だ。
突き飛ばすか。
いや、ガリアッドの風撃は背後から迫る形だ。
明確な脅威を後ろに感じた、瞬間。
ほぼ無意識に前方へと飛び込み、シャラを守るように抱きしめた。
衝撃という衝撃を感じないほど一瞬だった。
ただ、体のあちこちが痛いうえに熱い。
感覚が残っているあたり生きてはいるようだ。
かなりの距離を飛ばされたらしい。
落下しているような感覚を覚えた。
『あなたが《雷帝のクラーラ》だったのですね』
シャラの声が頭の中に聞こえてきた。
これはアストラを使った交信術だ。
ならば、こちらの声も届くはずだ。
――騙していて悪かった。
死に際に言うべきことではないかもしれない。
だが、どうしても言わなければならないと思った。
『あなたにも深い事情があったことは察していました。ずっと辛くて、苦しい顔をしていましたから。……でも、本当は初めからそうではないかと思っていたのです』
――どうしてそう思ったんだ。
『あなたから懐かしい匂いがしたのです。優しくて、わたしが大好きだった姉の匂いが……』
――姉って……もしかしてシャラ、お前はっ。
頭だけでの会話だったからか。
それは一瞬のことだったのだろう。
はっとなって目を開けたとき、まだこの身は浮いていた。ただ、地面とどれほど距離があるかを確認する暇はなかった。いや、暇がなかったわけではなく、もっと注意を引くものが近くにあったのだ。
抱きしめたシャラの身が眩い光を発していた。
温かくも力強い。
邪を排した清廉の塊。
この光のことはよく知っていた。
約2年前。
ダナガに連れられる前まで、ずっと隣にあったものだ。
「ゼノ・クラーラ、この身はあなたとともに……」
シャラが柔らかな笑みとともに口にした。
直後、彼女の身が光そのものとなって弾けた。
あまりに眩しくて目を開けていられなかった。
ただ、光はほんのわずかな間で収まった。
初めから見慣れた光景だ。
すぐそばになにがいるのか。
再び目を開ける前からわかっていた。
鋭い牙を覗かせた獰猛な口に、縦長の瞳孔を浮かべた青い眼。厚い鱗で覆われた鳥類を思わせる体に、艶やかな長い鉤爪を従えた足。そして、いまも力強く羽ばたきつづける一対の勇壮な翼。
空の王とも称される生物。
白銀の翼竜がそばを飛んでいた。




