◆第三話『始まりの拳』
昼間、エルクはデジャンから受けたなんらかの要求を断っていた。
詳しい事情は知らないが、おそらくあの件が発端となって制裁に乗り出されたのだろう。
ゼノはすぐさま助けに向かおうとする。
が、機先を制すように声が飛んできた。
「おっと動くなよ? これは公務と同じである。その場から1歩でも動けば反逆とみなし、即座に頭を吹っ飛ばす」
デジャンが口の端をいやらしく吊り上げた。
背後に控えた帝国兵たちが風銃を構える。
帝国という共通の敵がいるからか。
囚人たちは互いに仲間意識が強い。
そんな仲間の1人が危機に陥っている。
しかも、いまは看守への鬱憤が溜まっている状態だ。
いますぐにでも全員が飛びかかりそうな勢いだった。
中でも隣に立つヴィンスは爆発寸前といった様子だ。
ヴィンスは囚人たちの兄貴分として慕われている。
彼が飛び出せば間違いなく歯止めが利かなくなる。
「待て、ヴィンス」
「ここで行かなきゃ人間じゃねぇ……っ」
「動けば奴の思う壷だ。これは見せしめだ」
「んなのわかってるけどよっ」
葛藤する囚人たちの様子を見てか。
くく、とデジャンが楽しげに笑っていた。
最近、囚人から強まった看守への敵意。
それを折るための〝見せしめ〟にエルクを使おうとしていると見て間違いない。
だが、やり方があまりに稚拙だ。
デジャンは帝国という後ろ盾に溺れている。
帝国の名さえあれば囚人が歯向かうことはない、と。
こんな少人数で来るべきではなかった。
いますぐに反乱しろといっているようなものだ。
「ボクは……大丈夫、です」
エルクが苦しげに声をもらした。
両腕を引き寄せ、上半身を持ち上げる。
「殴りたいのなら、好きなだけ殴ればいい……っ。だけど、みんなを巻き込まないでください……っ」
「なにを言っている? 誰が殴るといった?」
デジャンがそばに置かれた木箱に座った。
そのまま大きく股を開き、醜悪な笑みを浮かべる。
「貴様は見てくれがいい。わたしに奉仕することで特別に許してやろう」
昼間、なぜエルクが絡まれていたのか。
いまのデジャンの発言でようやく理解できた。
「どうした? 早くしろ。おっと手は使うなよ……くく」
下衆の中の下衆だ。
ゼノは思いきり奥歯を噛んだ。
手が傷むほどに拳を握りこむ。
すぐにでもエルクを助けたい。
だが、今回は昼間とはわけが違う。
デジャン自らが公務と宣言している。
邪魔をすれば殴られるだけでなく殺されるだろう。
仮にここを切り抜けられたとしても、その後ろに待っているのは〝帝国〟という大きな力だ。
対抗したところで勝ち目はない。
絶対に動くべきではない。
「ボクは……っ、心まで……あなたに屈した覚えは……ありませんっ」
エルクが訥々と、しかしながら力強い声を発した。
直後、デジャンの顔から笑みが消えた。
「せっかく慈悲を与えてやったというのに自ら無駄にするとは……まったくもって理解できん。……はぁ、仕方ない。望みどおり痛みをもって貴様への躾をなそうではないか」
デジャンが懐に手を入れ、引き抜く。
と、その手にはナイフが握られていた。
――絶対に動くべきではない。
その考えだけは絶対に変わらない。
だが、噴きだした感情を抑えることは無理だった。
「どうやら俺は人間らしい」
「……え?」
ヴィンスの困惑する声が聞こえる中――。
ゼノは半ば無意識に駆けだしていた。
「ひぃやぁあああああッ!」
デジャンが奇声とともに振り下ろしたナイフ。
それがエルクの左目に突き刺さる、直前。
ゼノはデジャンの顔面へと勢いのまま拳を突き込んだ。ごっ、と鈍い音を鳴らし、デジャンが後方へと吹っ飛んでいく。
一瞬の出来事だったからか。
多くの者が呆気にとられていた。
「は、はは……本当にやりやがった……!」
ヴィンスの感嘆する声が聞こえてきた、直後。
帝国兵たちが弾かれたように風銃の口を向けてくる。
「デ、デジャン様っ」
「貴様っ!」
ゼノはすでに地を蹴っていた。
風銃から放たれた拳よりも小さな緑の光球――風撃を躱しつつ、帝国兵に肉迫。近くに並んで立っていた帝国兵2人の顔面を両手で掴み、そのまま地面に叩き落とした。
残りは4人。
すぐに飛びかかろうとしたが、その必要がなくなった。
囚人たちが残った帝国兵に石やらスープの皿やらを投げつけていたのだ。
「貴様ら、帝国に歯向かえばどうなるかわかって――ぐぁっ」
「ゼノに続け! いましかねぇぞ!」
囚人たちが雪崩れ込むように帝国兵たちに殴りかかりはじめた。帝国兵たちが風銃で応戦しようとするが、数が数だ。瞬く間に勝敗は決し、看守たちは地に伏した。
「おい、デジャンはっ!?」
「あそこだ! 空車輪で逃げてくぞ!」
「あいつ、部下を捨てて1人だけ逃げやがったのか」
「相変わらずのクズっぷりだな……っ」
1機の空車輪が看守たちの住まうシュボス島のほうへ飛んでいく。デジャンを逃がしたことを悔いる者はいたが、それ以上に勝利に酔いしれる者のほうが多かった。
囚人たちが興奮する最中、ゼノはエルクのもとに駆け寄る。
「……無事か?」
「どうして……ゼノさん……っ」
揺れた瞳とともに問いかけられた。
「弟分を助けるのに理由がいるか?」
「でも、このままじゃ……」
エルクにも未来は見えているのだろう。
その目は悲しみの色で染まりきっていた。
反して、ほかの囚人たちはいまだに浮かれたままだ。
「にしても見たかよ、さっきのあれ」
「ヴィンスから聞いてはいたが、想像以上だ」
「あれでフェザリアなしってんだろ? 化け物かよ」
「化け物でもなんでも関係ねぇ。これはマジでいけるぜ!」
期待に満ちた目が向けられる。
明日の命をまるで疑っていない。
「やっぱ俺の目に狂いはなかったぜ。ってより思ってた以上だ」
ヴィンスが高揚した様子でそばに立った。
自身の左手に右拳をパシンと突いて話を続ける。
「この勢いを逃す手はねぇ。このままシュボスの帝国兵を一気に潰して――」
「行くわけないだろ」
「……は?」
ぽかんと口を開けるヴィンス。
ほかの囚人たちも同様の反応を見せている。
「みんな、聞いてくれ」
ゼノは立ち上がり、囚人たちを見回した。
帝国兵に歯向かった事実は変わらない。
ならば、取るべき選択肢はただひとつ。
「シュボスには俺1人で行く」




