◆第十一話『生まれる軋み』
「ぁあああああああああッ! クソッ、クソッ、クソがぁあああああッ!」
ギュネアは叫びながら自邸の中を歩いていた。
廊下に飾った花瓶や絵画を手に取っては破壊していく。
つい先ほど言われたことが原因だ。
もう左目の視力が戻ることはない、と。
眼球を抉るように斬られたのだ。
治療を受ける前からわかっていたことだった。
だが、素直に呑み込めるほど軽い事実ではなかった。
「ギュネア殿……」
廊下の先にカナードが立っていた。
ばつが悪そうにこちらをじっと見ている。
これまでカナードの前では本来の姿を隠してきた。この荒い気性を知られれば絶対に嫌われると思ったからだ。しかし、左目を失ったことでもはやどうでもよくなっていた。
「……カナード。なにか用なの? わたしのこの醜い傷でも見にきたの?」
左目の眼帯をずらし、傷を見せつけた。
縫われたばかりだ。さぞかし痛々しいものが映っていることだろう。その証拠にカナードは目をそらすことこそしなかったが、顔を歪めていた。
「ギュネア殿のおかげでわたしは助かった。だが、その代わりにあなたに深い傷を負わせてしまった。どんなことをしてでも償えるとは思っていない。だが、それでも、わたしにできることがあれば……なんでも言ってほしい」
これまでどんなに迫ってもカナードを手に入れられなかった。だが、片目を失うことで叶うとは。天秤として吊り合うかどうかなんてわからない。ただ、もらえるのならとことんまで貪るつもりだった。
ギュネアはカナードに近寄り、その美しい頬から顎へと手を添える。
「だったらあなたのすべてをちょうだい。この体も、心も……っ」
「そ、それは……」
「なに? なんでもするって言ったじゃないっ!」
収まりかけた怒りの感情が再び溢れ出た。
カナードは申し訳なさそうにしながらも、ひたすらに目をそらそうとしなかった。ただ真っ直ぐにこちらを見据えている。この目がなにより魅力的だった。だが、いまはなにより嫌いだと思えた。
「体だけであれば応じよう。だが、心までは……申し訳ない。わたしはギュネア殿のことをそのような目で見ることはできない」
生理的に受け入れられない。
そう言われているようなものだった。
「は、はは……」
乾いた笑いをこぼしてしまった。
全身から力が抜けそうになり、思わずふらふらと後退してしまう。
「もういいわ……」
「ギュネア殿、わたしは――」
「あんたみたいなクソ男、最初からどうでもよかったのよ! ただ見た目がいいからって言い寄ってただけ! どっかいって、どっかいけ! ……ぁああああああッ」
近場に置かれていた花瓶を放り投げた。頭部大もあるそれをカナードは避けもせず、腕で顔を庇うように受けた。割れた破片で傷をつけたか。中に入った水とともに彼の額から一筋の血が流れ落ちる。
カナードは静かに頭を下げると、無言で去っていった。
ギュネアはその場に座り込んだ。
痛かった。
傷ついた目の痛みではない。
飛び散った花瓶の破片で傷ついたわけでもない。
ただ、胸が痛かった。
「惨めだな」
それは聞きなれた声だった。
見るまでもない。
コディンだ。
「なんであんたまでここにいるのよ。ここはあたしの島よ」
「ふんっ、ただ様子を見にきただけだ」
「笑いにきたの間違いでしょう……」
「……いつもうるさい奴が随分と弱気になったものだな」
いつも互いに憎まれ口を叩き合っているからか、張り合いがないとばかりにコディンがため息をついた。これならいっそ、とことんまでなじられるほうが気が楽だ。
「もうどうでもいいわ。わたしにはもうなにも残ってないのよ……」
「なにもない? バカを言え。むしろいまの貴様は以前よりずっと魅力的だ」
まさかコディンから魅力的だなんて言葉を向けられるとは思いもしなかった。あまりに予想外で目を見開きながら顔を上げた、そのとき。
コディンの真剣な顔に迎えられた。
「わたしのモノになれ、ギュネア」
「……は? いきなりなに言ってるのよ」
「貴様のすべてをわたしに寄越せと言っている」
冗談で言っている節はない。
性格の相性が最悪だということはコディンもわかっているはずだ。ならば、目当てはこの恵まれた体か。顔こそ醜いものとなってしまったが、少なくとも体だけであればコディンの取り巻きよりも美しいという自負はある。
「いままで散々興味なさそうなフリしといて、笑えるわね」
「勘違いをするな。わたしはただ、自らの目的のために貴様を必要としているだけだ」
「目的? なにそれ。どうせろくなことじゃないんでしょ」
「ろくでもないかは貴様が決めろ。わたしは帝国を――」
紡がれたコディンの言葉。
途中からまるで頭に入ってこなかった。
理解することを頭が拒んでいるかのような、そんな感覚だ。
ようやく理解できたのは瞬きを2度したあとだった。半ば反射的に周囲を見回し、誰もいないことを確認したのち、喉から押しだすように声を出す。
「あんた……正気なの?」
返答を聞くまでもなかった。
迎えてきた瞳は嘘をついていなかった。
ただ、冷淡に物事を見る、いつものコディンの目だ。
「どうする? わたしに協力すればお前には栄光を与えてやる」
茨の道なんてものではない。
下手をすれば、先日戦闘したゼノ・クラーラが突き進む道よりも過酷なものだ。
やはり正気とは思えない。
だが――。
示された道はなによりも魅力的に映った。辿りついた先に立つ自分の姿を想像すると、震えさえ起こる。気づけば、胸中を占めるものが絶望感から昂揚感に塗り変わっていた。
「……いいわ、もうどうでもいいと思っていたところだもの」
「ならば契約成立だ」
言うやいなや、コディンがくいと顎を持ち上げてきた。間近で視線がぶつかり合う中、唇が強く押し当てられる。抗議する間もない一瞬のことだった。
たしかにコディンのモノになるとは言った。だが、体目当てではないと否定された直後とあって完全に意表を突かれた形だ。ただ、そのせいもあってか、いままでに経験したどんな接吻よりも刺激的だった。
唇が離され、互いの吐息がこぼれる。
「いいな? 今日から貴様はわたしの女だ」
そう言い残し、コディンは背を向けて歩きだした。
ギュネアは呆けながら口元に指を這わせる。
自分よりも小さい。言ってしまえば見た目は子どものような男だ。しかし、その背中はカナードよりも――いや、いままでに出会ったどんな男よりも大きく見えた。




