◆第六話『聖王国の教会』
声のほう――右隅を見ると、質素な服に身を包んだ1人の少女が目に入った。
掃除でもしていたのか、あるいはしようとしていたのか。バケツを転がし、床に水を撒き散らしてしまっていた。
年齢は10歳辺りといったところか。
相応に背は低いが、不釣合いに髪が長い。
まっすぐに伸びた髪は腰辺りも越えている。
少女があたふたとしつつ、雑巾で床を拭いはじめた。
水を拭きとってはバケツに絞って水を戻していく。
彼女を見ながら、レイゾンに問いかける。
「修道女か?」
「……そのような、ものですね」
なにやら歯切れが悪かった。
外部の者が仕事として手伝いに来ているのだろうか。
ゼノは少女のそばに歩み寄り、屈んだ。
近くで見ると、とても整った顔立ちだった。
さすがに歳相応のあどけなさはあるが、将来的に美人になることは間違いないだろう。
「雑巾はほかにあるか?」
「あ、あの……大丈夫、です。ご迷惑をかけたら……怒られてしまいます」
「怒られるって司祭にか?」
聞き返したところ黙りこくってしまった。
気にはなるが、あまり問い詰めるのも酷だろう。
「そうか。わかった」
「……ありがとうございます。お気持ち、嬉しかったです」
とても優しくて気遣いのできる子のようだ。
幼いのにしっかりしている。それだけに瞳に怯えがずっと残っているのが気になってしかたなかった。
「ミリィ、司祭様がいまどこにいるかわかるかい?」
レイゾンが少女に声をかけた。
どうやら彼女の名はミリィと言うらしい。
「……いまは、地下にいらっしゃいます」
ミリィがそう答えると、レイゾンが「そ、そうか……」と顔をわずかにこわばらせた。そこから彼は話を進めようとする様子もなく黙りこんでしまう。
なんともじれったい。
「悪いが、呼んできてもらえないか?」
「と、とても大事なお祈り中……です」
「こんな立派な礼拝堂があるのに地下でか」
こちらの言葉に、ミリィが俯いてしまう。
威圧的に伝えたつもりはなかったが、萎縮させてしまったようだ。
「時間を置いて、また訪ねたほうがいいかもしれませんね。よければ、待っている間に食事でもどうでしょうか? 近くにいい店があるのでご案内しますよ」
気まずい空気の中、レイゾンがつらつらと提案してくる。
司祭の用事を邪魔してまで会いにいくわけにもいかない。ゼノは仲間たちと顔を見合わせたのち、「そうだな」と提案に乗って教会をあとにしようとする。
と、礼拝堂の奥から男の声が聞こえてきた。
「おやおや、レイゾンさんではないですか」
「し、司祭様……」
レイゾンがそう驚いたように言った。
彼の視線の先――側廊の奥から1人の男が歩いてきた。
年齢は初老辺りか。
ふくよかで、とても健康的な肌をしている。ほかには少しだけ腫れぼったいまぶたが特徴的だ。おかげで目が閉じているように見える。
レイゾンが言っていたとおり、彼が司祭で間違いないだろう。仮に司祭と呼ばれる場面を見ていなくとも、その身を包んだ高潔で立派なローブを見れば、一目でわかっていたことだろう。
「とても優しそうな人デスネ」
「……柔らかそうだ」
グリッグとシギが好意的な意見を示す一方、シャラは顔を顰めつつ背に隠れてしまった。鼻を押さえながら、ぼそりと呟く声が聞こえてくる。
「わたしは苦手です」
どうやらにおいが好みではなかったようだ。
司祭が悠然と歩いてきたのち、水で濡れた床を見やった。ミリィが直立し、怯えた様子で必死に弁解しようとしはじめる。
「あ、あのこれは……っ」
「……よいのですよ。失敗は誰にでもあります。ただ、そのままというわけにもいきません。なるべく早く片付けてしまいなさい」
「は、はいっ」
優しい声音で諭すさまは、まさに慈悲深い司祭といった印象そのものだった。
ただ、気になったのはミリィの態度だ。怒られずにすんだら安堵のひとつぐらい見せてもいいはずだが、そんな素振りはいっさいなかった。ひたすらに片付けに没頭している。
「どうなされたのですか? このような時間に珍しい」
「それが……彼らが司祭様にお会いしたいと」
司祭の問いに答えつつ、レイゾンが体を横に開いた。
「このお方が司祭のオスト・コズノワ様です。そしてこちらは――」
「クラーラだ。早速で悪いが、このテムザスに聖王国の巡礼島がいつくるかを教えてもらえないか?」
レイゾンの紹介を遮って自ら名乗り出た。
いきなり本題に入ったからか、あるいは《雷帝のクラーラ》を連想してか、司祭――コズノワは少しの間、止まっていた。……目が開いていないように見えるせいか、表情を読み取りにくいのが難点だ。
「なぜそのようなことを知りたいのですか?」
「ただ巡礼島に用があるだけだ」
「理由を窺っても?」
「悪いが、できるだけ内密にしたい」
コズノワが少し思案したのち、静かに息をついた。
「困りました。少しではありますが、あなたがたと帝国の状況については耳にしています。わたしは司祭として、聖王国や信徒たちの身に危険が及ぶ可能性がわずかでもあるのであれば、それを手伝うわけにはいきません」
断る理由としてはもっともだ。
「話してもよいのデハ?」
グリッグがそう提言してくる。
かたわらのシギは、任せると言わんばかりにじっとしている。
『わたしは反対です』
頭の中にシャラが交信術で話しかけてきた。
どうやら彼女も同じ考えのようだ。
相手次第では話すことも考えていたが、どうにもこの司祭は信用できない。本能的な部分もある。それに、シャラが嫌っているというのも大きな判断材料だ。
どうしたものか、と悩みはじめた、そのとき。
司祭のまぶたが勢いよく跳ね上がった。
ずっと隠れていた目があらわになる。
いったい何事かと司祭の視線を追って振り向くと、礼拝堂へと駆け込んでくるクァーナの姿が映り込んだ。
「ゼノっ! ここにいるって聞いたんだけど、いる!?」
いま、誰かが礼拝中であれば間違いなくいやな顔をされていただろう。それほどに大きな声だった。
「そんなに慌ててどうしたのデスカ?」
「……まさか帝国が来たのか?」
グリッグの問いにシギが物騒なことを続けたからか。
隣で聞いていたレイゾンが思い切りこわばっていた。
「違う違うっ、そこまでやばい感じじゃなくて。あーでも、まあまあ面倒なことなんだけど……っ」
クァーナが苛立たしげに話を続ける。
「この前、解放した人たちとフォルツティア兵が喧嘩してるのよっ」
「……は? なにがどうなったらそうなるんだ?」
「あたしも直接居合わせたわけじゃないから詳しいことはわからないんだけど。でも、一触即発って空気だったから、すぐにゼノを呼んできたほうがいいと思って」
ただの喧嘩なら放っておけと言いたいところだが、集団と集団のぶつかり合いだ。それにクァーナの慌てっぷりからしても軽いいざこざではないのだろう。
「……わかった。すぐに戻る」
「ごめん、来たばっかりなのに」
「いや、どのみち手詰まりだったから問題ない」
「あ~、その感じだと上手くいかなかったみたいね」
クァーナが苦笑しつつ、礼拝堂の中のほうへと覗き込んだ。映った司祭やレイゾンを前に、彼女らしく「ども~っ」と軽い挨拶をしている。
「巡礼島が訪れるのは、予定では約3日後です」
脈絡もなく、その声は司祭から放たれた。
ゼノは思わず目を見開いてしまう。
「どうしていきなり話す気になったんだ?」
「……本来、聖王国への道は誰にでも開かれるものであることを思いだしたのです。ただ、聖騎士様とお話しできるかはわかりませんよ。とても厳格なお方ですから」
穏やかな笑みとともに答えるコズノワ。
そのまぶたはいつの間にか落ち、再び目が隠れてしまっていた。
「ということは巡礼島が来るまで近くに滞在されるのでしょうか?」
レイゾンが少し悔い気味に訊いてきた。
「そういうことになるな」
「でしたら島をあげて歓迎いたします」
「……俺たちが帝国と争ってること、わかってるのか?」
「いまはその帝国も周囲にはいませんし。もちろん帝国が来れば歓迎という形でもてなすことはできませんが」
あはは、と乾いた笑みを浮かべるレイゾン。
ありがたい申し出ではあるが、いまの帝国との緊張状態を考えると、簡単には頷けない。ただ、相反してクァーナは乗り気のようだった。
「いいんじゃない? たまには生き抜きも必要って言うし」
「お前は遊びたいだけだろ」
「あ、バレた?」
クァーナが悪びれた様子もなく笑う。
島の独特な空気もあって、やはりすんなりと受け入れる気にはなれない。だが、仲間たちが喧嘩しているという話を聞いたあととあってか、クァーナの息抜きという名目は悪くないかもしれないと思ってしまった。
「ひとまず俺たちは島に戻る。……もし俺の仲間が来たらよろしく頼む」
「はい、もちろんです。お待ちしていますね」
「教会にも、よければまたお越しください」
レイゾンに続いて、コズノワが笑みを向けてくる。
ゼノは仲間たちに「行くぞ」と声をかけ、礼拝堂をあとにした。
最後にコズノワから放たれた言葉。
司祭が口にするものとしてなにもおかしくはない。
ただ、ひどく不快に感じて仕方なかった。




