◆第十話『いまを支えるもの』
黒竜の口から放たれた風撃がそばの空間を穿つ。
そのたびに顔面が暴風に叩かれ、全身が総毛立った。
幾度も間近に迫る死の脅威。
命があるのは間違いなくシャラのおかげだ。
力強く羽ばたかれた翼によって加速。
風に乗った巨躯は翼がたたまれるたび、矢のごとく鋭い飛行を見せる。曲芸とも言える変則的な飛行で、シャラはなおも黒竜からの追撃をすべて躱していく。
「ははっ、こんなにも心躍ったのはあのとき以来だ!」
ラドゲイの興奮した声が、黒竜の風撃に追随するように聞こえてきた。
「だが、いまのお前にはあんときほどの力はない! またお前は大勢を死なせて俺たち帝国に敗北する! わかってるか!? 負けが決まってんだよ! お前もその翼竜にこだわる必要はないだろ!」
「言ったはずだ! シャラを渡すつもりはない!」
空で交差する瞬間、ゼノは雷撃を見舞う。
だが、ラドゲイの放った風の激流に相殺されてしまった。
「甘ちゃんのお前のことだ! 大方、あの翼竜を死なせた償いでもしようってんだろ!? 贖罪のためにそいつを守ってんだろ!? そんな下らねぇ感情で動いたところで最後には自分が惨めになるだけだぜ!」
ゼノは思わず言葉に詰まってしまった。
実際にそうした感情があったのは事実だったからだ。
だが、認めたくはなかった。
――お前になにがわかる。
湧き上がった気持ちを感情任せに吐き出そうとした、そのとき。
シャラが空を震わすような咆哮をあげた。
あまりに唐突だったこともあってか。
敵の黒竜が動揺して動きを止めていた。
「なに怯えてんだ! さっさと飛びやがれ!」
だが、ラドゲイの叱咤により黒竜が風撃を放ちつつ、すぐさま動きだした。
『わたしも……始まりは姉が選んだ相手という理由でした』
再び始まった戦いの最中、吹きつける風を割るようにシャラの声が聞こえてきた。
『姉はまるで太陽のように明るくて誰とでもすぐに仲良くなるような人でした。ですが、どこか1歩引いていて……心の底から相手を信用していないようでした。そんな姉が選んだ人……《雷帝のクラーラ》はいったいどんな人なのだろう、と』
戦闘中だというのに静かな語りだ。
おかげで、感情までもが鮮明に伝わってきた。
『そして直にあなたと会って、話して……わかったんです。どうして姉があなたを選んだのかを。また同時にわたしも思ったのです。この人になら……いいえ、この人とともにありたい、と』
しのぶ気持ちからは後悔。
いまを語る気持ちからは安堵。
シャラから伝わってくる感情は、こちらが抱いたものとまったく同じだった。
「……俺も同じだ。お前にあいつを重ねていた。あいつを守れなかった悔しさをお前を守ることで晴らそうとしていた。だが、いまは違う。俺も、お前とともにありたいと思ってる」
ソフィアのことを忘れることはできない。
彼女への償いの気持ちもきっと消えることはない。
だが、シャラとともにありたいと思う気持ちは本物だ。
初めてともに空を翔けた、あの日。
シュボスで誓いを交わしたときとは違う想いを抱いて、改めてゼノは叫ぶ。
「シャラ、俺とともに来てくれッ!」
『もとよりわたしの答えは決まっています』
シャラの翼が大きく開かれ、陽光を受けた銀の鱗が眩いほどに煌めいた。
『この翼はあなたとともにっ!』
まるで憑き物が落ちたかのようにシャラの飛行に鋭さが増した。
黒竜に背後を取られがちだった展開から一変。互いに交差したのち、弧を描いて再び交差。2頭の翼竜によって空に幾つもの円が描かれはじめる。
「なんだ、いきなり動きがよくなりやがったな……だが、それで勝てるほど俺は甘くはねえぞッ!」
ラドゲイはいまが勝負時と判断したか。
交差の瞬間、手にした大剣を豪快に振ってきた。
押し寄せる暴風にシャラは飛行を乱され、その機を狙って黒竜から風撃を当てられた。アストラの防御術を展開していたものの、衝撃にぐらりとシャラの体が揺れる。
「シャラっ!」
『わたしは大丈夫です……っ!』
苦しげなシャラの声が返ってくる。
実際にラドゲイの言うとおりだ。
気持ちでどうにかなる差ではない。
これもすべて決め手となる攻撃手段がないからだ。
――武器さえあればっ!
そう胸中で願望をこぼしたときだった。
「ゼノッ!」
頭上から声が降ってきた。
見上げた先、輸送船が飛んでいた。
荷室の開いた後部からクァーナが顔を出している。
操縦席のほうには、レイカの姿も見える。
「ここは危険だ! 早くどっかに逃げろ!」
「渡すものがあったの! 使って!」
クァーナが足裏で押しだし、大きな箱を輸送船から落としてきた。
こんな状況の中で渡すものとはいったいなんなのか。
その疑問は、クァーナが箱を風銃で撃ち抜いたことで明らかになった。
弧を描いた分厚く巨大な刃。
繋がれた太く長い1本の柄。
絶大なる破壊力を秘めた武器――。
巨大な戦斧だ。
それも斬るより叩き潰すことに重きを置いた形状。
昔、使っていたものとよく似ている。
細かいところが違うため、別物であることは間違いないが……。
なぜクァーナが戦斧を持っていたのかはわからない。
だが、いまはそんなことなどどうでもよかった。
あの戦斧が〝使える〟ものだったとしたら――。
「シャラ、あれのそばに!」
応じてシャラが飛翔する。
ほぼ間もなく、落ちてくる戦斧を掴み取った、そのとき。
「くそがっ、雑魚が視界に入ってくんじゃねえっ!」
ラドゲイの黒竜が大口を開けた。
向けられた先は、クァーナたちが乗った輸送船だ。
「逃げろッ!」
叫ぶがもう遅い。
黒竜の口が緑の光を発しはじめた、瞬間。
「ぁああああああああああああッ!」
視界の端から1機の空車輪が猛烈な速度で接近。
勢いのままラドゲイの黒竜に激突した。
黒竜がわずかに揺らぎ、その口に溜めた緑の光を散らす。
空車輪のおかげでクァーナたちの輸送船が落とされずに済んだ。安堵したいところだが、まさかの空車輪の操縦者がエルクだった。待機を命じていたはずだが、なぜ――。
しかし、疑問に答えを出す間などなかった。
「こんのヤロウ……っ、どいつもこいつも邪魔ばっかしやがって!」
黒竜が鬱陶しいとばかりに動かした翼でエルクの空車輪が弾かれた。さらにラドゲイの大剣が振り下ろされる、直前。
ゼノはシャラとともに割り込んだ。
手にしたばかりの戦斧でラドゲイの大剣を弾き、駆け抜けた。そのまま旋回し、エルクを背にする格好でラドゲイと対峙する。
「助かったぜ、エルク」
「ゼノさん……ボク……っ」
「あとは、俺たちに任せろ」
一瞬の躊躇はあったものの、離れてくれた。
クァーナたちの輸送船もすでに退避している。
「邪魔は入ったが……感謝しねぇとな。やっぱ本気のお前じゃねえと張り合いがねぇっ!」
再びラドゲイが黒竜とともに迫ってくる。
ゼノは戦斧の柄をぐっと握りしめた。
先の感覚は間違いない。
この武器は現代で最高の名工。
サクラ・ナナツガネによって造られたものだ。
――なら、本気でいける……!
武器へと最大限にフェザリアを込めた。
強烈な炸裂音が鳴り響きはじめると同時――。
「おらぁあああああああああああッ!」
接近したラドゲイから風の激流を纏った大剣が振られた。これまでは接触を避けてきた強烈な攻撃だ。しかし、いまはこの手に武器がある。
ゼノは真っ向から戦斧をラドゲイの大剣にぶつけた。がんっと響く鈍い金属音。ラドゲイが大剣を後方へ弾かれた格好で大きく仰け反る。
「攻め立てるぞッ、シャラッ!」
後退せんと羽ばたいた黒竜に合わせ、シャラも羽ばたく。
距離が縮まるたびにゼノは戦斧を叩きつけるように繰り出し、追撃を加えた。どれも大剣を差し込まれ、なかなか直撃は生まれない。だが、大剣の向こう側に映るラドゲイの顔は険しくなっていく。
「は、はは……思いだしたぜ。これだ、これだよ……クラーラ! 俺はずっとこいつを求めてたんだ! お前との戦いを――」
「だったら思いだしたか? お前の大剣を折ってやったのが俺だってことも」
また振り下ろした戦斧が横向けられた大剣に受け止められる。だが、接触した大剣の腹から亀裂が走り、ついには砕け散った。驚愕に歪むラドゲイの顔面目掛けてさらに戦斧を振り落とす。が、直前のところで体ごとそらされてしまう。
危機的状況に黒竜が本能的に反応したのか。
こちらの下に潜る格好で大きく退避する。
ゼノはすかさず黒竜目掛けて戦斧を放り投げた。
雷光で繋がれた戦斧が黒竜の右翼を切り落としたのち、弧を描いて戻ってくる。再び戦斧を掴んだとき、黒竜は体勢を崩して墜落していた。
「くそっ」
たまらずラドゲイが黒竜から身を投げ、地に足をつける。
この戦いはラドゲイがいる限り終わらない。
逃がすわけにはいかなかった。
「シャラ、俺を全力で落とせっ!」
応じて猛ったシャラが翼をたたんで急降下を開始。
空において、人間では決して到達できない速度へと踏み入った。
瞬間、ゼノはシャラから離れた。
シャラとともに翔けた勢いのまま落下する。
ラドゲイは初めから逃げるつもりはなかったようだ。
視界の中、その場に留まってこちらを見上げていた。
「……やっぱりお前は最高だ、クラーラ」
最後に映ったラドゲイの顔は歓喜にまみれていた。
ゼノは着地と同時に戦斧を振り落とし、ラドゲイの身を粉砕。そのまま地へと突き刺した。とてつもない衝撃波と激しい雷光が辺りへと迸る。やがてすべてが収まったとき、広範囲に渡って穿たれた地面だけが残った。
そこにラドゲイの身はない。
ただ、勝利の余韻に酔いしれる暇などなかった。
いまもなお戦いは続いているのだ。
ゼノは再びシャラに騎乗し、空へと上がった。
グウェル島の中央施設に残る帝国兵、ガリアッドを上空から雷撃と戦斧で無力化。さらにラドゲイの島へと乗り込み、仲間と交戦中の敵を一掃した。
恐怖に怯える帝国兵たちへと声を張り上げる。
「帝国13輝将ラドゲイ・ベイザランドは、このゼノ・クラーラが倒した! まだやる気がある奴はかかってこい! 俺が相手になってやる!」
敵は指揮官だけでなく、多くの兵を失った。
さすがに撤退以外の選択肢がないと判断したようだ。
促したとおりにグウェル島を残し、引いていった。
ゼノはシャラとともにダナガの外縁へと下り立った。
すでに辺りには多くの仲間が集まっていた。
陽は沈みかけ、世界は赤く染まっている。
だが、陽のせいとは言えないほどに仲間たちの体は赤く染まっていた。
どこを見ても傷を負った者が映りこむ。
だが、誰もが誇らしげに胸を張っていた。
「みんな、よくやってくれた!」
ダナガを守れたのは彼らのおかげだ。
仲間を守れたのは、また仲間のおかげだ。
ゼノは昂ぶる気持ちに任せて戦斧を掲げ、宣言する。
「俺たちの勝利だ!」




